人質王女、計算高すぎて覇権国家を論破する〜冷徹宰相は私の知恵を独占したいらしい〜

朝日みらい

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第2章 屑王子の理屈

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 昨日の謁見は、いわば宣戦布告のようなものでした。

 一夜明けて、私は案内されたアストラヴェル王宮の「北会議室」に足を踏み入れました。そこは、装飾こそ控えめですが、かえってこの国の実利主義を象徴するような、重厚で冷たい空気が支配しています。

「……おはようございます、リゼリア殿下。昨夜はよく眠れましたか?」
 上座にふんぞり返ったカイゼル王子が、極上の、けれど毒の混じった笑顔で私を迎えました。その隣には、昨日と変わらぬ冷静な佇まいで、書類の束を整理するエドヴァルド様の姿があります。
「おかげさまで。こちらのベッドは我が国の王宮のものよりずっと寝心地が良く、つい朝まで帳簿を読み込んでしまいましたわ」

 私の皮肉混じりの挨拶に、カイゼル王子は鼻を鳴らしました。
「余裕だな。まあいい、さっそく始めよう。我がアストラヴェルからリュミエールへの緊急融資、および食糧支援の条件だ」
 王子が顎で合図すると、エドヴァルド様がスッと一枚の羊皮紙を私の前に差し出しました。

 そこに記されていた数字を見た瞬間、私は思わず笑い出しそうになりました。もちろん、面白くて、ではありません。あまりの理不尽さに、脳内でエラーを起こしそうになったからです。

「……殿下。これは融資の条件ではなく、我が国の『解体届』の間違いではありませんか?」
「なんだと?」
「リュミエール公国の全関税権の委譲、さらに鉱山開発権の九割をアストラヴェルが握る。その上、利息は年利二十パーセント……。これでは支援を受けたところで、三月後には我が国はあなたの国の『私有地』になりますわ」
 私は手に持った扇を机に叩きつけました。

 カイゼル王子は、私の反応を楽しんでいるかのように、ニヤリと口角を上げます。
「弱者に選ぶ権利などない。貴様らの国は、自力で立ち上がる力すら失っているのだ。助けてやるというのだから、すべてを差し出すのが道理だろう? それとも、誇りと引き換えに民を飢えさせるか?」

 ……くっ、この男。
 彼はわかっているのです。私が民を見捨てられないことを。そして、この条件を呑むしかない状況であることを。
 屈辱で奥歯を噛み締めたその時——。

「——カイゼル殿下。少々、補足させていただきます」
 横から、涼やかな声が割って入りました。エドヴァルド様です。
 彼は眼鏡のブリッジを指先で押し上げながら、淡々と語り始めました。
「リゼリア殿下のご指摘は、経済的合理性の観点から見れば妥当です。しかし、殿下。アストラヴェルとしても、リュミエールが完全に破綻し、暴動が起きることは望まないはず。治安維持コストを考えれば、この利息は『回収不能リスク』を上げすぎるのではありませんか?」
 エドヴァルド様は、私にだけ見える角度で、わずかに片目を細めました。

 ……合図?
 私は彼の意図を瞬時に察しました。彼は、王子に真っ向から反対しているのではない。王子の「損得勘定」に訴えかけて、妥協点を引き出そうとしているのだと。

「……そう、ですわね。エドヴァルド様の仰る通りですわ」
 私は深呼吸し、持参していた自国の財務諸表を広げました。
「殿下、ご覧ください。こちらが我が国の未開発鉱脈の最新予測記録です。関税権をすべて奪えば、流通が滞り、この鉱脈からの収益も半減します。むしろ、関税を一定期間『据え置き』にし、我が国の商人たちの活力を維持した方が、最終的にアストラヴェルに流れ込む配当金は三倍になります。計算は、こちらにまとめてありますわ」
 私は数字を突きつけました。カイゼル王子の眉が不快そうに寄ります。彼は、私がただの「泣き言を言うだけの王女」ではないことに気づき始めたようです。

「……チッ、理屈の多い女だ。エドヴァルド、この計算に間違いはないのか?」
「……はい。極めて正確、かつ現実的です。……素晴らしい」
 エドヴァルド様が、最後に小さく付け加えた言葉。
 それが、公的な評価なのか、それとも私個人への称賛なのか。

 確認する間もなく、王子は立ち上がりました。
「今日はここまでだ。リゼリア、その小賢しい頭を明日までに冷やしておけ。エドヴァルド、行くぞ」
 嵐のように王子が去っていき、重苦しい会議室に私一人……と、思われましたが。

 扉の直前で、エドヴァルド様が足を止めました。
「殿下、少々失礼を」
 彼は王子を先に行かせると、私のもとへ戻ってきました。
 そして、机について項垂れていた私の肩に、そっと手を置いたのです。
「よく耐えられましたね」
 その手の温かさに、張り詰めていた緊張がぷつりと切れました。

 見上げると、そこには昨日のような無機質な官吏の顔ではなく、一人の男性としての、ひどく優しい眼差しがありました。
「……怖かったですわ。もし、彼が完全に耳を貸さなかったらと思うと」
「貴女の言葉には力がある。……これ、甘いものでも食べて、少し休んでください」
 彼は私の手のひらに、銀紙に包まれた小さなチョコレートを握らせました。
 そして、驚く私の顔を見て、彼は少しだけ困ったように微笑みました。
「……あまり根を詰めると、せっかくの美しい瞳が曇ります。私は、貴女の理詰めの反論をもっと聞いていたい。だから……」

 彼は私の頬を、親指でなぞるように一瞬だけ触れました。
 熱い。触れられた場所が、火がついたように熱を帯びます。
「また明日、この場所でお会いしましょう。リゼリア殿下」
 彼が去った後、私は彼から渡された小さな甘い塊を、宝物のように握りしめていました。

 窓の外では、アストラヴェルの贅沢な夕陽が沈もうとしています。
 敵地だと思っていたこの場所で、まさかこんな「救い」が待っているなんて。

 ……けれど、まだ道は始まったばかり。
 私はチョコを一粒口に放り込み、その甘さに勇気をもらいながら、再びペンを手に取りました。
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