来なかった明日への願い

そにお

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第二小節 彩るハルの季節、軋んでナル世界

p11 仮初めの白

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 湯が頭から足へと流れ落ちていく。そこに透明でない白色の液体も混ざっていることに気づいた僕は、髪の毛を更に念入りに洗い流した。暫くして、白色はなくなり、蛇口をひねると排水溝へと湯が落ちきったのを確認して側に掛けてあった、大きめでふわりとした手触りの布を手に取り、体を拭いていく。

「ふう……すっきり」

 頭に布を被せたまま脱衣所に備え付けてある姿見の鏡を眺め、布を両肩へと下ろす。

「また、染めなきゃな。見られてなくてよかった」

 痛んで軋む髪をつまみ、生え際まで確かめる。鏡に映るのは白髪ではなく完全な黒髪だった。さっき落ちたのは自分で調合した染髪剤で、黒髪を白く染めるためのものだ。ラナ達の反応からするにこれについては気づかなかったようで、安堵した。人と呼んでしまうことに加え、本当は黒髪だということを知られてはまずかった。
 亜種それぞれ様々な髪色は存在する。ラナは茶、ルルは桃、セラは青にクインは淡い緑というふうにだ。ただ、黒は亜種に存在しない。いや存在してはいけない色だった。それは亜種に落ちる前のかつての”人”の髪色だからだ。
 ある意味でミリアさん達に見つけられたのは救いだったのだ。この髪色であっても自警団に突き出したりはしなかった。むしろ、白色の染髪剤を共に作ってくれたくらいだ。異端の亜種にとって黒髪の存在は貴重なようだったが、その理由を聞く前に、ミリアさん達は死に、僕は逃げた。今でもどうして僕だけを逃がしたのかは分からないしその機会は失われたままだ。かといってそれを明らかにするほど無謀な生き方はしたくなかった。もうあんな思いはしたくない。

「前、海に引きずり込まれた時は大丈夫だったんだけどな」

 以前、ゲットーに来た当初、魚鱗族に海へと引きずり込まれたことはあったが、その時は染料が落ちることはなく、これまでの数回染め直してはいるが、一気に落ちることは今までなかった。脱衣室に備え付けの小さな戸棚を開ける。中には自分で混ぜ込んだ衣服用の洗剤やら油から作った石鹸が置いてある。一見、なんてことはない棚ではあるが、それらを左右にそれぞれ決まった配置で置き分けると、予定通り奥の棚板が浮く。それを横にずらすと、もう奥にもう一つの狭い空間、そこに白色の液体が入ったガラスの瓶、つまり染髪剤を引っ張り出す。棚の左右の重さで留め金が外れるように手を加えてあり、万が一の発見を防ぐためのカラクリだ。

「また作らないと……」

 ガラス瓶に入った染髪剤は見る限り一回分しか残っていなかった。普段は焦ることはないが、またいきなり落ちる可能性も今は考える必要があり、時間を見つけて秘密裏に材料採取をしようと決めた。

 再び、シャワー室に戻り染髪剤を髪に塗り込んでいく。暫く着け置いた後、シャワーで流す。余分な染料が流れていく。後は布で優しく水気を吸い取り、乾かす。そして完成だ。

「うーむ。我ながら素晴らしい出来だ」

 と、誰にも聞かせられない自画自賛を口にして、乾くまでベッドに座り壁に背を落ち着かせていると、いつの間にかまどろみの中へ落ちていった。

 目を開けた時には、既に朝日が差して来ており、横に体を倒していた。染料が付着していないか気になったが、その感じもなく一安心だ。

「うん、今日は良い天気だ」

 神迎えにふさわしい日だ。朝日の感じからしてちょうど良い時間に目が覚めたようだ。特に焦るわけでもなく服を着て、井戸に向かい顔を荒いに行く。今日は子ども達の姿は見えない。若干の寂しさはあるが、神迎えの日に遊ばせている親がいるわけがない。もしかすると、自分の子どもが選ばれるかもしれないからだ。反対に僕は選ばれる可能性はゼロに等しく、普段通りで特にめかし込んだり、服に気を遣ったりしない。そもそも、そんな基準で選んではないだろう。

 
 神塔の前には早朝の静けさなどなく、多くの亜種で賑わっていた。どこか浮ついた感じで、子どもの服装を細かく直したり、親である自分も選ばれた時を考えて化粧や服装をチェックしていた。

「あ、先生! おはようございます」

 僕を見つけて駆け寄ってきたのはラナだった。薄く化粧しているのか、唇が潤んでいるのと多少頬の赤らみがあることに気づいた。

「おはよう。化粧なんてしなくても十分綺麗なのに」

 何の気なしに言ったつもりだが、頬どころか顔全体がみるみる染まっていき、ラナは俯いた。

「ふ、不意打ちは卑怯……」

 どうやら浮ついたこと言ってしまったようだ。それくらいの自覚はある。だが、どう対処していいか分からず目を泳がせる。

「あー先生、ラナ口説いてる!」

 それは助けかそれとも止めの一手か、ルルが現れた。無駄に大声なものだから周りの視線が痛い。

「もう、変なこと言わない」

 それでもはやし立てようとするルルの口を手で抑える。もごもごとしていたが、これはこれで視線が更に痛かった。

「ルルちゃん、だめだよう」

 顔を真っ赤にしながらラナも加勢して、塞いではいけないところを塞いでしまったせいか、ルルが青ざめて別の意味で暴れ始めたところで、はっとして手を離した。

「こ、殺す気か……」
 
「はは、ごめんごめん」

 悪びれて謝罪すると、ルルは息を整え、また騒ぐことは止めてくれた。やりすぎると命に関わると感じたのだろう。悪いとは思ったが少し自業自得が否めない。もちろん悪い子ではない。
 妖精族の並びにクインを見つけると、クインも気づいたのかお辞儀だけして視線を神塔にむき直した。本来なら僕もその並びにいるべきなのだが、元々、この土地の亜種ではないため、どこか気が引けていた。ラナもルルも家族の元へ戻っていく。僕は一方、他方事のように眺めていた。背中越しに見えるセラはうつらうつらと体を左右に揺れては、母親に小突かれていた。


「いらっしゃるぞ! 皆、姿勢を改めよ!」

 前方にいる代表者タラクが大声を上げる。それを合図に皆の視線は神塔の頂点へと集中する。延長線上の光が一際輝いたかと思うと、空が景色が歪み周辺に漂っていた雲がそこを退くようにして大きな青空の円ができる。そしてすぐにそのぽっかり空いた空間に中心から真っ白な雲が生じた。いや、雲ではない、僕らの使う漁船など比べものにならない大きさで、後方から先端に向かって細く伸びていて、見方を変えれば、神を表す旗印の三角の形にも見える。あれが神が乗る箱舟アーク
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