シャロン・ホームズの助手

十二田 明日

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第4章 終わらない事件 Ⅳ

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 その日の午後三時頃、講義を終えたワトソンとエミリーはハイド・パークのベンチに座ってサンドイッチを食べていた。
 サンドイッチはエミリーのお手製である。
 生ハム、きゅうり、クリームチーズを挟んだサンドイッチは、シャキシャキとした食感と塩気が絶妙で、食べる手が止まらなくなるようだった。

「美味い! エミリーは料理が上手なんだな」

 サンドイッチを頬張ったワトソンが相好を崩す。 
 雲間から差し込む陽光の暖かさと緑溢れる周囲の環境も相まって、本当に郊外でピクニックをしているかのような清々しさだった。

「ただ切って挟んだだけよ。でも喜んでもらえて良かった」

 とエミリーが口元を押さえて笑うが、「いやいや、本当に美味しいよ」とワトソンは美味そうに二つ目のサンドイッチに手を伸ばす。
 むしゃむしゃとサンドイッチを頬張って、しみじみとワトソンは呟いた。

「他人の作った料理を食べるのは本当に久しぶりだ……美味い」
「普段、ゴハンはどうしてるの?」
「大体いつも僕が作る。外で何か食べたりもするけど、本当にたまにだね」
「ホームズさんは料理しないの?」
「本人はできるって豪語してるけど、ホームズがやってるのは料理じゃなくて化学実験だよ。以前、鍋を爆発させた事があって、それからキッチンに立たせないようにしてる」

 一体何があったのだろう──とエミリーは冷や汗を流した。

「だからエミリーをホームズの奴に見習わせたいくらいだよ」

 ワトソンがそう続けるので、

「そ、そうかな」

 と答えながら、エミリーはワトソンに見えないように小さくガッツポーズをした。
 経済力や大人の女性としての魅力では敵わないかもしれないが、料理スキルという家庭的な部分では勝っているようだ──とエミリーは自分のアドバンテージを再認識する。

 何せホームズとワトソンはルームシェア相手、一つ屋根の下で生活を共にしているのだ。地の利が向こうにある以上、こちらも自分のアドバンテージを活かして戦うしかない。
 エミリーのアドバンテージとは、即ちホームズにない家庭的なスキルと大学の同期であるという事──つまり学生生活こそがエミリーの領域である。

 ゆえにエミリーは講義後の午後の時間に、ワトソンと過ごす約束を取りつけたのだった。
 エミリーの秘策は公園での軽食だけに留まらない。

「私、行ってみたいところあるんだけど、一緒に来てくれない?」
「いいけど、あんまり遠くには行けないよ」 
「大丈夫近くだから」

 そう言ってエミリーがワトソンの手を引いて向かったのは、ハイド・パークの一角にある王立動物園だった。
 小さいながらもそれなりの種類の動物がいて、見ごたえは十分ある。 

「へぇ、動物園か。小さい頃に来たことはあるけど、大人になってから来た事なかったな」
「ここで今話題の子を見ていきましょう」
「何か変わった動物でもいるの?」
「ええ。世界中を探しても、ここでしか見られない子が」

 エミリーがいたずらっ子のような顔で言う。その誘い文句に乗って動物園に入ったワトソンは、すぐに意味が分かった。

一角獣ユニコーン──改造生物か」

 人だかりのある檻の中に白い生物が佇んでいた。
 一見するとただの白馬のようだが、その頭頂部からは螺旋状に捻れた角が一本、ピンと伸びている。
 王立動物園の目玉として展示していたのは、改造生物の一角獣だったのだ。

 改造生物とは機械義肢と並んで近年急速に発達した技術の一つであり、遺伝子工学や生体科学の結晶である。
 ダーウィンの進化論を元に、ついに人は自分たちに都合の良いように生物を作り変える技術を手に入れた。改造生物とはその一環であり、いわゆる品種改良とは一線を画す技術である。

 通常、品種改良を行うには何世代もの選別と掛け合わせを行わなければならないが、遺伝子配列を操作してわずかな時間で望んだとおりの生物を作り出すのだ。

 さらには既にある別種の生物の身体を、繋ぎ合わされる技術も開発された。
 檻についている立て看板の解説を見るに、どうやらこの一角獣は馬と北極圏に生息するイッカクの牙を繋ぎ合わせて作られているらしい。

「ねっ? 凄いでしょ」

 エミリーの声に頷き返し、ワトソンは改めて一角獣を見た。
 艶やかな白い毛並みと立派な体躯、そして長く伸びた一本の角。それらが組み合わさって、とても神々しく見える。これまで伝説上の生物ファンタジーでしかなかった一角獣が、今こうして現実にいる姿を見るのは何だか不思議な気分がした。 

(幻想を現実にっていう意味なら、切り裂きジャックの人造人間も同じようなものか……)

 不意にフリードマン邸での事を思い出してしまい、ワトソンの表情は曇る。エミリーはそれをすぐに察した。

「あれ……あんまりこういうの好きじゃなかった?」
「いや、気にしないでくれ。ちょっと嫌なことを思い出しただけだよ」

 ワトソンは被りを振る。
 せっかくエミリーが誘ってくれたのだ。沈んだ気分でいるなんてもったいない。ワトソンは気持ちを切り替えて、エミリーと動物園を回ることにした。



 動物園の各所を、ワトソンとエミリーは笑いながら見物している。はた目には年頃のカップルがじゃれ合いながら歩き回っているように見えるだろう。
 そんな微笑ましい二人を遠くから観察する視線に、ワトソンは気が付かなかった──だがそれも無理もない事だろう。
 何しろそれは人の形をしていなかった。

 園内の樹木の枝に、一匹の猫が乗っている──否、それは猫を模した自動人形だった。その猫の体表が艶やかな毛並みではなく、金属の光沢を発している事を見れば一目瞭然であろう。

 機械仕掛けの猫は両の眼を二人に向ける。歯車の噛み合う音がして眼に仕込まれたレンズのピントが合い、二人の姿を遠くに潜んでいる主に送る。
 偵察用に放った機械猫から送られてくる映像──ワトソンと一緒に笑うエミリーの姿を見やり、

「……ふうん、これは使えるな」

 と猫の主は暗闇の中で呟いた。



 楽しい時間はあっという間に過ぎてしまう。
 動物園を回り終え、気付いた時には既に日が沈みかけていた。ワトソンは時計を確認して謝る。

「──とごめん、もうこんな時間か」
「ホントだ、あっという間だね」
「駅まで送っていくよ」
「うん、ありがとう」

 ワトソンの申し出にエミリーは嬉しそうに頷き、駅までの道を二人で歩くことになった。

「ありがとね、送ってもらっちゃって」
「このくらい礼には及ばないよ。むしろ今日は誘ってくれてありがとう、僕も楽しかったよ」
「私も男の人と二人で遊びに行くのは初めてだったけど、今日は楽しかった。やっぱりワトソン君と一緒にいるの、私は好きだな」
 そう言うエミリーの笑顔があまりにも綺麗で、一瞬ワトソンの胸が高鳴った。
「……」
「どうかした?」

 急に黙り込んだワトソンの顔をエミリーが下から覗き込む。ワトソンは誤魔化すように、

「何でもない」

 とだけ言った。一言そういうしか出来なかった。

「ふふっ、変なワトソン君」

 そのまま他愛のない会話を続け、二人は駅前までやってきた。

「それじゃ、また明日」
「うん、また明日ね」

 挨拶を交わした後、ワトソンは踵を返してアパートに帰っていく。エミリーはしばらくワトソンの背中を名残惜しそうに眺め、今日一日の楽しかった事を思い出し、その余韻に浸っていた。

「いつかまた明日じゃなくて、まだ帰りたくないって言わせてやるんだから……」

 遠く離れたその背中に、聞こえないセリフを投げかける。
 ──しかし不意にその視界が阻まれた。急に真っ黒なものにエミリーの視界は占領する。

「え……」

 それが至近距離に現れた大男のコートだと気付くより早く、エミリーの意識は絶たれた。
 

 
 ワトソンがアパートに戻った時、ホームズはここ最近定位置であるソファから起き上がり、電話にかじりついてひっきりなしにメモを取っていた。これまでの無気力な様子とは違い、目がギラギラと輝いている。

「何かあったのか?」
「大ありだよ!」

 ワトソンが問うとホームズは勢いよく答えた。どうやら何か進展があったらしい。

「うん、うんうん。ありがとう警部、それじゃあ明日抜け穴の入口で。大丈夫、ちゃんと遅れないで行きますよ」

 と言ってホームズは興奮気味に電話を切った。

「警部と話していたのか?」
「ああ。色々と面白い事が分かってきたよ」
「どんな?」

 ワトソンが上着をハンガーにかけ、リビングルームのソファに腰掛ける。

「結論から言えば──切り裂きジャックことジェイコブ・フリードマンは生きている可能性がある」
「何だって?」

 思いもよらない発言に、ワトソンは面食らった。

「待ってくれ、ジェイコブの死体は発見されただろう。しかもバラバラにされて……酷いものだった。あんな風になって生きている人間がいるわけがない」
「普通に考えればそうだ、しかし奴は普通じゃない。ジェイコブの死体の検死結果に目を通していたかな?」
「読んだけど細かいところまでは覚えていないな」
「死体はバラバラ。しかも内臓と脳まで摘出されていた。しかし内臓は死体と一緒に転がっていたのだが脳だけは見つかっていないんだ」
「脳が見つかっていない……」

 何やら不穏なものをワトソンは感じた。

「そしてジェイコブが屋敷の離れでこっそりと研究していた内容なのだが、人間の脳に関するものや、肉体のない状態でも脳を機能させる研究などが多数含まれていた事が、ロンドン警視庁の調べで分かっている。以上のことから考えると、ジェイコブは脳だけの状態で生きている可能性がある」
「バカな⁉ 脳だけを取り出して生存するなんて、今の医学で出来る訳が──!」
「ワトソン君、脳科学の分野が進歩しないのは、人間を実験台にした試行錯誤トライ&エラーが出来ないからだ。しかし切り裂きジャックは被害者を実験台にして、多くの非人道的な実験を行って、あの人造人間を作り上げた。ジェイコブの技術は、ある一点においては既存の技術を大いに凌駕しているとみていいだろう。奴が脳を他の何か──例えば機械の身体に移植して生きているとしても不思議じゃないさ」
「そんな事が……」

 感覚的に認めたくないワトソン。しかし同時に可能性があることを心の何処かで察している自分がいた。

 そもそも科学や医学の発展の歴史には、禁忌への挑戦というものが必ず含まれる。かつてタブー視されていた時代に死体の腑分け・解剖を行い、レオナルド・ダ・ヴィンチが人体の構造の理解を深めたように。

 禁忌の扉を開いた時、技術や理解は大きく進歩する──その側面は否めない。

「そしてもう一つ分かった事がある。レストレード警部に頼んで切り裂きジャックの使った地下通路を、経路図がないか調べてもらってね。そうしたらあの地下通路にはさらに地下に、巨大な空間があることが分かったんだ」
「何でそんな空間が地下に?」
「あの通路は廃棄された下水道を利用したものだって以前言ったね? あれは雨水を処理するための下水道だったらしいんだが、こういう下水道には一度に大量の雨が降った時のために、ある程度大きな貯水槽を用意するものなんだ」
「見つかった巨大な空間っていうのはそれか」
「私はここに切り裂きジャックが潜伏していると考えている。さっき警部と話していたのは、ここに突入する段取りについてだよ」
「だけどこんな地下深くに人が長期間潜伏できるものなのか? ──あっ」

 ワトソンは自分で口にした疑問に、すぐに回答を思いついた。

「そう……もしジェイコブが脳だけ生きているなら、肉体の縛りはない。地下空間で長期過ごしていても問題ない、というわけさ」

 そう聞くとやおらホームズの話が現実味を帯びてくる。
 この都市の地下深くで、あの殺人鬼はまだ息を潜めているのだ。ゾワリとワトソンは嫌な悪寒を覚えた。

「明日、警察と合同でこの地下に突入することになった。君も来てくれるかい」
「もちろんだ」

 ワトソンは迷いなく答えた。
 不安はある。恐怖もある。しかしそれ以上に、あの殺人鬼を野放しにしている事の方が嫌だった。
 ホームズが満足げに笑う。

「それでこそ私の助手だ」
「任せろよ名探偵」

 ホームズが握り拳を突き出すと、ワトソンはそれに自分の拳をコツンとぶつけた。
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