グレープフルーツムーン

青井さかな

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chapter 3

歌い続ける理由は(1)

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 杉浦くんと話をする為に湊くんの部屋を訪れた日から二ヶ月が経とうとしている。
 その間に彼らのバンドのCDも予定通りにリリースされ、それに伴ってのプロモーションやら取材やら、合間にもう次のレコーディングのための曲作りやライブのリハーサルと慌ただしい日々を送っているらしい……、と言うのは全て彼らのマネージャーである阿部さんからの情報で、杉浦くんを始めバンドのメンバーは誰一人この二ヶ月の間『ドアーズ』を訪れる事はなかった。

 はじめは正直余計な事をしてしまったかなと少し後悔をしていたけど、そうではないらしく、本当に今は余裕が無いようだ。
 それを教えてくれたのは、湊くんだった。

 あの日、私が帰った後バンドのメンバー全員一緒に杉浦くんから話を聞いたらしい。
 リナと私の関係性、浅野さんの事、杉浦くんの知らなかったリナの気持ち、そんな話を今更聞いたところで彼に何のメリットがあるのだろう、頼まれてもいないのに勢いで乗り込んで勝手に全てを話して、やっぱり余計に彼を追い込んでしまったのではと思っていた。
 だけどあれから数日後、湊くんから届いたメッセージには意外にも私への感謝の言葉と、少しばかりの近況が綴られていた。

【先日はありがとうございました。あの後バンドのメンバー全員で話聞いてオレらも改めて杉浦と話が出来ました。おかげで少し吹っ切れたようです。あの次の日から本当に忙しくて休み無くてあいつもしばらくは店行けないと思いますが元気にしてるんで心配しないでください】

 大学時代、私の周りの浅野さんを始めとするバンドマンと言えば、はっきり言ってダメな人間ばかりで、過去の話とは言えそんな人と付き合っておいて何だけど、バンドマン=クズという図式が私の中で出来上がっていたので正直彼らの真面目さが私には意外過ぎた。

 今時はそうなのかな、六歳差ならそこまで違わないと思っていたけど少しだけジェネレーションギャップを感じる。
 もしくはその柔軟性がプロになれる人となれない人の差なのか。

 浅野さんのギターとステージに立った時のカリスマ性は類を見なかった。
 原田さんも『浅野がステージに立つと空気が変わる、私には無理』と常に嫉妬していた。プロでもあそこまでの空気を出せる人はなかなかいないんじゃないかと。
 だけど、浅野さんはプロを目指さなかった。その理由を浅野さんは『興味が無い』と言っていたけど、私の目にはプロとしてやっていく『自信が無い』ように見えていた。

 あの人は本当にライブでギターを弾いて歌うのが好きだった。
 三年付き合って理解出来ない事も多かったけど、それだけは確かだ。
 そんな人が好きな事を仕事に出来るプロの世界に全く興味が無かった筈はない。
 その証拠に、そういった話をすると浅野さんはいつも不機嫌になった。
 浅野さんは図星の時はいつも不機嫌になったから……。

 浅野さんはオリジナルの曲を書かなかった。書かなかったのか、書けなかったのかはわからないけど、私は書けなかったんだと今でも思っている。
 更に他人に合わせる事が出来ない人だから自分のやりたい事しか出来ない、全くプロの世界には向いていない人、きっと本人もわかっていたんだろう、自分の理想がプロの世界では通用しない事を。
 かと言って彼らのような柔軟性や情熱が浅野さんにあったとして、それはもう浅野さんでは無い。

 プロになる事だけが音楽をする手段では無いから、浅野さんは浅野さんのやり方で音楽を続けてくれていたら良かったのに、生きていてくれさえすれば、いつだってまた好きなタイミングで音楽に戻って来られたはずなのに……。




 ロックバー『ドアーズ』への出勤前、今日夫は昼過ぎには自宅を出たので夕方まで一人でのんびり過ごし、急に思い立っていつもより少し早く自宅を後にした。

 電車に乗り、降りる駅は同じ。
 向かったのは『ドアーズ』とは反対の方向。   
 ここへ来るのはあの日以来、二度目だ。

 ライブハウス『HARVEST』

 杉浦くんはどんな想いで初めてあのステージに立ち、そんな杉浦くんをリナはどんな想いで観ていたのか。

 今日も誰かのライブが行われるようで周辺にはバンドのTシャツを着た若者たちがオープンの時を待っていた。
 そんな彼らの間を抜けて壁に貼り付けられた一枚のポスターの前で立ち止まる。
 CDのリリースと次のライブの予定が書かれた彼らのポスターは、完全に身内の欲目だろうけど、他のどのバンドのポスターより私の目には輝いて見えた。
 スマホでポスターの写真を撮る。
 振り返って、数メートル程その場から離れもう一度振り返り今度は『HARVEST』が入る建物全体の写真を撮ってから、私は『ドアーズ』へと向かった……。





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