グレープフルーツムーン

青井さかな

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chapter 3

歌い続ける理由は(2)

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 22時前、テーブル席はほとんど埋まっている。
 今日は樋口くんは休みで、カウンター内は私とマスターの奥さん、マスターは先程からずっとテーブル席の常連客に声を掛けて回っている。
 店内にはお客さんからのリクエストでディープ・パープルのアルバム『マシン・ヘッド』が流れていた。

 オーダーのラッシュも落ち着いたので奥さんと奥さんの前に座っている常連さんと話し込んでいると店の扉が開いた。
 顔を見せたのは、ここへ来るのは何ヶ月ぶりだろう、杉浦くんだった。

「こんばんは」

「……いらっしゃい」

 カウンターの一番奥の席に座る。

「ビールで良かった?」

 返事を待つより先にビールグラスに手を伸ばす。

「はい、……すみません、全然来れなくて、あれから、ずっと気になってはいたんですけど」

 ビールを受け取りながら言う。湊くんといい、本当に真面目だなこの子達は。

「ずっと忙しかったんでしょ?たまに阿部さんが来て嬉しそうに嘆いてたよ。やりたい事、やらせたい事、やらなきゃいけない事が多すぎて時間と人手が足りないって。湊くんも、一度だけメッセージくれて近況教えてくれた」

「そうなんですか、あいつ」

「元気にしてるから心配しないでくださいって、真面目だよねキミたち」

 ここのところ思っていた本音がつい口から出てしまった。

「……バンドマンとして真面目って評価は正直どうかと思うけど、そうですね、何だかんだ全員根は真面目なお人好しばっかですね。こんなオレを見捨てずにいてくれた」

 言葉はまだ少し後ろ向きに思えたけど、表情は明らかにこの前までとは違って見える。

「あの、理香子さん、やっぱりまだ連絡つかないんですか?英理奈さんと…」

「あぁ、うん。電話はずっと繋がらないけど番号は変わってないと思う。メッセージも見てくれてはいるみたいだし」

「そうなんですか?」

「うん、メッセージは毎日送ってる。うざいと思われていようがリナが戻って来るまで絶対止めないって決めたから」

「……そうだったんですね」

 私から視線を外して呟く。

「リナに、会いたい?」

 私のその質問に再び顔を上げて、しっかり私の目を見て答えてくれた。

「はい」

 湊くんの部屋で話をした時にはかなり困惑していたようだったけど、この二ヶ月で落ち着いてくれたようで良かった。

「うちのメンバーとも話したけど、また会えたからといってどうしたいっていうのは正直今はわからないんです。だからこそもう一度会いたいというか……。オレずっと逃げてたから、自分の本当の気持ちから。忘れられないくせに無理してなんでもないふりして全部英理奈さんのせいにして、オレがちゃんと自分とも英理奈さんとも向き合おうとしなかったくせに……。理香子さんが教えてくれた英理奈さんの気持ちも、あの頃のオレなら信じられなくて、きっと受け止められなかった。今になってわかって、今更だけど嬉しかったんです。あの日々の全てが無駄では無かったんだなって……。今のタイミングで知れて良かった。また何か始まるのかこれでやっと終われるのか、どっちにしたって英理奈さん本人がいないと、どうにもならないから」

「そうだね」

 リナが今何処で何を想っているのか、これ以上は私にだってわからない。

「前にも言いましたけど、今オレに出来る事は曲作って歌う事だけだから、英理奈さんにもいつかまた、届くと信じて」

 その表情に、もう迷いは感じられなかった。

「そっか。けど、待つのも良いけど、自分から連絡してみたら?消してないんでしょ?連絡先」

「なんで知ってるんですか?」

「……何となく」

 適当に言ってみたけどやっぱり消してなかったのか、未練あり過ぎでしょ。多分リナも消してないような気がする。

「まぁ、私からの連絡全部無視で杉浦くんからの連絡にいきなり反応があったら、私としてはさすがにちょっとどうかと思うけど」

 私の発言に彼はさっきから顔を赤くしたり青くしたり忙しそうだ。本当に素直だな。これでなんでリナは彼の気持ちに気付けなかったんだろう、こんなにわかりやすいのに。

「少し、考えてからにします」

「まぁ無理はしないで。本当に今いろいろ大変な時なんでしょ?考え過ぎてまた調子崩したら今度こそまずんじゃない?」

「そう、ですね」

 そう言って浅野さんと良く似た顔で全く違う笑い方をする。……リナも彼のそういうところから目が逸らせなくなって、彼の本質にどんどん惹かれていったのかな。

「理香子さん、トム・ウェイツの『クロージング・タイム』あります?」


 
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