新緑の少年

東城

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患者

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医大六年で国家試験に合格し、卒業後、研修医になった。
研修期間は複数の部署を回る。
小児科で三カ月、整形外科で二カ月、救急病棟で一カ月。
さすがに救急病棟はきつかった。
つぎつぎ運ばれてくる患者。息つく暇もない。
ナース、先輩医師はタフな体育系な人たちばかりだ。
救急病棟は自分には無理だと一日で感じた。
体力的にも精神的にも限界だった。大量の血がきつかった。
とくに交通事故の場合、大量出血を見ているだけで卒倒しそうになった。
夜勤や徹夜も当然ある。
おぼっちゃま育ちのゆるいメンタルの僕には到底務まらない仕事場だった。

次の研修場所は免疫科。
無菌室に入るときはわくわくした。言葉のとおり、菌がいない部屋。
免疫科には免疫力が相当弱っている入院患者がいて、健常者にはなんでもない菌でも感染すれば重篤状態に陥り、死亡することもある。
その科には半年いた。楽だった。大量の血を見ることもなく、フロアーもきれいで静かだった。将来ここで働きたいと思った。

ある日、外来で三十代半ばの男性が診察にやってきた。ボロボロのやさグレた中年だった。
診察が終わり、その患者が帰った後、ベテランの女医が言った。
「もう発症しちゃってるから、あー、もって半年かもね。桐野くん、カルテ見る?」
手渡されたカルテにはヒト免疫不全ウイルス感染と書かれている。
「あの人、ゲイで性交渉で感染しちゃったみたいよ。最近、そういう人、多いみたいね。よそで検査してもらったら、思いっきりポジティブ。おまけにもう手遅れ。うちでどうしろっていうのよ」
「余命僅かってことですか?」
「だって、エイズよ。エイズ。早めに病院にかかっていれば、発症は薬で止められたのにね」
女医の言葉には同情は感じられず、面倒な患者としか思っていないようだった。

二週間後、その男性が入院してきた。インテリで頭の良さそうなニヒルな男性で、矢向さんといった。
たまに回診にいくと、世間話しをした。
職業はフリーのジャーナリストで、よくしゃべる人だった。二十代の時は新聞記者もしていたらしい。

早朝、水をジャグに用意して持って行った。
医者の仕事ではないが、矢向さんに興味を持ったのだ。
個室の病室に入りジャグをテーブルに置く。
「研修はどう?」矢向さんに聞かれた。
「ええ、ぼちぼち」
「君、医者に向いてないよ。なんで医大に行ったの?」
失礼なおじさんだな。いらっとした。
「親は法学部に行って欲しかったみたいですけどね」
「勉強もできたから、親に反発してってことか」
「そうですよ」
本当の理由は国立法学部に落ちたからだ。
無謀すぎるし無理だから止めとけと高校の進路指導の先生に言われたのに東大を受けた。
思いっきり滑った。
たまたま受けていた私立医大に受かっていたので、東大受験に玉砕し心が折れた僕は医大に進んだ。

くくくと矢向さんは笑った。
「俺みたいにならないように気を付けないとな」じっと僕を見て言った。
「え?」
「エイズに罹るなってこと。君、ゲイだろ?」
「はあ?」
「分かるんだよ。しゃべり方とか雰囲気でさ」
なんでもズバズバ言うおじさんだった。
随分元気そうだけど、本当に余命半年なのだろうか。
自分よりかなり年上の人は恋愛対象ではなかったが、話の面白い矢向さんに惹かれた。
よく病室を訪れおしゃべりをした。

たまに矢向さんの友達がお見舞いに訪れ、病室は賑やかになった。
矢向さんの行きつけのゲイ・バー「ベアー」の常連客たちだった。
「矢向ちゃんの好きなぶり大根作ってきたわよ」おねえ言葉のなよなよした若者が言った。
「筑前煮とビールも買ってきたわよ」がたいのいい青年がコンビニの袋を差し出した。
ゲイ仲間がくると病室は二丁目のパブ化した。
僕も酒をすすめられたが断った。
彼らの会話を聞いているだけで楽しかった。
できるならもっと参加したかったが、病院に自分もゲイだと知られるのが怖かったので、あまり深入りはしなかった。
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