濫觴のあとかた ~Truth like a lie complex~

九葉ハフリ

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第2章 艶のある影を踏んで

1-3 梓乃視点

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「今日は災難だったね」と、笑う声。

 こちらの気も知らないで、椅子の背もたれに腕を垂らしながら顎を乗っけて、弥月が他人事のように軽口を叩く。

「改めて謝罪させてもらうよ。君には大変迷惑をかけた」
「……それが人に謝る態度か」

 それに大して改まってもいない。
 私のことをおちょくっているのだろうか。

「───なに、僕と君の仲だろう?」

 彼は戯けたように肩をすくめてみせた。
 ため息は尽きない。彼の辞書にはおそらく、親しき仲にも礼儀ありという言葉が漂白液でべっとりなんだと改めて思わされる。
 なにより。散々逃げておいて響くものもない。

「………」

 一年前の私は何を血迷っていたのか。一度でもコイツと会ってみたいと思ってしまったあの時の私を消し去ってしまいたい。
 部屋の照明がチカチカと点滅する。
 些細な後悔すら表に出てしまうくらいには参っているみたい。
 落ち着け落ち着けと、私は目を瞑って息つくように念じる。寸前にちらついたあの軽薄で憎たらしい笑みもついでに黒く塗り潰した。
 
 カーテンを閉め切った窓の奥には、常世の闇が広がっている。
 外界はまだ夜が明けていないのだろう。
 黄緑を基調とした色とりどりの花柄をあしらえたベッド。他の内装も私の好みに合わせ、庭園を彷彿とさせる造りになっている。“現実”の私の部屋の間取りを参考に相応の月日を掛けて作り上げていった、私たち二人きりの空間。だから、ちょっと古めかしいのはご愛嬌。
 ここは現実の私たちが眠ると、夢を見る代わりに訪れてしまう場所。現実から隔離された密室。夜の間に限らず、昼寝の束の間にふらりと漂着することもしばしば。元々は何もない純白の地平線がどこまでも続く寂しいだけの場所だったのだけど、外で生活を送るようになってから、次第に色彩ものが増えていった。
 この空間を共有する関係にある浦野弥月かれとは、何故か初めから一緒だった。
 でも、姿形は当初とは似ても似つかない。初めて会った時の弥月は──到底、人とは呼べなかった。ライオンのように強靭な巨躯を持つ、黒い狼の姿をしていた。人の言葉を話せず、真紅の瞳にその巨躯にさえ身に余るほどの殺意を滲ませ、およそ本能に身を焦がす獣そのものだったのだから。
 ……いや、一部に限って言えば、いまだに狼だった頃の名残りを持て余しているのだけど。
 

「あの頃のほうがまだ可愛げがあったと思うのだけど……」

 人の姿になってからというもの。太々しい態度がますます堂に入って、最近では私の神経を逆撫でしてくることが多くなった。こういうのを、飼い犬に手を噛まれた、と世間では言うのだろうか。

「何をぶつぶつ言ってるのさ?」
「別に何も。ただ、どうして陸ノ内くんといたのかなって」

 私の前からいつも逃げる理由について、そのことはもう問い質すことを半ば諦めている。かれこれ二週間も押し問答を繰り広げてきたうえに、その疲労が次の日にも持ち越す羽目になることも合わされば、当然ながら嫌気も差してくる。そもそも今日は分が悪い。掘り下げようとすれば、私のほうが墓穴を掘りかねない。
 だから今回は、切り口を変えてみようと思っての話題逸らしだった。

「なんだ、そのことか」弥月が目線のみ天井を見上げる。「高校に入ってから不思議と、校舎内をふらりと散歩したくなる気分になることが多くてね」

「……へー」ああ、ほんとに。思わず肺の震えの抑えが利かなくなりそうになった。

「それでたまたま出会ってね。意気投合してさ。僕らの溜まり場だったんだよ、あそこ」
「───そう、なんだ」

 しかし、不覚にも意外なモノを目撃してしまったというべきか。
 友人が出来たことを衒いもなく楽しげに打ち明ける弥月の様子が、私の目にはかなり新鮮に映るのだった。
 すると、弥月が何かを呟いた。

「へ……ごめん、なに?」
「そういう梓乃だって、友達ができたみたいじゃないか」
「と、友達?」
「確か君と同じクラスとか言ってたな。えっと、ほら。なんか、果物みたいな響きをした名前の女の子」

 弥月がうんうんと唸っている。なんとか思い出そうとしているものの、いつもの事ながらちっとも顔を思い浮かべられないでいるみたい。

「果物?」

 思ってもみない例えに思わず首を傾げる。
 弥月が言う果物とは、林檎とか蜜柑といった辺りだろうか。
 そんな甘ったるい名前、ウチのクラスで聞いた覚えなんてなかった。でも、思いの外すぐにピンと来た。分類で言えば、確かにあれも果実のうちに入るんだっけ。

「鵜里さんのこと?」
「うさと?」
「鵜里くるみ」
「あー、大体そんな名前だったかな」と、弥月が背後へ脱力するようにして上を向いた。

 人の名前に大体もないでしょうに。適当にも程がある。

「でも、なんで弥月が鵜里さんのこと知ってるの?」
「いや。面倒見がいいのか何なのか知んないけどね。職員室に向かってる途中で僕の連絡先を聞かれたんだよ、君の友達ですって」

 疑問符が頭上に尽きない。
 そういえば、私も職員室を出たあとに鵜里さんと鉢合わせ、それから校門の前まで一緒に下校することになり、そこで初めてクラスの人と連絡先を交換したんだった。鵜里さんにしては強引だな、とは思っていたのだけど、まさか弥月にもしていたとは。

 ぱたりと会話が途切れる。
 私も弥月も、お互いに顔を見合わせ、また首を傾げた。
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