濫觴のあとかた ~Truth like a lie complex~

九葉ハフリ

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第1章 白醒めた息止まり

2-8

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 寄木に患者を受け渡したあと、僕らは帰路についた。
 しかし一日を終えるにはまだ早い時間帯という事もあり、地下鉄から地上線を乗り継いで、僕は寄り道をすることにした。といっても目的地はない。気儘に赴くまま、北東の終点を降り、とりあえず駅前のベンチに腰を下ろした。碧菜は終始無言で僕の後をついてきた。

 ごつごつとした閑静な町並み。工場街として栄えていた名残で道幅は広め。そのおかげか、疎らな人通りがいっそう物寂しさを誘った。表面を這う風は次第に橙の気を帯び始め、油蝉の声は相変わらず白昼の熱を引き留めていた。

 しばらくぼんやりしていると、碧菜がぽつりと口を開いた。

「……大丈夫なの?」
「ん、なにが?」
「体調のこと。あまり、よくなさそうだから」
「ああ、それでついてきたんだ」
「依頼とはいえ、巻き込んだのは私だし。……私にも責任があるというか」
「気にすることはないと思うけどね。これに関しては、僕の油断が招いた不調なんだから」

 僕はへらへらと笑ってみせる。
 それでも碧菜は納得しきれないようだった。僕が困るでもなし。この場合、好きに放っておくのが無難な選択だろう。

「一つ聞きたいんだけどさ」
「なに?」
「なんで、今回の依頼はいつもより前のめりだったのかなって。前回はまあ、相手が子供だったし、わからないでもないけど」

 暇つぶしに僕がそう問いかけてみると、碧菜は顔を伏せてしまった。どうも答えづらい質問だったらしい。しょうがない、と僕はまた周囲の町並みを眺める。しかし程なくして、碧菜が訥々と語り始めた。

「家出の子を探す依頼があったでしょ、一週間前に。その時に私、あの男の人を見掛けてたんだ。慌てた様子で走り去っていく姿まで。きっと、殺人を犯したあとだったんだと思う。死亡推定時刻もちょうど重なるくらい。……私がこの力を使っていれば、もしかしたら救えた命だったかもしれない。そう思ったら、居ても立ってもいられなくなったの」

 そこにタイミングよく依頼が舞い込んだ。封筒越しに写真の人物を透視た途端、碧菜は事務所を飛び出していった。後先考えず、衝動のままに。しかし、ひとりでは相手を見つけることはできても、捕まえることまでは難しい。そこで僕を頼った。

 巻き込んだのは私、と碧菜はしおらしい態度でこぼしていた。僕の後をついてきたのは責任とはいうが、被害者に対する思いもひっくるめて負い目が碧菜の背を押していたのだろう。
 あまりにも不器用な先輩だ。常人よりも目の届く範囲が広いぶん、どうも気負いすぎるキライがある。

 そしてきっと、僕には一生縁のない世界の話だ。

「───君は、違うの?」
「うん? えっと、なんの話?」
「だって、いつもやる気ないとか嘯きながら、結局私のやる事に付き合ってくれるじゃん。君も私と同じだから、そうだと思ってたんだけど」
「いや、僕の場合は──」

 誤解を解こうとするが、生憎と相応の答えを持ち合わせていなかった。むしろ碧菜よりももっと漠然としていた。頭を捻っているうちに、そこでふと、寄木たちの仕事を手伝うきっかけとなったクリスマスの夜を思い出した。あの時も今日も、僕の背を押した言葉は一つだった。

「まあ、自分の欲求に従っているだけだよ」

 言葉にしてみて、我ながらしっくりきたつもりだったのだけど。

「……嘘つき」

 碧菜には不評だったらしく、呆気なく跳ね除けられてしまった。
 

「家に帰らないの?」

 と、しばらくの沈黙のあと、碧菜が僕の顔色を窺ってきた。

「もしかして、帰りづらい……とか?」
「んや、別に碧菜ちゃんが想像しているような深刻な話じゃないよ。僕に妹がいるのは知ってると思うけど、今日は友達と遊ぶからって家を追い出されたのさ。酷い話だろう? なんでまぁ、その子が帰るまで外をふらつくつもり」

 改めて考えると、果たして僕が外に出ていく必要はあったのだろうかと甚だ疑問である。何も用がなければ僕は部屋に篭りきりだろうし、妹の友達とやらに興味もない。アイツは何を嫌ったんだか。
 すると、碧菜が小さく吹き出した。

「何がそんなに面白いのさ?」
「───ううん、面白いとかじゃなくて。楽しそうでよかったね」

 僕は釈然とせず、むっ、と黙り込むしかなかった。
 こうして、僕の夏休み最初の一日は、漫然と暮れていった。
 
     ◇
 
 七月末ごろになると、警察による違法薬物密売の疑いがある組織への一斉検挙が始まった。逮捕者は続出。プラットフォーム型の労働形態の運営に携わっていた幹部のほとんどが逮捕された。しかし、取締役にあたる人物はすでに逃亡してしまっていて、どうも海外に拠点があるかもしれないとか。蜘蛛の巣の端っこが誰かの手によって切り落とされたような、いまいちすっきりとしない、不透明な終結を迎えた。
 組織に属する人物からの内部告発と、資金の流れから組織の犯行が明るみになったらしい。企業側が責任を負わないその実態から、プラットフォーム型就労の在り方に現行の法制度が追いついていないのでは、という指摘がいま世間の語り種になっているようだけど、僕にはさっぱりだった。

 例えば朝のニュースでは、警察の手による摘発が行われる前にあった、企業への提訴内容が取り上げられていた。

『弁護士の幅目はばまさんによれば、提訴の法的根拠には民法七〇九条および七一五条が用いられたとのことですが──』

 個人の苦しみは、議論の根拠にすげ替わった。そんな印象だ。

 法改正案の方向に議論が先行すると、今度は個人個人への注意喚起に移行していく。思い出したように薬物乱用の事例も持ち上がる。あっちこっちの枝葉を啄むような展開に僕は次第にうんざりし、ついには情報を追うのをやめ、スマホをベッドの端へと追いやった。
 
     ⭐︎⭐︎⭐︎
 
「例えばの、話なんだけどね」

 と、梓乃が上の空気味に切り出す。

「なんの音沙汰もなかった友達が連絡もなしに町に帰ってきていて、元の家に暮らしていたら、弥月ならどうする?」
「どうするも何も。意図が読めないな。普通に会いにいけばいいんじゃないの?」
「……そうよね」

 口ではそう呟くものの、どうにも煮え切らない様子だ。
 僕が梓乃の顔を横目に窺っていると、梓乃も僕の顔をちらりと一瞥した。口篭っている。いい加減、見るに見兼ねてきた。

「要領を得ないね。その友達とは喧嘩別れだったのかな?」
「ううん、そういうわけじゃない。そっちはなんというか、そんな事も一切できないまま、突然いなくなられたというか」

 中学二年の夏だから、ちょうど二年前のこと──。
 と、梓乃が補足する。なおさら躊躇する理由が見えないけど、この様子じゃ、他にも隠し事がありそうだ。

「君らしくもない。はっきりさせたいことがあるなら、いつもみたく問い続ければいい。その尻拭いは、僕がやってあげよう」
「……なにその上から目線。あとそこは尻拭いじゃなくて、せめて後始末とか肩代わりって言ってほしいな」

 注文が多い幼馴染さまである。

「でも、弥月がそういう事してくれた試し、今まであった?」
「いやいや、これでも得意なんだ。他人の後始末。なんなら稼ぎにできるほどにね」

 胡散臭げな目で僕のことを見る梓乃。
 しかし、少しはこっちの励ましも届いてくれたようで、一度目を閉じてから梓乃がそっと小さく呟く。照れ隠しのつもりかもしれないけど、ここには僕と梓乃のふたりきり、遮るものは何もなかった。

「そ。期待はしないでおく。あくまで、私の問題なんだし」
 
 それは、濡れそぼっていた七月もちょうど揮発する夜更けのことだった。
 
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