17 / 36
第1章 白醒めた息止まり
3-4
しおりを挟む───その日は、土砂降りの雨だった。
夏休みも折り返しを過ぎた八月中旬。
降ったり止んだりを繰り返す不安定な天気を横目に、中学二年の巌貫怜耶は後部座席の窓に滴る雫の軌跡を人差し指でなぞった。
怜耶たち三人家族を乗せた車の進みは、遅々としていた。数時間以上にも渡る待ちぼうけ。社会通念上、お盆休みの最終日は下り方面が空いているというが、今回はその例外に遭遇した結果だった。
県境で事故が起き、高速道路の一車線が封鎖されているのだという。
先ほど、怜耶の両親がスマホと睨み合い、運がないとぼやいていたのを怜耶は後ろで耳にしていた。スマホを持たされていない怜耶は両親が狭い画面を覗き合うその様子をどこか遠目にしつつ、退屈し通しだった家族旅行の帰宅が伸びることに内心ため息をついた。
そもそも、怜耶は今回の旅行に乗り気ではなかった。
ここのところ、家族との距離は開きがちであった。過保護な両親の存在が疎ましく感じる事も、おそらく仕事関係でピリピリしている様子も、一度も目を合わせられない食事も。一日に必要な量の酸素を肺に詰め込む毎日。そんなすれ違い続ける家族の仲を取り直そうと、怜耶の父親が主催したのが今回の二泊三日の小旅行だった。しかし、言外に見え透いた考えは白けさせる一方で、察してくれそうもない気遣いはストレスが溜まるばかり。結局のところ、当初怜耶が予期した通り、旅行中はひたすら見えない膜に取り巻かれるようで、大して息抜きにもならなかったのだ。
渋滞を抜け、高速を降りた頃には、空はすっかり墨色に染まっていた。
月の光も射さない曲がりくねった山道を、一台の車が制限速度をオーバーして突き進んでいく。アクセルを踏む怜耶の父は、自分が出している速度にまったくの無自覚のようだった。時折急なカーブに差し掛かると、慣性で体勢が崩れそうになるので、怜耶はそんな父の運転の荒さに辟易した。
想定外に長引いた帰路は、ぬるま湯のような冷房によってべたつく眠気に引き摺られるよう、走行の振動のみがやけに耳に障る沈黙が支配的だ。相変わらずの後部座席では、怜耶がシートベルトを外し、膝を抱えながら夜の森の凹凸模様を薄目に眺めていた。
母親は助手席で眠りこけている。
何事もなければ、この光景が染みになったまま、我が家に辿り着くのだろう。
怜耶はそんなことを頭の片隅で思った。
物事の終わりはいつだって、ぼんやりとした闇のなかに浮上する。
それは水底の泡のように。遠くに聴こえるサイレンのように。
最後に聞いた父の声は、悲鳴。情けない嗚咽。母の惚けた吐息。それらはガードレールを突き破るとてつもない衝撃に紛れ、崖下の樹木にぶつかる爆音にあえなく掻き消された。
粘土で塗り固められたように重たい瞼を開けると、そこは見知らぬ病室。天井は、まるで青白く靄がかったように冷たい感触を起こした。
夢から醒めたら、また次の夢が始まった。
ぽっかりと拍子抜けするような、現実味のなさ。
覚醒直後の金縛りや喉の渇きが、いっそう彼女の認識を酷く掻き乱した。
自分の呼吸が意味のない聞くに堪えない喚き声に聞こえるなんて、それこそ虫唾の走る夢のようだったのだから。
事故という話だった。
あれから一週間が経ち、その時の出来事を覚えていますかと丁重に問われても、やはり現実味は病院の朝食ほどもなかった。
けれど、事故という二文字。
それはまさに遭う数時間以上も前に耳にしていた。
他人事のように聞き流していた単語。
両親が狭い画面を覗き合っていた光景が、怜耶には不思議とありありと思い出すことができた。父の渋い顔。母の淡々とした顔。幼い頃から見飽きたような情景。記憶の中にあるリアルな湿度。
よくありがちな話だという。
──ああ、確かにありがちなのでしょう。
疲労と視界の悪さが祟り、突然現れた障害物を避けきれず、ガードレールを突っ切って車ごと落下してしまう。前方の座席は落下の衝撃でぺしゃんこになり、両親は目も当てられない無惨な姿と果て、後部座席にいた一人娘は奇跡的に一命を取り留めた。
刑事や医者の方々に弁護士までもが口を揃えて話すのだから間違いない。
けれど。
「そんなに、呆気ないものなの?」
それに答えてくれる誰かは、ついに現れなかった。
0
あなたにおすすめの小説
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
ちょっと大人な物語はこちらです
神崎 未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な短編物語集です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
旧校舎の地下室
守 秀斗
恋愛
高校のクラスでハブられている俺。この高校に友人はいない。そして、俺はクラスの美人女子高生の京野弘美に興味を持っていた。と言うか好きなんだけどな。でも、京野は美人なのに人気が無く、俺と同様ハブられていた。そして、ある日の放課後、京野に俺の恥ずかしい行為を見られてしまった。すると、京野はその事をバラさないかわりに、俺を旧校舎の地下室へ連れて行く。そこで、おかしなことを始めるのだったのだが……。
春の雨はあたたかいー家出JKがオッサンの嫁になって女子大生になるまでのお話
登夢
恋愛
春の雨の夜に出会った訳あり家出JKと真面目な独身サラリーマンの1年間の同居生活を綴ったラブストーリーです。私は家出JKで春の雨の日の夜に駅前にいたところオッサンに拾われて家に連れ帰ってもらった。家出の訳を聞いたオッサンは、自分と同じに境遇に同情して私を同居させてくれた。同居の代わりに私は家事を引き受けることにしたが、真面目なオッサンは私を抱こうとしなかった。18歳になったときオッサンにプロポーズされる。
甲斐ノ副将、八幡原ニテ散……ラズ
朽縄咲良
歴史・時代
【第8回歴史時代小説大賞奨励賞受賞作品】
戦国の雄武田信玄の次弟にして、“稀代の副将”として、同時代の戦国武将たちはもちろん、後代の歴史家の間でも評価の高い武将、武田典厩信繁。
永禄四年、武田信玄と強敵上杉輝虎とが雌雄を決する“第四次川中島合戦”に於いて討ち死にするはずだった彼は、家臣の必死の奮闘により、その命を拾う。
信繁の生存によって、甲斐武田家と日本が辿るべき歴史の流れは徐々にずれてゆく――。
この作品は、武田信繁というひとりの武将の生存によって、史実とは異なっていく戦国時代を書いた、大河if戦記である。
*ノベルアッププラス・小説家になろうにも、同内容の作品を掲載しております(一部差異あり)。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる