濫觴のあとかた ~Truth like a lie complex~

九葉ハフリ

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第1章 白醒めた息止まり

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 ひとときも気が休まる気配もなく、あれから一週間以上が過ぎた。
 今年も昨今の八月に漏れず、連日猛暑が続いている。
 警察署はどこの部屋も冷房が効いていて、私にはちょっと肌寒く感じる。にっこり笑顔がやけに似合う女性の検察官による事情聴取からもやっと解放され、待合席のある受付まで戻ると、弥月が待ってくれていた。
 すると、私の帰還に気がついた弥月が大きく手を振った。

「……ほんとにばかじゃないのっ、あいつ」

 当然のように注目を集める。私は急に頬が熱くなるのを感じ、さっさと弥月のそばへ向かい、手を引っ張って建物を飛び出した。

「終わったみたいだね」

 出入り口を通過する途中、後ろであまりにも呑気な発言を繰り出す弥月のことが、今は少しだけ、憎らしかった。

 
「検察には、なんて?」

 場所は変わって、とあるショッピングモールのフードコート。
 夏休みのど真ん中とあって、家族連れはもちろんのこと、周囲は仲のいい友達同士で涼みに来ている学生の姿で溢れている。こそこそ話をするまでもなく、私たちの声はそんなありきたりの雑踏に泡のようになって紛れ込む。

「たぶん、弥月が想像している通りの事しか聞かれてないよ。事件当時の事とか、怜耶との関係とか、犯行に巻き込まれたことに対する思いとか、そういう退屈なことばかり。あ、でも、裁判所の証言に立つ意思はありますかって、そこはなんか強調されてたような気もする」

 ふーん、という暖簾に腕押しのような頷き。
 対面の席を見ると、弥月がさっき一緒に並んで買ってきたポテトを摘んでいる。
 私はアイスコーヒーで満たされた紙カップを持って、ちびちびと喉を潤す。

「……聞いてきた割に興味なさげ」
「そりゃ、君が言った通り、予想通りな答えだったからね」

 だとしたら、意地が悪い。いつものの事とはいえ。

「梓乃は知ってるかな」弥月が何気なく切り出す。「ま、これは僕も知人から教えてもらったことなんだけど──去年まではね、事件を引き起こしたSIA患者に対する起訴そのものが厳しかったらしいんだ。今年の三月あたりに法改正が可決されて、最近になって起訴や捜査対象としての接触を限定的とはいえ、許されるようになった」

 つまり、検察は今回の件でかなり躍起になってるんだよ──。

 と、弥月は日常を語るように事件の裏側じみた視点を話す。

「僕の知人は、重要なサンプルになるとか嘯いていたけど、君の大切な友人が大変になるのは、むしろこれからなのかもしれない」

 甘美な夢から覚めた後に待ち受けるのは、ただ厳しいだけの現実。
 怜耶はそれに嫌気が差し、眠気を誘うような緩やかな自殺を望んだはずだった。でもけっきょく、その望みは果たされることなく、罪として残留した。
 いつかのやるせなさばかりが、胸に去来し、きゅっと締め付けていった。

「……怜耶は、私に何を求めていたのかな」
「───さぁ。止めて欲しかったんじゃない?」

 いつにも増して投げやりに聞こえる弥月の返答は、しかし私自身の反照のようでもあった。

 大勢の人の話し声が、耳の中を掻き混ぜる。
 賑やかな空気。通り過ぎていく人々の顔。どれも、今を楽しんでいる表情。
 弥月のほうを振り向く。彼はぼんやりとした面持ちで、エスカレーターに搭乗する二人組や、周りの目も気にせずにはしゃいでいる私たちと同い年くらいの五人組を眺めていたりしている。

 私は、あれから棘のように刺さり続けている怜耶と交わした会話の記憶を弥月に話した。打ち明けるなら、今しかないと思った。

 弥月が私のことを律儀や優しいと評したように。
 怜耶が私のことを、厳しい人、と評した薄明の時を。

「……ますますあの子とは気が合いそうにないな」

 珍しく苦虫を噛み潰したような表情を見せる弥月。
 続きを促すよう、私はわざと首を傾げてみる。

「梓乃の怒りは、ようするに悲しみなんだ。大抵の人間は“いけないこと”は“いけないこと”です。それだけのトートロジーで思考を閉ざしてしまう。安全圏にいると思い込んでいる人間が、本心では“ああなりはしない”って高潔ぶって良識を欠き続けてるのさ」
「……それって、前にも私に同じようなこと言ってなかった? “私なら、そんなことにはならないのに”──みたいな。なのに優しいだなんて、なんだか矛盾してる」
「ん? 別にしてないよ。だって、梓乃はそこで満足できなかったんだろう。だから僕は言った。いつもみたく問い続ければいいって」
「……あ」

 あれって、前の続きだったんだ──。

「もしかしたら一生かけても答えは出ないかもしれない。でも、それでも梓乃なら問い続けるだろう。君は、他人の弱さをそのままにはしておけない子だから。僕は、ただ隣で眺めるだけだよ」

 弥月の言うことは、私の耳には尤もらしく聞こえる。少なくとも、まったく間違っているとは思えない。でも、どこか私を見ているようで遠い場所を見ているような気がしてならず、私はなんとなく反感を覚え、思わず唇を尖らせた。

「……なんだそれ」

 そんな不平が口を衝いて出たものの、それ以上は続かなかった。
 

 帰りのバスでは、夕立の雫が窓を滴った。
 台風が近づいているのか、天気が不安定みたい。
 あいにく傘の持ち合わせがなかったので、バス停に向かう道すがらで降られてしまったこともあり、私も弥月も服がびしょ濡れだった。

 隣に座る弥月の横顔を見上げてみる。ふと目が合う。

「顔に何かついてた?」と、弥月が訝しむ。
「……あっちだと私たちって背が同じくらいなのに、こっちだと“すこし”見上げないといけないのがなんか癪だなぁ、って」

 いつまで引きずってんのさ、と呆れたように笑われてしまう。

 今まで散々積み重ねてきたものと一つも変わらない、明日には忘れてしまうような会話。

 怜耶と一緒に過ごした、たった数日の生活を朧げに思い返す。
 まだ、全てが終わってしまったわけではないけれど。
 あのひと夏の恋にも満たない日々に抱いた物足りなさは、こんな他愛のなさだと、私には思えた。
 
     ####
 
 透明な仕切りを間に介し、二人の男女が顔を合わせていた。
 病的なまでに清潔感を醸す純白の密室のなか、車椅子に腰掛けた少女──巌貫怜耶がスーツを着た男の顔を見て、口を開く。

「もしかして、弁護士の幅目さん…でしょうか?」

 幅目が目を瞬いた。
 しばらくの沈黙の末、怜耶が不安そうに顔色を窺う。

「……違いましたか?」
「───ああいえ、すみません。……まさか、私の事を覚えていらっしゃるとは露にも思っていなかったもので」
「こちらこそ、ごめんなさい。本当は覚えていたわけではないんです。お屋敷へ引越しの準備をしている際に、机の中に名刺が仕舞われてあったのを見つけたんです。そこにあなたの名前がありました。二年前にお世話になった弁護士の方がいることは朧げに覚えていたので、もし、今の私なんかのもとを訪れる方がいるとしたら、その方しかいないと──ようするに、当てずっぽうですね」

 ふふ、と怜耶は上品に笑みをこぼす。

「そういえば、二年前のお礼をまだ言えていませんでした」怜耶がそっと頭を下げる。「どうも、あの時はお世話になりました」
「……頭を上げてください。結局、私ではあのような形でしか、あなたのお役には立てなかった。あなたが深く傷つかれている事も、親戚の方々があなたの事をあまり快く思っていない事を悟りながら、私は黙認する事しか出来なかったのですから」
「それでも。幅目さんが私のお願いをきちんと聞き届けてくれた事実に変わりはありません」そこで怜耶がゆっくりと頭を上げ、幅目を見据えた。「でもこれ以上、お時間を取らせるわけにもいきませんものね。それで今回はどんなご用で私のもとをお訪ねに?」

 その言葉を契機に、幅目が表情を引き締めた。

「まずお伝えしなければならないのは、怜耶さんが今回の件で正式に起訴され、刑事裁判が開かれることになりました。裁判には、法定代理人として私が立つことになります。それと並行して、あなたの義理のお姉さんである相為さがい佳美よしみさんが、損害賠償の請求として民事裁判を起こす意向を示されております。───以上が、今回こちらに伺った理由です」

 相為佳美。これまで何度も耳にしてきたはずの単語の組み合わせなのに、怜耶はその名前をいま初めて知った気分だった。

「……義理の姉は、きっと許さないでしょうね。実の母を奪っていった私を」

 一方の父親も、まだ目を覚ましていないという話だ。
 恨まれ、憎まれていたとしても、自業自得としか言いようがない。

「我々は法の代理人です。許しの有無を問うのは、我々の職域を逸脱する。法はその領域には立ち入らない。当事者同士で交わされるべき“対話”ですから。そして我々の務めは、対話の機会を保障することにある。最終的な決断は、あなた方の意思に委ねられます」

 幅目がそこで一息置いた。

「義理のお姉さんはまだ、あなたと対話の意思を残されているようでした」
「──────」

 何度も手を差し伸べられながら、その都度、彼女は手放してきた。払いのけてきた。
 そんな今までに後悔がなかったとは、口が裂けても言えたものではない。

 ……けれど。

 あの月がなかった夜の、大切な友人の懸命な叫びが再生される。
 生き残ってしまった意味。償いきれそうにない罪の重さ。
 これから──孤独に耐え抜くしかないと思い込んでいたはずのものが、どうしてか、一度に決壊していくかのようで、我知らず濡れた頬と指先が触れた。
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