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☆番外編3☆
emotional 3
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-side T-
「司さん。おはようございます」
重いスーツケースと共に家の数寄屋門を出ると、そこには一台の車の横に佇む男が抑揚のない低い声でそう言った。俺のマネージャーになってまもなく2年になる東藤は、希海以上に寡黙なうえ表情は読みづらい。だが、仕事に関して言えば中々のやり手。色々と難しいだろう俺に、問題なくついてきている。
「お疲れ。朝から悪いな」
「いえ」
それだけ言うとトランクを開け、俺の荷物をそこに入れる。この車はレンタカー。今日は飛行機の都合で近場の空港から出発できない。しかも時間は早朝。だからレンタカーで空港まで行き、そこで乗り捨てるのだと言う。
先に後部座席に乗り込むと、あとから東藤が運転席に乗り込んだ。
「では出発します」
それを合図に、車は静かに家から離れて行った。
まさか、また住むことになるなど思ってもいなかった生家。何もかも嫌になって飛び出し、もう二度と帰らないと思っていた。だが、ここに戻るのを提案したのは、他でもない、瑤子だった。
それには両親も驚いたようだった。こんな古い家にわざわざ住むことはない、と親父ですら言っていた。だが瑤子は、壱花が生まれ段々と手狭になってきたマンションを越して違う場所に住むなら、ここで一緒に住まわせてもらえないかと両親に頭を下げたのだ。
俺も最初は戸惑った。いつかはその家を受け取らなければならないときが来るのはわかっていた。が、それはずっと先のことだと思っていた。けれど、瑤子は蟠りのなくなった俺と両親の、失われた家族としての時間を取り戻したいのだと、そう言った。
そんなことを言われて反対できるはずもなく、今年の春、俺たちは長門の家に住み始めたのだった。
だから……心配はいらない
何かあっても、両親もいるし、まどかも近くに住んでいる。頼ることのできる人間はたくさんいる。それでも、瑤子は時々、自分を知らないうちに追い込んでいることがある。だから、さっき久しぶりに見せた憂いのある表情は気になる。
だからって今、俺がどうにかしてやれるわけねぇしな……
そんなことを考えると、自然に溜め息が漏れた。
「何か……心配ごとでも?」
車を走らせながら前を向く東藤からそんな言葉が聞こえた。
「あ? あぁ……。まぁ、ちょっとな」
今から海外に出発すると言うのに、まさか瑤子のことが心配で、なんて言えるはずもなく、俺は歯切れの悪い返事を返す。そして俺は、そのまま東藤に尋ねる。
「お前の子ども、もう何歳だ?」
「うちですか? 3才になりました」
東藤は、淳一の事務所に入る前には結婚し子どもがいた。まだ31才だが、父親という点では東藤のほうが先輩だ。あまり自分から家族の話をする男ではないが、瑤子が仕事を教えていたころは、時々2人でそんな話もしていたようだ。
「こんなに長期で家空けて、嫁には何も言われねぇの?」
今まで東藤を、海外の仕事に同行させたことはある。そのときは長くて10日だった。が、今回はさすがに長い。
「特には。頑張ってね、とは言われましたが」
さらりと惚気のようなことを言われ、俺は苦笑いを浮かべた。そんな俺の表情が、バッグミラー越しに見えたのか、東藤は続けた。
「妻は、私より何倍もできた人です。ただ、困ったことがあっても一人でなんとかしようとするところがあります。なので、その辺りは茉紀さんにお願いしています」
「そういやお前の嫁、淳一の事務所で働き始めたんだったな」
「はい。社長も茉紀さんも、それから瑤子さんにも、大変良くしていただいています」
東藤は淡々とそう言うが、それでもその声には明るさが滲んでいる。
「そうか。ならいいが」
俺はそう言って窓の外を眺める。人気のない早朝の街には、まだまだ強い夏の太陽が降り注ぎ、ビルの影がくっきりと地面に刻まれていた。
瑤子にも、たくさん支えてくれる人間はいる。だから、俺がいなくてもきっと大丈夫だろう。
大丈夫じゃないのは、きっと俺のほうだ。今更そんなことを思い、また溜め息を吐いた。
「司さん。おはようございます」
重いスーツケースと共に家の数寄屋門を出ると、そこには一台の車の横に佇む男が抑揚のない低い声でそう言った。俺のマネージャーになってまもなく2年になる東藤は、希海以上に寡黙なうえ表情は読みづらい。だが、仕事に関して言えば中々のやり手。色々と難しいだろう俺に、問題なくついてきている。
「お疲れ。朝から悪いな」
「いえ」
それだけ言うとトランクを開け、俺の荷物をそこに入れる。この車はレンタカー。今日は飛行機の都合で近場の空港から出発できない。しかも時間は早朝。だからレンタカーで空港まで行き、そこで乗り捨てるのだと言う。
先に後部座席に乗り込むと、あとから東藤が運転席に乗り込んだ。
「では出発します」
それを合図に、車は静かに家から離れて行った。
まさか、また住むことになるなど思ってもいなかった生家。何もかも嫌になって飛び出し、もう二度と帰らないと思っていた。だが、ここに戻るのを提案したのは、他でもない、瑤子だった。
それには両親も驚いたようだった。こんな古い家にわざわざ住むことはない、と親父ですら言っていた。だが瑤子は、壱花が生まれ段々と手狭になってきたマンションを越して違う場所に住むなら、ここで一緒に住まわせてもらえないかと両親に頭を下げたのだ。
俺も最初は戸惑った。いつかはその家を受け取らなければならないときが来るのはわかっていた。が、それはずっと先のことだと思っていた。けれど、瑤子は蟠りのなくなった俺と両親の、失われた家族としての時間を取り戻したいのだと、そう言った。
そんなことを言われて反対できるはずもなく、今年の春、俺たちは長門の家に住み始めたのだった。
だから……心配はいらない
何かあっても、両親もいるし、まどかも近くに住んでいる。頼ることのできる人間はたくさんいる。それでも、瑤子は時々、自分を知らないうちに追い込んでいることがある。だから、さっき久しぶりに見せた憂いのある表情は気になる。
だからって今、俺がどうにかしてやれるわけねぇしな……
そんなことを考えると、自然に溜め息が漏れた。
「何か……心配ごとでも?」
車を走らせながら前を向く東藤からそんな言葉が聞こえた。
「あ? あぁ……。まぁ、ちょっとな」
今から海外に出発すると言うのに、まさか瑤子のことが心配で、なんて言えるはずもなく、俺は歯切れの悪い返事を返す。そして俺は、そのまま東藤に尋ねる。
「お前の子ども、もう何歳だ?」
「うちですか? 3才になりました」
東藤は、淳一の事務所に入る前には結婚し子どもがいた。まだ31才だが、父親という点では東藤のほうが先輩だ。あまり自分から家族の話をする男ではないが、瑤子が仕事を教えていたころは、時々2人でそんな話もしていたようだ。
「こんなに長期で家空けて、嫁には何も言われねぇの?」
今まで東藤を、海外の仕事に同行させたことはある。そのときは長くて10日だった。が、今回はさすがに長い。
「特には。頑張ってね、とは言われましたが」
さらりと惚気のようなことを言われ、俺は苦笑いを浮かべた。そんな俺の表情が、バッグミラー越しに見えたのか、東藤は続けた。
「妻は、私より何倍もできた人です。ただ、困ったことがあっても一人でなんとかしようとするところがあります。なので、その辺りは茉紀さんにお願いしています」
「そういやお前の嫁、淳一の事務所で働き始めたんだったな」
「はい。社長も茉紀さんも、それから瑤子さんにも、大変良くしていただいています」
東藤は淡々とそう言うが、それでもその声には明るさが滲んでいる。
「そうか。ならいいが」
俺はそう言って窓の外を眺める。人気のない早朝の街には、まだまだ強い夏の太陽が降り注ぎ、ビルの影がくっきりと地面に刻まれていた。
瑤子にも、たくさん支えてくれる人間はいる。だから、俺がいなくてもきっと大丈夫だろう。
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