蛇のおよずれ

深山なずな

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第11話 過ち

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 9月の初め、2学期が始まった日の夕焼け時。空はいつにも増して、紅く色づいていた。
 皆が下校しているのに、なぜだか私は突き動かされるようにある場所に向かっていた。
 廊下を歩いて、階段を登る。立ち入り禁止の鎖を跨いで、屋上に続く扉を開ける。

 ビュウっと強い風が吹いていた。

 ……違う

 なぜだろう。意思に反して、私の足は屋上のフェンスへと向かっていく。
 違う。これは私の意思じゃない。 
 誰かに操られているような気分だった。影が私を導いている。悪夢を見ているみたいだった。

 その時、後ろから声が聞こえてきた。

「紅羽……さん?」

 その声は聞き覚えのある声だった。

「紅羽さん!!」

「維頼くん……?」

 声の主は維頼くんだった。

「紅羽さん、こんなところで何やってるの?そこは危ないから早くこっちに来て」

 そう言って私にいつもみたいに手を伸ばしてくれる。
 でも、やっぱりその手は恐ろしい影にしか見えなかった。私はそのことが彼に申し訳なくて、苦しくて、いたたまれない気持ちになった。

「来ないで」

 そう言うと彼は止まる。

「……今さら手を伸ばすの?」

「え……」

「あの時は、助けてくれなかったのに。酷いな……貴方は」

 違う、違う。こんなことを言いたいんじゃない。私は彼に助けてもらえて嬉しかったのに。感謝し尽くせないくらいの気持ちを抱いているのに。なんでこんな言葉が出てくるんだろう。
 気づけば涙が溢れていた。

「さようなら、維頼くん。今までありがとう。私は、

 貴方に出会えて本当に良かった。だって、初めて誰かを好きになれたから……。」
 その言葉は突然吹いた突風に遮られた。最後まで口に出来たのかすら分からない。それから私の視界は地面に近づいて、真っ暗になった。

 しかし……次に私が見たのは、自分の部屋の天井だった。時計は朝6時を指している。いつも通りの朝だった。

 ……?

 何が起きているのか理解できなかった。さっきのは、夢……? あの屋上での出来事は夢の中だったのだろうか?
 それからというもの、なんだか不思議と体が軽かった。影もいつの間にか消えて以前のような感覚が戻ってきていた。
 それから日常にも変化が起こった。いじめがぱったりなくなったのだ。私は平穏な日常を取り戻した。
 ただ、なぜか維頼くんはあの不思議な夢を見た日、私に妙なことを話してきた。

「紅羽さん……」

「なに?」

「あのさ、紅羽さん……昨日屋上に行った?」

「……? 昨日のいつ?」

「いや、何でもない。ちょっと変な夢を見てさ」

 もしかして彼も同じ夢を見たのだろうか? でも、そんなことあるわけがない。私は彼に何も言わなかった。

***

「今考えれば、あの不思議な影にも納得がいく」

「あれはそなたを取り戻すためにしたことだ。悪く思わないでくれ」

 そう言われて簡単に許せるわけがない。こっちは人生をめちゃくちゃにされているのだから。

「あれは夢ではなかった。あの時から、私の身は本物ではなかったのね」

「あれは我が創り出した傀儡だ。ただの人形に過ぎぬ」

 あの時から私の運命は決まっていたのだ。

「そういえば、」

 彼がふと思い出したかのように言う。

「あの時、邪魔をしてきた少年がいたな」

 少年、という言葉にふと彼が頭に浮かぶ。あの時屋上に駆けつけてくれた彼のことを。黒蛇が彼のことを話し出すのは予想外だったが、私は出来るだけ顔色を変えずに呟いた。

「あの日、屋上に来た彼のこと?」

「そうだ。本当は我を見た奴を殺めるつもりだったが……やめた」

 そう言うと彼は不穏な笑みを浮かべる。不気味で恐ろしく感じた。私は彼の続きの言葉を待った。

「なかなか面白い身の上であったから、我が殺めるのは惜しいと思ったのだ」

「それは、どういう意味?」

 言葉の続きが気になり、平静を装いながらそう聞いてみる。彼が維頼くんに着目している事実が堪らなく怖かった。しかし、そんな様子の私に彼はフッと笑みを溢すと、私のことを見透かしているように続けた。

「それはまたいづれ話そう。ここで話すには少しばかりつまらぬ話だ」

 そう本当につまらなそうに言って再び酒を注ぐ。彼にこれ以上話を聞き出すのは難しそうだった。だが、先ほどの言葉が気になって仕方がない。彼は私や黒蛇と何か関係があるというのだろうか。記憶を探っても思い当たる節はない。彼はこれ以上話す気がないようだったが、私は思い切って聞くことにした。

「これだけ教えて。彼は、私やあなたと何か関係があるの?」

 真剣な眼差しを向ける私を彼は見据えると、フッと口元を緩める。

「……ある。だが、ここで話すには些か興醒めだ」

 そう言うと再び酒に目を移した。維頼くんが私や黒蛇と関係している……。その事実が重くのしかかる。私の記憶の中に彼は登場していない。接点などないはずなのに、なぜ関係があるのだろうか。考えが纏まらず、疑問だけが頭の中を巡る。

「そなたは奴に気があるのか」

 突然投げかけられた予想外の問いに思考が停止する。その言葉の意味を理解するのに数秒かかった。

「え?」

「奴のこととなると、途端に表情が変わる。そなたが人間であった頃も、彼奴はそなたの傍にいた。故にそう思ったのだ」

 たしかに、彼はいつも私を助けてくれた。そばにいて支えてくれた。だから感謝はしているけど、そんな風に見たことはない。……そのはずだ。でも、気づけばいつも彼のことを考えている。私自身の気持ちがどのようなものなのか、自分で理解できていないことに初めて気づく。

「そんなこと、ない。彼はただ、私の恩人というだけ」

「それは人の身としての情か?」

「?」

 黒蛇の不思議な問い方に疑問が湧く。彼の考えが読めなかった。しかし彼は人を嫌悪しているから、私が維頼くんを思う気持ちを人としての感情だと思っているのならば、あまり良く思っていないのは確かだ。

「さっきからあなたが何を言っているのかわからないわ。変な誤解はしないで」

 私の言葉に彼は静かに笑みを溢すと、私に聞こえないくらいの小さな声で呟いた。

「しかしまあ、いづれ気づく。それが間違いであったと」

 紡がれたその言葉は私の耳まで届かなかった。

***

 ついに、その日が明日にまで迫ってきた。

 あの夜から5日ほど経ち、明日はついに黒蛇との婚姻の儀である。私はこれまでの間、結局何もできていなかった。彼が部屋から出るのを禁じたこともあるが、私一人では何の手立ても考えつかなかったのだ。このまま大人しく婚姻を受け入れるしかないのだろうか……。そんな諦めが頭の中に浮かび始める。
 相変わらず、窓の外は真っ暗で何も見えない。希望の光もない、そんな紛い物の空を見上げる。
 私が彼と婚姻を結べば、大切な人たちを守れる。
 私が約束を違わない限り、彼は忠実に私の願いを聞いてくれるだろう。これが最善の道だと今はただ思うしかない。例えそれが間違いであったとしても……。
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