蛇のおよずれ

深山なずな

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第12話 婚儀

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 婚姻の儀が行われる当日。まだ完全に目覚めない頭で誰かが自分を呼ぶ声を聞く。

「姫……姫!」

「ん……もう、朝?」

「まだ朝ではありません。姫、起きてください」

 目を開けると、そこには自分を起こす律の姿があった。こんな早い時間に何のつもりだろう。眠い目を擦って重たい体を起こす。婚儀までにはかなり時間があるはずだ。

「こんな早くに何事?」

「姫、今すぐここから逃げてください」

「え?」

 律の真剣な物言いにみるみるうちに頭が覚醒していく。

「どういうこと? 今日は婚姻の儀があるの。私が逃げたら周りの人に迷惑をかけてしまう」

「……それでも、姫には逃げてほしいんです。もし今日を逃したら、本当に逃げられなくなってしまいます」

 律は私を逃がそうとして起こしてくれたようだった。彼女の気遣いは本当に嬉しくて、感謝の気持ちでいっぱいになる。その優しさに泣きそうになったが、必死に堪えた。少し前の弱い自分だったら、逃げ出していたかもしれない。でも、私の心はもう決まっている。

「ありがとう、律。でも、大丈夫。今日を過ぎても、必ず逃げ出してみせるから」

 その言葉には少し嘘が混じっていたかもしれない。今まではただ自分のことばかりを考えていた。いつでも逃げ出せると簡単に思っていたのだ。しかし、今は違う。大切な人たちを巻き込んではいけない。その気持ちの方が強くなってしまった。私は自分勝手な人間だ。こうして自分の僕にまで嘘をつくなんて……。

「姫……。一生お供いたします。如何なる時も、姫をお守りすると誓います」

「律……ありがとう」

 私は目の前で跪く律と目線を合わせるようにしてしゃがむと、そのまま抱きしめる。涙のようなものが私の肩に落ちた気がした。

***

 それからしばらくして、大勢の召使いたちが私の部屋へやってくる。ついにその時が来るようだ。私は律とともに大きな部屋へ案内されると、装いを整えられる。着ていた五衣を脱ぐと、白無垢に少しだけ似た白い装束に着替えた。
 美しく飾られた装身具に化粧姿を見ると、まるで本物の花嫁になったかのようだった。本当に愛する人との結婚だったなら、どれだけ嬉しかっただろう。今さら考えても仕方のないことばかりが浮かぶ。もしも相手が彼だったら、私は……?
 そう思ったとき、黒蛇が部屋に入ってきた。彼もすでに白い装束を着ていた。

「紅羽……そなたは本当に美しいな」

 彼はこちらに歩み寄ると、私の手を優しく握り、見惚れるように目を離さなかった。その食い入るような視線に思わず目を逸らす。

「きっとこの装束のせいよ」

「そんなことはない。……我はこの日を迎えられて、本当に幸せだ」

 嬉しそうに言う彼の言葉に返答はできなかった。私と彼の気持ちの間には大きな差がある。彼は私の妖力を物にできるのが余程嬉しいのだろう。私の力があれば、彼は自分の願いを叶えられる。結局私は何もできないまま……。

「紅羽、どうした?」

「何でもないわ。ただ、自分が情けなくなっただけ」

「その気持ちは不要だ。これから先は、我がそなたを幸せにしよう。そのような気持ちになど二度とさせぬ」

 そう言って彼は私の手の甲に唇を落とした。もうきっと、逃げられない。私は静かに涙を落とした。

***

 婚姻の儀式の段取りは少し風変わりなもので、私が知っている結婚式や神前式とはかなり違うものだった。黒蛇はすでに式場にいる。私はこの長い廊下を歩いてそこへ向かい、儀式を行うという流れだった。後ろには律がついてきてくれる。不安なことは何もなかった。
 私は一歩ずつ、歩みを進めてゆく。長い廊下をゆっくりと歩いていく。道の端には召使いたちが頭を垂れているのが見える。その姿に本当に婚姻を交わすのだという実感が湧く。
 しばらく歩くと、式場の入り口が見えてきた。私はその道を堂々とした振る舞いで歩いていく。決して臆さないように。
 式場まで到着し、入り口を通ると黒蛇が奥の祭壇にいる姿が見えた。私はそこを真っ直ぐ見据えて歩いて行く。そしてついに、彼の横まで辿り着いた。
 私たちは互いに向かい合う。儀式が始まろうとしていた。
 彼から大きな盃を渡される。その酒を飲もうとした時、式場の入り口付近から何やら騒がしい音が聞こえてきた。

「何事だ」

 黒蛇がそう言い放つと、参列していた召使いたちが一様に入り口を指差す。そこにいたのは……

「退いてくれ、そうすれば危害を加えるつもりはない!」

 見間違えるはずがない。高校の時と何ら変わりないその姿を。

「維頼くん……?」

 彼がなぜここに? なぜか彼の肩には私の僕であるはずの絶が乗っている。何一つ状況が分からないまま、咄嗟に彼の名を口にした。私の声が彼に届いたのか、彼は何かを振りかざしながらこちらに向かってきた。

「紅羽さん……!」

「どうやってここに?」

「絶……こいつのお陰でこの城まで来れたんだ」

 ああ、本当に維頼くんだ。彼とこんなところで会えるなんて思ってもいなかった。しかし、再会の喜びよりももっと大きく私を支配する感情があった。隣に黒蛇がいることへの恐怖だ。彼は維頼くんを殺しかねない。その恐怖が私の頭の中を駆け巡った。

「待ってて、今そこに行くから」

「来ないで!」

 私がそう叫ぶと前へ歩みを進めていた彼の足がピタッと止まる。私はそれを見て言葉を続けた。

「お願いだから、元の世界へ帰って。私は帰れない」

 彼を殺されたくはない。だから私は必死にそう訴えかけた。黒蛇が何を思っているか考えるのが恐ろしい。私は維頼くんのことを殺さないように懇願しようと彼を見上げたが、意外にも彼の顔は涼しいものだった。

「お前たち、奴を傷つけるのはやめよ」

 黒蛇が召使いたちにそう命令すると、周りの妖たちは静かになった。
 一体どういう魂胆だろう。彼は維頼くんのことを良く思っていない。それなのに見逃そうとするはずがない。考えても、考えても答えには辿り着けない。

「絶から聞いたよ。そこにいるのが悪い龍神で、紅羽さんを傷つけているって。初めは信じられなかったけど、この世界に来て、俺が今まで信じてた世界が全てじゃないことは分かった」

 そう言って持っている刀らしき物を黒蛇目掛けて構える。その手は僅かに震えているように見えた。

「手が震えているぞ」

 黒蛇もそれに気づいているようで嘲るようにそう言う。緊張状態が続いた。

「見くびるなよ、龍神!」

 そう叫んだ瞬間、維頼くんが一気にその場から踏み切り、黒蛇の方へ向かってくる。私は思わず目を瞑った。一瞬、何が起きたのか分からなかった。
 目を開けると、赤い血がタラタラと床に溢れているのが見える。この血は、誰のもの……?
 ゆっくりと顔を上げると、目の前には驚くべき光景が広がっていた。黒蛇の腹部に深々と刀が刺さっていたのである。真っ白だったはずの彼の装束は赤い大きなシミを作っていた。
 黒蛇が、こうもあっさり死ぬ? それは考えたこともないことだ。なぜ彼は抵抗しなかったのだろうか。分からないまま、ただその光景を見つめる。
 フッと笑うような吐息が聞こえて、黒蛇の顔を見上げると、彼はただ維頼くんを不敵な笑みで見つめていた。

「大月維頼……刺す相手を間違えているぞ」

「は……?」

 何を言い出すのか、彼は愉快に維頼くんにそう告げる。

「そなたが殺したいのは、紅羽ではないか?」

 言葉の意味が分からない。維頼くんも私と同じ気持ちだろう。彼は私を助けに来てくれたのに、私を殺したいだなんて、そんなおかしな話があるわけない。

「お前が何を言っているのか分からない。そんなことあるはずないだろ!」

「おかしなことを言うものだ」

 そう言うと黒蛇は自身の腹部に刺さった刀を握り、ゆっくりと引き抜いていく。そして刀をその場に投げ捨てた。赤い血がポタポタと床に溢れる。

「自分のことも忘れたのか。そなたは昔、殺したであろう……

紅姫を」

「……え?」

 その言葉が私たちに突き刺さる。彼が、前世で私を殺した……? そんなこと、あるわけがない。彼はこんなにも私を救ってくれたのに、殺したなんてこと……。

「紅羽、そなたも覚えていないであろう。誰に殺されたか」

 突然話を振られて頭が真っ白になる。確かに黒蛇の言う通り、死ぬ直前の記憶は曖昧なものだ。誰にどう殺されたかは覚えていない。

「覚えてはいない……けど、彼なわけがない!」

「そなたも否定するか……ならば見せてやるとしよう、大月維頼。お前の真の姿を」

 そう言って黒蛇は維頼くんに手をかざした。
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