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3匹の不思議な猫
第3話:三匹と閉店間際のパン屋
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商店街の真ん中、コペパン堂の前に「本日最終日」の札が下がっていた。
朝より少し早い夕方、店の中に灯りはあるのに、ショーケースはもう空っぽだ。
「粉とバターの匂いの奥に、綿の匂い……」ミスケが鼻を鳴らす。
「ぬいぐるみ、だよね」あんこが頷く。
ベルが小さく鳴って、エプロン姿の店主——陽子が、トレーを抱えて出てきた。
「最後のクリームパン、焼き過ぎちゃった」
声は明るく作ってあるけれど、角に置かれた段ボールには“器具 ゆずります”のマジックペンの文字。
三匹は裏口からするりと入り、袋の山を飛び越えて作業台に上がる。
粉の海に、小さな足跡——ウサギのぬいぐるみが、粉だらけで横たわっていた。
耳が片方、ほつれている。
「置き手紙がある」源さんが口元で摘んだ。
『パン屋さんが閉まるの、いやです。でも言えません。わたしのウサギを、かわりにお願いできますか』
丸い字。封の裏に、学校の校章シール。
「差出人は?」
「牛乳の匂いと、机の消しゴムの匂い……近くの小学校だね」
ミスケがぬいぐるみの耳を縫い目に沿って撫でる。
「でも、届け先は、ここだ」
「あの人の心の奥に、まだ温かいオーブンが残ってる匂いがする」
あんこが、店主の横顔を見た。
その時、鈴のついたドアがまた鳴った。
高校生くらいの男の子が、おずおずと立っている。
「すみません、もう終わりですか」
「ごめんね、今日はね」陽子が笑う。
男の子はトートバッグから紙を取り出した。折り目だらけのレシート。
「受験の朝、コペパンの匂いで落ち着いたんです。ずっと言えなくて……あと、このレシート、合格発表の日にもらったクリームパンの、おつり。ぼく、もらいっぱなしで走って帰って」
陽子は目を丸くし、笑って首を振った。
「そんなこと、あったっけ。貸し借りなんてね、パンは食べたらおしまい。だから、だいじょうぶ」
男の子は何度も頭を下げ、出ていった。
ドアの鈴が揺れて、小さな音を残した。
「ねえ、最後に一度だけ、焼こう」
陽子が自分に言い聞かせるように、粉を量りはじめた。
三匹は顔を見合わせる。
「“最後の一歩”って、だれの?」あんこが小声で問う。
「店主さん自身の」ミスケが答えた。「閉めるって言うのは、終わることじゃない。終わりかたを選ぶことだと思う」
「でも、手紙の子は?」源さんがウサギの耳を持ち上げる。
「届けよう。でも、ことばも一緒に」
オーブンの前で、陽子は手を止めた。
作業台に、粉を払ったウサギが座っている。首には紙片。
『パン屋さんのクリームが、わたしの朝でした。ありがとう。』
丸い字に、陽子がふっと息をのむ。
次の紙片は、雑な字——先ほどの高校生のもの。
いつのまにか、レシートの裏に一文が増えていた。
『おつりは、ぼくの合格祝いにクリームを少し多めにもらったってことにしてください』
陽子は笑い、泣いた。
その時、ドアが開いて、近所の子どもたちが三々五々入ってきた。
「最後のパンの匂い、嗅ぎに来た!」
「ママがね、サンドのレシピ、もう一回聞いておいでって」
「ウサギちゃん、ここにいた!」
最初の手紙の持ち主の女の子が、ウサギを抱きしめる。
陽子は布巾で頬を拭き、オーブンを見つめた。
「……じゃあ、“最後のクリームパン”、いまから焼くね。数量限定、ゼロ円。条件は、食べながら、ひとつだけ“好きだったコペパンの話”をしていくこと」
店に、声がこぼれた。
ソーセージパンの端っこが好きだった話、雨宿りで温まった話、仕事で失敗した日にバゲットの固さに救われた話。
焼けたパンの甘い匂いが重なって、夕方の空気が少しずつ丸くなっていく。
三匹はレジ横の空き瓶に近づいた。
ラベルにはマジックで『OPENのタネ』とある。
あんこが鼻先で転がし、ミスケがビー玉のように瓶の口をとんと叩いた。
中には、使いかけの名刺、レシピのメモ、古いポイントカード。
ぜんぶ、ここから始まった日のかけら。
「いつかまた、芽が出る」ミスケが言った。
「いつ?」源さんが首をかしげる。
「それは、あの人が決める」あんこが笑う。
・・・夜・・・
シャッターが下り、札は『本日最終日』から裏返され、『準備中』になっていた。
ペン書きで、小さな追記がある。
『——しばらく休みます。パンの匂いを忘れたら、また開けます。忘れなかったら、もっと早く開けます』
源さんがくすりと笑う。「どっちにしても、開くやつ」
「配達、成功だね」あんこがウサギの耳を整える。
路地裏に戻ると、ポストの奥で葉書の匂いがふわりとした。
「海の塩と、日向の紙の匂い……ベランダ?」
「次の宛先は、高いところ」
源さんが前足を伸ばして夜空を掻いた。星が少し、近づいた気がした。
朝より少し早い夕方、店の中に灯りはあるのに、ショーケースはもう空っぽだ。
「粉とバターの匂いの奥に、綿の匂い……」ミスケが鼻を鳴らす。
「ぬいぐるみ、だよね」あんこが頷く。
ベルが小さく鳴って、エプロン姿の店主——陽子が、トレーを抱えて出てきた。
「最後のクリームパン、焼き過ぎちゃった」
声は明るく作ってあるけれど、角に置かれた段ボールには“器具 ゆずります”のマジックペンの文字。
三匹は裏口からするりと入り、袋の山を飛び越えて作業台に上がる。
粉の海に、小さな足跡——ウサギのぬいぐるみが、粉だらけで横たわっていた。
耳が片方、ほつれている。
「置き手紙がある」源さんが口元で摘んだ。
『パン屋さんが閉まるの、いやです。でも言えません。わたしのウサギを、かわりにお願いできますか』
丸い字。封の裏に、学校の校章シール。
「差出人は?」
「牛乳の匂いと、机の消しゴムの匂い……近くの小学校だね」
ミスケがぬいぐるみの耳を縫い目に沿って撫でる。
「でも、届け先は、ここだ」
「あの人の心の奥に、まだ温かいオーブンが残ってる匂いがする」
あんこが、店主の横顔を見た。
その時、鈴のついたドアがまた鳴った。
高校生くらいの男の子が、おずおずと立っている。
「すみません、もう終わりですか」
「ごめんね、今日はね」陽子が笑う。
男の子はトートバッグから紙を取り出した。折り目だらけのレシート。
「受験の朝、コペパンの匂いで落ち着いたんです。ずっと言えなくて……あと、このレシート、合格発表の日にもらったクリームパンの、おつり。ぼく、もらいっぱなしで走って帰って」
陽子は目を丸くし、笑って首を振った。
「そんなこと、あったっけ。貸し借りなんてね、パンは食べたらおしまい。だから、だいじょうぶ」
男の子は何度も頭を下げ、出ていった。
ドアの鈴が揺れて、小さな音を残した。
「ねえ、最後に一度だけ、焼こう」
陽子が自分に言い聞かせるように、粉を量りはじめた。
三匹は顔を見合わせる。
「“最後の一歩”って、だれの?」あんこが小声で問う。
「店主さん自身の」ミスケが答えた。「閉めるって言うのは、終わることじゃない。終わりかたを選ぶことだと思う」
「でも、手紙の子は?」源さんがウサギの耳を持ち上げる。
「届けよう。でも、ことばも一緒に」
オーブンの前で、陽子は手を止めた。
作業台に、粉を払ったウサギが座っている。首には紙片。
『パン屋さんのクリームが、わたしの朝でした。ありがとう。』
丸い字に、陽子がふっと息をのむ。
次の紙片は、雑な字——先ほどの高校生のもの。
いつのまにか、レシートの裏に一文が増えていた。
『おつりは、ぼくの合格祝いにクリームを少し多めにもらったってことにしてください』
陽子は笑い、泣いた。
その時、ドアが開いて、近所の子どもたちが三々五々入ってきた。
「最後のパンの匂い、嗅ぎに来た!」
「ママがね、サンドのレシピ、もう一回聞いておいでって」
「ウサギちゃん、ここにいた!」
最初の手紙の持ち主の女の子が、ウサギを抱きしめる。
陽子は布巾で頬を拭き、オーブンを見つめた。
「……じゃあ、“最後のクリームパン”、いまから焼くね。数量限定、ゼロ円。条件は、食べながら、ひとつだけ“好きだったコペパンの話”をしていくこと」
店に、声がこぼれた。
ソーセージパンの端っこが好きだった話、雨宿りで温まった話、仕事で失敗した日にバゲットの固さに救われた話。
焼けたパンの甘い匂いが重なって、夕方の空気が少しずつ丸くなっていく。
三匹はレジ横の空き瓶に近づいた。
ラベルにはマジックで『OPENのタネ』とある。
あんこが鼻先で転がし、ミスケがビー玉のように瓶の口をとんと叩いた。
中には、使いかけの名刺、レシピのメモ、古いポイントカード。
ぜんぶ、ここから始まった日のかけら。
「いつかまた、芽が出る」ミスケが言った。
「いつ?」源さんが首をかしげる。
「それは、あの人が決める」あんこが笑う。
・・・夜・・・
シャッターが下り、札は『本日最終日』から裏返され、『準備中』になっていた。
ペン書きで、小さな追記がある。
『——しばらく休みます。パンの匂いを忘れたら、また開けます。忘れなかったら、もっと早く開けます』
源さんがくすりと笑う。「どっちにしても、開くやつ」
「配達、成功だね」あんこがウサギの耳を整える。
路地裏に戻ると、ポストの奥で葉書の匂いがふわりとした。
「海の塩と、日向の紙の匂い……ベランダ?」
「次の宛先は、高いところ」
源さんが前足を伸ばして夜空を掻いた。星が少し、近づいた気がした。
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