ひきこもりでも恋をしたい

あき

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第16話 コンビニ半径 .2

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朝、付箋に太字で書く。
「コンビニ半径 v0.2」

下に、今日の一語を囲む。
「『袋、お願いします』」
四角で囲うと、声の出口が見える気がする。

メッセージが届く。

「いろ:おはようございます。
“コンビニ半径 v0.2.1”送ります」

箇条書きが落ちる。

「・目標:“袋、お願いします”を一回(小声OK)
・時間:十五時(昼ピーク外)
・視線の置き場:私の肩→床→価格数字→自分の手
・手順:入店“チリン”→商品→レジ→“袋、お願いします”→IC→退出
・先出し可:店員の問いかけ前に“袋、お願いします”でもOK
・撤退=成功
・ごほうび:スタンプ+ラムネ一粒」

最後に、ちいさな画像が添付された。
口の形のイラスト。
「お・ね・が・い・し・ま・す」
看護師見習いのメモらしく、発音の矢印が手描きで乗っている。

「くろ:承認。
十五時」

「いろ:OK。
今日は“肩”をいつもより広くします。
盾を厚く」

昼、練習。
のど飴を一つ。
鏡の前で、口を小さく動かす。
声は出さない。
でも、形は出す。
「お」「ね」「が」「い」「し」「ま」「す」
七つの角が、舌の上に薄く立つ。

十五時。
明るい“ガチャ”。
非常灯の緑。
廊下を抜け、鏡は“置かない”。
床→手→数字。
一階へ。

エントランスのガラスを抜けると、外気の味が薄くなる。
いろはが半歩、前。
肩の線が、今日はいくぶん大きい。
視線を肩へ“置く”。
置き場が広いと、胸の奥の狭さが少し広がる。

自動ドア。
深呼吸、一つ。
「チリン」。
明るい音。
敵ではない。

棚。
今日はパンにする。
小ぶりなクリームパン。
温めの質問が来ても「大丈夫です」で回避できる。
裏の数字“105”。
数字は、心拍の足場になる。

レジ。
有人、一台。
客、ゼロ。
チャンスは唐突。
唐突を、手順で受け止める。

いろはが半歩、斜め前へ。
盾の角度が、自然にレジへ向きを作る。
俺は、台の縁にパンを置く。
スキャンの“ピッ”。
明るい。

店員が袋を手にしかける。
言う前に、言う。
練習した“先出し”。

「……袋、お願いします」

小声。
けれど、音は出た。
七つの角が、舌の上で順番に倒れて、まっすぐ前へ滑る。

店員が自然に頷く。
会話の交通が整う。
財布の動きと、声の順番が噛み合った音がした。

「ポイントカードは?」

首を、横。
一回。
昨日より、迷いが少ない。

「温めますか?」

パンを持ち上げて、軽く小さく振る。

「だ、大丈夫です」

自分でも驚くほど、声が出た。
ささやき声。
でも、意味は届く。

ICをかざす。
“ピッ”。
残高が表示されて、戻る。
戻る数字を見ると、胸の中の数字も戻る。

袋が手渡される直前、背後で足音。
二人分。
次の客。
気配に心拍が引っ張られかけて、視線が宙へ浮く。

「いろ:肩」

文字が胸ポケットに落ちる。
戻す。
肩→自分の手。
袋の取っ手の輪に指を通す。
輪が、目に見える“退路”みたいに感じられる。

「ありがとうございました」

店員の声。
首を小さく縦。
口は開かない。
“無理しない”。
条約第1条。

“チリン”。
退出の音。
背中で聞く“チリン”は、入り口より軽い。
出口の音には“戻る”が含まれているからだ。

敷地の植え込みの緑。
いろはが半歩、横に寄る。
肩の高さが揃う。
視線の置き場を、自分の手へ戻す。
支えを、自分へ返す練習。

「いろ:……すごい。
“先出し”できました」

「くろ:小声でも、届いた」

「いろ:えらい。
ごほうび、ラムネ一粒。
糖で“声”のガソリンを補給です」

掌にころん、と白い粒。
舌の上で、すぐ溶ける。
甘さが身体の角を丸くする。

エントランス。
鏡は“置かない”。
床→手→数字。
エレベーターで上階へ。
扉が開き、非常灯の緑。
明るい“ガチャ”。
入る。
閉める。

扉に背中。
袋を床に置く。
パンの紙袋の匂い。
砂糖と小麦。
“怖さと一緒に食べられる”甘さだ。

スマホ。

「くろ:今日の一歩“コンビニ半径 v0.2”
『袋、お願いします』(先出し/小声)成功」

すぐに返信。

「いろ:大成功。
“先出し”は、場の交通整理です。
透さん、レジの流れを見て動けていました」

「くろ:観察眼」

「いろ:はい。
“ねつ造”の逆。
観察の人」

“ねつ造”という音が一度だけ胸に触れる。
触れた場所を、ラムネの甘さで覆う。

そこで、通知。
タイムラインの、外側から。

「今日の動画、切り抜きにしてまとめた」

石のような文。
蛇口は、閉じたまま。
今日の“先出し”と同じ速さで、閉じる。
視線を、床→自分の手へ戻す。

「くろ:通知、閉じた」

「いろ:代理実行します(条約第8条)。
ログとスクショ、私が持ちます。
“撤退=成功”」

同じタイミングで、共同チェックリストを開く。
《今日の一歩:コンビニ半径 v0.2(成功)》
右端の星が、また一つ灯る。
星は、線になり、線は道になる。

少し間を置いて、彼女から画像。
口の形のイラストに、小さな花のスタンプ。

「いろ:今日の“口”。
記念に」

「くろ:ありがとう」

ラムネをもう一つ。
舌で転がしながら、いろに打つ。

「くろ:次の課題、提案してもいい?」

「いろ:どうぞ」

「くろ:『ありがとうございました』を、ほんの小さく」

打ってから、心臓が一度だけ跳ねる。
でも、跳ねたあと、すぐ戻る。
戻るのも練習で覚えた。

「いろ:いいですね。
“v0.3”に入れます。
“袋、お願いします”→“IC”→“ありがとうございました”(小声)
順番のはしごを作ります」

了承の印に、飴のスタンプ。
すぐに絆創膏が並び、花が一つ。
今日の匂いの記録。

パンを半分だけ食べる。
甘さが喉をやさしく上塗りする。
声の出口に砂糖を塗る作業。

そこで、共用アプリの掲示板からお知らせが落ちた。

「【管理】来週、夜間“非常用電源の点検”を実施します(短時間停電の可能性あり)」

停電。
あの夜の緑。
胸の真ん中で、緑が薄く呼吸する。

「いろ:通知、見ました。
“停電練習 v0.2”を用意します。
声の数え歌、もう一段楽に」

「くろ:お願いします」

“声”。
今日、小さく出た。
明日、もう少し出せる。
停電の夜、三十まで数えられるように。

ログを閉じる前、臨時の“名前の練習”。

「いろ:透さん」

「はい」

「……先出し、すごくかっこよかったです」

喉の奥が、ラムネの甘さで丸くなる。
声は出さない。
代わりに、文字で。

「くろ:ありがとう。
いろはさん」

扉の木目が、背中で小さく頷いた気がした。
木は冷たいのに、頷ける。
人も、似ている。

付箋を一枚。
「コンビニ半径 v0.2――完了」
飴と絆創膏と花に、白い丸を一つ描き足す。
ラムネの記号。
今日の匂いは、小麦と砂糖と、白い粉の甘さ。

目を閉じる。
“袋、お願いします”の七つの角が、まぶたの裏でやわらかく倒れる。
倒れた角は、明日に残る。
明日は、“ありがとうございました”を、小さく。
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