ひきこもりでも恋をしたい

あき

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第15話 コンビニ半径 .1

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朝、付箋に太字で書く。
「コンビニ半径 v0.1」

下に手順を並べる。
①入口のベルを聞く。
②棚で“水かパン”を一つ。
③レジで“袋いりますか?”に頷く。
④支払い(IC)。
⑤退出――できたら成功。

メッセージが届く。

「いろ:おはようございます。
“コンビニ半径 v0.1.2”送ります」

箇条書きが落ちる。

「・時間:十五時(昼ピーク外)
・ルート:エレベーター→エントランス→敷地内の一階コンビニ
・視線の置き場:私の肩→床タイルの目地→棚の“価格数字”→自分の手
・言葉:『私は客、確認しているだけ』
・レジ想定問答:
 店員『袋いりますか?』→首“縦”
 店員『温めますか?』→“水/パン”で回避
 店員『ポイントカードは?』→首“横”(返答できたら小声で“ありません”)
・撤退条件:行列/視線の想像が強くなる
・撤退=成功
・ごほうび:スタンプ一個+ミニどら焼き」

仕様書は、今日も優しい。
“客”。
被写体ではなく、客。
店は“確認”の場所。
UIで言えば、購入フローのチェック。

「くろ:承認。
十五時」

「いろ:OK。
“風よけ”は任せてください」

明るい“ガチャ”。
非常灯の緑。
二人で廊下を抜け、鏡は“置かない”。
床→手→数字。
一階へ。

エントランスのガラスの向こうに、昼の白。
外に出ると、空調の味が変わる。
いろはが半歩、前。
肩の線が、小さな盾になる。
視線を肩へ“置く”。

敷地内の一階コンビニ。
自動ドアの前で一度だけ深呼吸。
吸って。
吐く。
ドアが開き、ベルが軽く鳴る。
“チリン”。
明るい音。
敵ではない。

視線は、床タイルの目地。
四角の列。
歩幅と四角を合わせると、心拍が少しだけ賢くなる。
棚の前。
価格札の数字。
120。
138。
105。

「いろ:商品、選べそうですか」

「くろ:水。
駅前と同じ」

ペットボトルの列。
一番手前を避け、二列目に手を伸ばす。
“触れて離して、残る重さ”を思い出す。
掴む。
冷たい。
掌に重さが落ちる。
落ちた重さは、支えられる。

レジへ向かう。
今日のレジは有人が一つ。
客はゼロ。
チャンスは、唐突にやってくる。
唐突は、設計で受け止める。

いろはが半歩、斜め前に立つ。
視線を彼女の肩→自分の手→価格数字へ“置き直す”。
店員の声。
若い男性。
柔らかい。

「こんにちは」

頷く。
声は出さない。
“客”。
胸の中で唱える。

台にボトルを置く。
スキャンの音が“ピッ”と鳴る。
明るい。
敵ではない。

店員が袋を手にした。

「袋いりますか?」

首を、縦。
一回。
遅すぎず、早すぎず。
視線は、床のタイル→自分の手。
頷きの角度は、仕様書にないけれど、身体が覚えてくれる。

「ポイントカード、お持ちですか?」

首を、横。
一回。
喉が勝手に小さく動く。

「……ありません」

自分の声が、ボトルの冷たさみたいに短く通る。
店員は頷いて、ICの指示を目で送る。
読める。
読み取れる。
カードをかざす。
“ピッ”。
残高の数字が出て、戻る。
戻るのを見るのは、安心だ。

「温めますか?」

彼は弁当の棚に視線を投げかけ、形式で問う。
俺は手元の“水”を少し持ち上げる。
いろはが横で、肩だけ笑う。
表情は出さない。
肩の上下が、俺の緊張を一段解く。

レシートが出る。
「ありがとうございました」
言葉は受け取り、返礼は、省略でも大丈夫。
条約第1条“無理しない”。
首を小さく縦。
袋を持つ手と、ボトルの重さを分散。
出口へ。

“チリン”。
ベルがもう一度鳴る。
背中で聞く音は、入り口で聞いたときより軽い。
出口の音には、“戻る”が含まれているからだ。

外気。
敷地の植え込みの緑。
いろはが半歩、横に並ぶ。
肩の高さが同じになる。
視線の置き場は、もう彼女の肩ではなく、自分の手へ移した。
支えを、自分へ戻す練習。

「いろ:すごい。
“袋いりますか?”、完璧でした」

「くろ:ポイントカードも、言えた」

「いろ:えらい。
ごほうび、ミニどら焼き、渡します」

小さな包みが、掌に滑って入る。
飴のときと同じ“置く→受け取る”。
掌の重さが、一口ぶん増える。

エントランスへ戻る。
鏡は“置かない”。
床→手→数字。
扉が開き、閉じる。
非常灯の緑。
エレベーター。
籠の中では、背中を壁に。
数字が上がる。
心拍は、下がる。

自分のフロア。
明るい“ガチャ”。
入る。
閉める。

扉に背を預け、袋を床に置く。
掌が少し熱い。
ボトルの冷たさが、その熱をやさしく均す。

スマホ。

「くろ:今日の一歩“コンビニ半径 v0.1”
ベル→水→頷き→IC→退出、成功」

すぐに返信。

「いろ:大成功。
“頷きの速度”が素晴らしかったです」

「くろ:速度、仕様書にないのに」

「いろ:身体が最適解を見つけました。
次は“レジで一言”に挑戦してもいいです。
“袋、いりません”か“お願いします”のどちらか」

「くろ:……“お願いします”なら言えるかも」

「いろ:では“コンビニ半径 v0.2”に入れます」

共同チェックリストに入力する。
《今日の一歩:コンビニ半径 v0.1(成功)》
右端の星が、また一つ灯る。
星は線になり、線は道になる。

袋からミニどら焼きを出す。
丸い皮が、掌にふわりと重い。
袋のカサカサ音が、部屋の静けさをやさしく破る。
一口。
甘さが、喉の壁に薄い布を貼る。
声を出す場所が、甘さで潤う。

そのとき、ポケットのスマホが震えた。
タイムラインの、外側から。

「店で見た。写真ある」

石のような文。
蛇口は、閉じたまま。
深呼吸、一つ。
二つ。
三つ。

「くろ:通知、閉じた」

「いろ:代理実行します。
“撤退=成功”」

“撤退=成功”。
ドアに貼った付箋と同じ位置に、言葉が貼られる。
言葉は、緑色で読める。
非常灯の色。

数分の静けさ。
いろから、ゆっくり置くような一行。

「いろ:透さん」

「はい」

「“名前の練習”、臨時で、いいですか」

「くろ:お願いします」

「……透さん」

声ではないのに、喉の奥が甘くなる。
どら焼きの砂糖が、名前の輪郭をやさしく覆う。

「いろはさん」

返す。
細くても、切れない声。
切れないことを、何度も確かめる。

「いろ:明日は“v0.2”。
“袋、お願いします”を一言だけ。
無理なら頷きでOK」

「くろ:やってみる」

机の上に、今日のレシートを置く。
数字が並ぶ。
購入のログ。
現実の“再現手順”。
“チリン→水→頷き→ピッ→退出”。
簡単な列は、難しい状況で効く。

付箋を一枚。
「コンビニ半径 v0.1――完了」
飴の絵と、絆創膏と、花。
花の横に、小さなどら焼きの丸を描く。
今日の匂いは、小麦と砂糖。
怖さと一緒に食べられる甘さ。

ベッドに横になり、天井の四角を見る。
非常灯の緑が、薄く呼吸する。
今日のベルの“チリン”が、まぶたの裏で一回だけ鳴る。
明日は、“お願いします”の一語。
一語のために、今夜は深呼吸を三つ。

一つ。
二つ。
三つ。

眠りが、レジの“ピッ”みたいに軽くやって来た。
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