ひきこもりでも恋をしたい

あき

文字の大きさ
22 / 40

第22話 ベンチ三十秒と、時系列の夜

しおりを挟む
朝、付箋に太字で書く。
「駅前ベンチ 30秒 v0.1」

下に小さく、手順を並べる。
①風下に背を置く。
②視線のはしご:ベンチ脚→自分の手→靴の踵。
③“数えず、音で三つ”。
④退路A=立つ→裏道、退路B=自販機の数字→戻る。
「撤退=成功」。

いろからメッセージ。

「いろ:おはよう。
“ベンチ30秒 v0.1.2”送ります」

箇条書きが落ちる。

「・時間:十四時四十分(人流薄)
・風下確認:前髪→袖口→私の肩布
・音の三つ:バス停のアナウンス/葉擦れ/誰かの足音
・『三つ』が集まったら終了
・撤退条件:撮影/笑い声の増幅/鳩の急接近
・撤退=成功
・ごほうび:氷菓か、麦茶」

仕様書は、今日も優しい。
“数字”ではなく“音で三つ”。
新しいメトロノーム。

「くろ:承認。
氷菓にする」

「いろ:了解。
私、“風よけの角度”を少し広げます」

昼。
UIテストの票を三件。
「プログレス円の太さが2px→1.5pxに揃っていない」
「エラーメッセージの改行規則が英語のみ異なる」
「トーストが重複表示時に上にずれる」
具体にすると、怖さは四角に収まる。
四角は、持てる。

十四時三十五分。
のど飴を一つ。
「置く→戻る」の口形だけを小さく動かす。
声は出さない。
形だけ。

明るい“ガチャ”。
非常灯の緑。
廊下は静か。
いろはの白いスニーカーが視界の端に現れる。
顔は見ない。
二人でエレベーター。
鏡は“置かない”。
床→手→数字。
一階へ。

エントランスのガラスの外、薄い白。
裏道。
風は右から。
前髪→袖→肩布。
三点の矢印が揃う。
いろはの肩が、盾の角度を作る。

広場。
音が厚くなる。
笑い声の粒。
遠いバスのエンジン。
鳩が二羽、石畳で首を振る。
視線は肩→白線→根元。

空いているベンチ。
壁際、背に植え込み。
風下。
座る前に、退路A/Bを目で確認。
ベンチの脚を視線の置き場に“指定”。
呼吸、吐く。
背中を木へ。
座る。

音を数える。
一つ目。
アナウンスの女性の声。
「まもなく――」。
一度。

二つ目。
葉擦れ。
植え込みの奥で、乾いた葉がこすれる。
一回。

三つ目――の前に、近い足音。
若い笑い声が弾んで、鳩が一斉に散る。
鳩は、ルールの“撤退条件”。
胸の角が、少し尖る。
視線の置き場が浮く。

「いろ:退路A“立つ→裏道”も可。
でも、今は肩」

彼女の文字が胸ポケットに落ちる。
肩→ベンチ脚→自分の手。
戻る。
戻れた。
鳩はすぐ、別のパン屑に夢中になる。
足音は遠ざかる。

三つ目。
遠い足音。
均等なリズム。
一回。

終わり。
立つ。
半拍ずらして、彼女も立つ。
退路Aで裏道へ。
呼吸が胸の中で丁寧に畳まれていく。

「くろ:三つ。
座れた」

「いろ:大成功。
“浮いた視線→肩→脚→手”の戻し、完璧でした」

「くろ:風下、効いた」

「いろ:えらい。
ごほうび、氷菓をドア下に」

氷菓のパウチが、ベンチの背中の記憶と一緒に手に収まる。
冷たい。
冷たさは、声の出口を滑らかにする。

戻る道。
エントランスのガラス。
鏡は“置かない”。
床→手→数字。
エレベーター。
背中を壁に。
数字が上がる。
心拍は、下がる。

自分のフロア。
明るい“ガチャ”。
入る。
閉める。
扉に背中。

スマホ。

「くろ:今日の一歩“ベンチ30秒 v0.1(音×3)”成功」

すぐに、飴と絆創膏と花。
花が、風で少し傾いている。
今日の匂いの記録。

「いろ:午後は休憩。
夜二十二時、“時系列のみ”投下します」

「くろ:見る時間“10分”、見る場所“彼女のアカウントのみ”。
撤退=成功」

「いろ:条約第10条“観察は武器、反射は毒”。
守ります」

夕方、氷菓の封を切る。
冷たさが喉の壁を一枚、滑りやすくする。
机の端に“観察眼の証拠 v0.2”の表紙。
紙は、味方だ。
味方は、夜の前で背筋を伸ばす。

二十一時五十五分。
部屋の明かりを一段落とす。
モニターの余熱が薄れる。
非常灯の緑ではなく、窓の外の街灯の橙。
違う色でも、落ち着く。

二十二時。
いろのアカウント。
固定ツイートの下に、新しいスレッドが立つ。

—「“ねつ造”と呼ばれた観察の、時系列」
—一次情報リンクのみ/画像のUI差分/公式障害報告の時刻
—“事実/推測/不明”の区分表(白・灰・黒)

最初の数分は静かだ。
静けさは、嫌いじゃない。
胸の中で、音を三つ数える。
窓の外の車。
冷蔵庫の微かな唸り。
自分の呼吸。

通知が、控えめに震える。
リプライが、数個だけ。

「まとめ、古いUIだったんですね。助かりました」
「リンクありがたい。一次情報へ飛べるの、安心」
「“前の上司”の人、語尾のクセ同じに見える」

石は来ない。
砂少し。
でも、数は少ない。
“沈黙”の選択は、受け流すための選択でもある。

「いろ:10分経過。
ここで閉じましょう」

「くろ:了解。
スクショだけ二枚」

置く→閉じる。
蛇口は開けない。
開けずに、水位だけ確かめる。
“反射は毒”。
夜の端で、言葉は刃になりやすい。
刃を持たないで済む道具は、時系列だ。

いろからDM。

「いろ:ありがとう。
“沈黙”の同席、助かりました」

「くろ:こちらこそ。
“観察の人”、見えた」

数分の余白。
余白は、味方だ。
その中で、胸の底の石が少し平らになる。
平らだと、道具が置ける。

「いろ:臨時の“名前の練習”、屋内で一回」

「くろ:……いろは」

細い糸みたいな声。
でも、切れない。
呼び捨ての輪郭は、練習の線に沿っている。

「いろ:透」

返ってくる呼び捨ては、まだ少しぎこちない。
ぎこちなさは、練習の始まりの手触り。

「いろ:今日、ベンチの“音で三つ”、すごく美しかったです」

「くろ:ありがとう。
鳩は“条件”、でも肩で戻れた」

「いろ:戻る、は勝ち」

机の上の付箋に、今日の一行を足す。
「ベンチ30秒 v0.1――完了」
飴と絆創膏と花の横に、ベンチの脚みたいな四角を描く。
四角は、座る場所。
座る場所は、次の場所へ線を引く。

そのとき、小さな通知。
タイムラインの、外側から。

「切り抜き主、鍵にしました」

砂の文。
石ではない。
胸の中の水面が、少しだけ澄む。
澄んだところに、数字を一つ立てる。
“明日は60秒ではなく、45秒”。
階段を刻む。

「いろ:次の課題、“ベンチ45秒 v0.2”にしましょう。
“音×3+数字×1(価格)”」

「くろ:承認」

“音で三つ、数字で一つ”。
新しいはしご。
メトロノームは、増やせる。

ログを閉じる前、いろが小さく噛んで、整える。

「いろ:……おやすみ、透」

「おやすみ、いろは」

扉の木目が、背中で小さく頷く。
木は冷たいのに、頷ける。
人も、似ている。

氷菓の袋を丸め、ゴミ箱へ。
軽い音。
終わりの音。

目を閉じる。
ベンチ脚→手→踵。
音を三つ数え、数字を一つだけ置く。
その上に、薄い布のような静けさを被せて眠る。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

婚活に疲れたアラサーOLの私、癒やし的存在の弟分(高校生)に「もう待てない」と外堀を埋められています ~10年分の執着は、甘すぎて重すぎる~

ダルい
恋愛
「29歳? 子供産むならもっと若い子がよかったな」  中堅企業で働く早川結衣(29)は、婚活市場における年齢の壁と、デリカシーのない男たちにすり減らされる日々を送っていた。  そんな結衣の唯一の癒やしは、マンションの隣に住む幼馴染の高校生・瀬戸湊(16)。  両親が共働きの彼に代わって、幼い頃はお世話をしてあげていた……はずが、いつの間にか立場は逆転。 手料理を振る舞われ、愚痴を聞かれ、マッサージまでされる始末。「湊がお嫁さんならいいのに」なんて冗談を言っていたけれど。 「今の結衣姉が一番綺麗だよ。……早く、誰も手出しできない『おばさん』になってくれればいいのに」  可愛い弟分だと思っていた彼が、時折見せる『オス』の顔。 16歳の高校生と、もうすぐ30歳のアラサー。  13歳差の常識と理性に抗いながら、生意気な年下男子に外堀を埋められていく、甘くて重い現状維持(ラブストーリー)。 「俺が大人になるまで、誰とも結婚しないで」 癒やされたいすべての女性に贈る、最強の年下幼馴染による溺愛包囲網、開始。

記憶喪失の私はギルマス(強面)に拾われました【バレンタインSS投下】

かのこkanoko
恋愛
記憶喪失の私が強面のギルドマスターに拾われました。 名前も年齢も住んでた町も覚えてません。 ただ、ギルマスは何だか私のストライクゾーンな気がするんですが。 プロット無しで始める異世界ゆるゆるラブコメになる予定の話です。 小説家になろう様にも公開してます。

嘘コクのゆくえ

キムラましゅろう
恋愛
アニーは奨学金とバイトで稼いだお金で魔法学校に通う苦学生。 生活は困窮、他の学生みたいに愛だの恋だのに現を抜かしている暇などない生活を送っていた。 そんな中、とある教授の研究室で何らかの罰としてアニー=メイスンに告白して来いと教授が学生に命じているのを偶然耳にしてしまう。 アニーとは自分のこと、そして告白するように言われていた学生は密かに思いを寄せる同級生のロンド=ハミルトンで…… 次の日、さっそくその命令に従ってアニーに嘘の告白、嘘コクをしてきたロンドにアニーは…… 完全ご都合主義、ノーリアリティノークオリティのお話です。 誤字脱字が罠のように点在するお話です。菩薩の如き広いお心でお読みいただけますと幸いです。 作者は元サヤハピエン主義を掲げております。 アンチ元サヤの方は回れ右をお勧めいたします。 小説家になろうさんにも時差投稿します。

これって政略結婚じゃないんですか? ー彼が指輪をしている理由ー

小田恒子
恋愛
この度、幼馴染とお見合いを経て政略結婚する事になりました。 でも、その彼の左手薬指には、指輪が輝いてます。 もしかして、これは本当に形だけの結婚でしょうか……? 表紙はぱくたそ様のフリー素材、フォントは簡単表紙メーカー様のものを使用しております。 全年齢作品です。 ベリーズカフェ公開日 2022/09/21 アルファポリス公開日 2025/06/19 作品の無断転載はご遠慮ください。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

虚弱姫はコワモテ将軍の筋肉に触りたい

隙間ちほ
恋愛
◼︎無骨な英雄×病弱な筋肉フェチ姫 ◼︎辺境伯の末娘エルナは、領軍の英雄マテウスとの結婚が決まった。政略結婚――のはずが、実は姫は将軍の熱烈なファン。姫がノリノリで嫁ぐ一方、当のマテウスは「か弱い姫君に嫌われている」と思い込み、距離を取ってしまう……。 ◼︎筋肉と鼻血とすれ違いラブコメ。 ◼︎超高速展開、サクッと読めます。

ブラック企業で倒れた私を、ネトゲ仲間の社長が強制保護して溺愛しています

紅 与一
恋愛
過労で倒れた私を救ったのは、 ネトゲ仲間――そしてIT企業の若き社長。 「もう君は、僕の管理下だよ」 退院と同時に退職手続きは完了。 住む場所も、生活も、すべて彼に囲われた。 外出制限、健康管理、過保護な独占欲。 甘くて危険な“保護生活”の中で、 私は少しずつ彼に心を奪われていく――。 元社畜OL×執着気味の溺愛社長 囲い込み同棲ラブストーリー。

御曹司との交際0日婚なんて、聞いてません!──10年の恋に疲れた私が、突然プロポーズされました【完結】

日下奈緒
恋愛
10年付き合った恋人と別れ、恋に臆病になっていた30歳の千尋。そんな彼女に、取引先で出会った御曹司・神楽木律が突然のプロポーズ。「交際0日で結婚しよう」なんて冗談でしょ?──戸惑いながら始まった新婚生活。冷めた仮面夫婦のはずが、律の一途な想いに千尋の心は少しずつほどけていく。

処理中です...