ひきこもりでも恋をしたい

あき

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第23話 ベンチ四十五秒(音×3+数字×1)

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朝、付箋に太字で書く。
「駅前ベンチ 45秒 v0.2」

下に小さく、手順を並べる。
「音×3+数字×1(価格)」。
「風下に背」。
「退路A=立つ→裏道/退路B=自販機の“24/130”を見る」。
「撤退=成功」。

いろからメッセージ。

「いろ:おはよう。
“v0.2.2”送ります」

箇条書きが落ちる。

「・時間:十四時五十分(人流やや薄)
・視線の置き場:肩→ベンチ脚→自分の手→靴の踵
・音の三つ:アナウンス/葉擦れ/足音
・数字:自販機の“価格数字”を一回だけ確認
・風の角度:前髪→袖→私の肩布
・撤退条件:撮影/笑い声増幅/鳩接近/雨粒が顔に当たる
・撤退=成功
・ごほうび:麦茶 or 氷菓」

仕様書は、今日も優しい。
“雨粒”が新しい撤退条件に入っている。
窓の外はうっすら曇り。
予報は、ぱらつく程度。

「くろ:承認。
麦茶にする」

「いろ:了解。
私は折りたたみ傘を持っていきます。
“風よけ+雨よけ”兼用で」

昼。
UIテストの票を三件。
「スワイプ戻りの判定が左端20pxで発火」
「スナックバーの影が他画面と濃度違い」
「プログレスの角丸が端で欠ける」
数字と線を整えると、胸の中の線もまっすぐになる。

十四時四十五分。
のど飴を一つ。
口の形だけで「す」「う」「は」を練習する。
声は出さない。
形だけ。

明るい“ガチャ”。
非常灯の緑。
廊下を抜け、鏡は“置かない”。
床→手→数字。
一階へ。

エントランスのガラスの外、薄い白。
風は右から。
前髪→袖→肩布。
三点の矢印が揃う。
いろはの肩が、盾の角度を作る。
折りたたみ傘はまだ閉じたまま。

裏道。
自転車が一台。
白線→根元→肩。
歩幅は小さく、足音は薄く。

広場。
音が一段厚くなる。
アナウンスが遠く、笑い声は薄い。
鳩は石畳の端で首を振る。
空に、軽い灰色。
細い雨粒が時々ひとつだけ落ちる。
顔には当たらない。
条件内。

空いたベンチ。
植え込みの前。
背を風下に合わせる。
退路A/Bを確認。
いろはが半歩、斜めに出て、肩で風を丸める。

座る。
背中に木。
視線の置き場を、脚→手→踵へ。
呼吸、吐く。

音を数える。
一つ目。
アナウンス。
「まもなく――」。
一回。

二つ目。
葉擦れ。
植え込みの奥で、乾いた音がかさり。
一回。

三つ目の前に、近い足音。
走る子どものスニーカー。
笑い声が跳ねる。
鳩が二羽、円を描いて近づく。
撤退条件の一つが点灯しかける。
胸の角が一瞬尖る。

「いろ:肩→脚→手。
“退路B=数字”へ移行も可」

文字が胸ポケットに落ちる。
肩→脚→手で戻る。
子どもはすぐ別の方向へ走り、鳩はパン屑を追う。
足音は遠ざかる。
尖りは、丸へ戻る。

三つ目。
遠い足音。
均等なリズム。
一回。

数字。
視線を自販機の“価格数字”へ一瞬だけ移す。
“130”。
一度だけ、確認。
すぐ脚→手へ戻す。
“数字は一回”。
梯子は踏みすぎない方が安全だ。

そのとき、空から細い粒が三つだけ降り、頬に触れた。
冷たい点が三つ。
条件のラインに触れる。
すぐ止む。
微かな匂い。
濡れた石の色。

いろはが短く打つ。

「いろ:いま止みました。
“続行 or 退路A”、選べます」

胸の中で“撤退=成功”が点灯する。
続けるか、退くか。
どちらも勝ち。
今日は――続ける。
余白の感覚が、座面に残っている。

残りの秒数を音で埋める。
遠いバスのエンジンが一度。
足音はゼロ。
葉擦れが一度。
三つ。
十分だ。

立つ。
半拍遅れて、彼女も立つ。
退路A。
裏道へ。
風が背中を軽く押す。
押されるのは、嫌ではない。

「くろ:四十五秒。
音×3+数字×1、成功」

「いろ:大成功。
“雨粒の条件判断”が正確でした。
続行の決断も、撤退と同価値です」

「くろ:肩の傘、ありがとう。
開かずに済んだ」

「いろ:いつでも開ける位置に置いてました」

胸の内側の角が一つ、丸くなる。
丸くなった場所に、麦茶の冷たさを想像で置く。
現実のごほうびは、帰ってから。

エントランス。
鏡は“置かない”。
床→手→数字。
エレベーター。
背を壁へ。
数字が上がり、心拍は下がる。

自分のフロア。
明るい“ガチャ”。
入る。
閉める。
扉に背中。

スマホ。

「くろ:今日の一歩“ベンチ45秒 v0.2(音×3+数字×1)”成功」

飴と絆創膏と花。
花は、雨粒の形に少しだけ傾いたスタンプ。
今日の匂いの記録。

「いろ:ごほうび、麦茶をドア下に」

紙がするり。
ボトルの肩が冷たい。
冷たさは、声の出口を滑らかにする。

共同チェックリストに入力。
右端の星が、また一つ灯る。
星は線になり、線は道になる。

いろから一行。

「いろ:夜の“時系列”は静かに広がってます。
石は来ていません。
砂が少し」

「くろ:“観察は武器、反射は毒”。
しばらく沈黙」

「いろ:はい。
そして次の一歩、相談です」

「くろ:どうぞ」

「いろ:駅の端の“階段 五段 v0.1”。
“上りだけ”。
手順は“手すり確認→一段ずつ→踵を置く→息を吐く”。
視線の置き場は“白線→手すりの支柱→自分の靴の縫い目”。
退路は“踵を戻す→引き返す”。
無理なら、その場で“×”。」

階段。
胸が、提案の形を確かめる。
怖い。
でも、ゼロではない。
五は、数えられる。

「くろ:承認。
“上り五段 v0.1”」

「いろ:よかった。
時間は、十四時台の人流が薄い時。
雨の時は延期」

「くろ:了解」

少し間があって、いろが送ってくる。
階段の手すりの写真に、丸い字で矢印。
「“支柱=置き場”」。
見ているだけで、胸の速度がひとつ落ちる。

そこで、通知。
タイムラインの、外側から。

「“時系列”の投稿、助かった。
UIの差分、納得」

砂ではない文。
胸の水面が、静かに澄む。
澄んだところに、手順を一つ置く。
「踵→吐く」。
簡単な列は、難しい場所で効く。

いろから臨時の一行。

「いろ:――臨時の“名前の練習”、屋内で一回」

喉の奥に、麦茶の冷たさ。
滑りやすい。

「……いろは」

糸みたいに細い声。
でも、切れない。

「透」

呼び捨ての余白が、部屋の空気を一度だけ丸くする。
丸くなったところへ、もう一行。

「いろ:ベンチ、きれいでした。
“数字は一回”を守れたの、特に」

「くろ:ありがとう。
“多すぎない”が効いた」

付箋を一枚。
「ベンチ45秒 v0.2――完了」
飴と絆創膏と花の横に、“130”を小さく書く。
今日の数字。
メトロノームの目盛り。

麦茶を一口。
冷たさが喉の壁に硝子を敷き、声を滑らせる。
滑った声の出口に、次の一歩の影が見える。
階段、五段。

「いろ:明日、“階段五段 v0.1”。
“上りだけ”。
“踵→吐く”」

「くろ:うん。
撤退=成功」

「いろ:条約第2条」

ログを閉じる前、彼女が小さく噛んで、整える。
噛みの跡は、安心の目印。

「いろ:……おやすみ、透」

「おやすみ、いろは」

扉の木目が、背中で小さく頷く。
木は冷たいのに、頷ける。
人も、似ている。

目を閉じる。
ベンチ脚→手→踵。
音を三つ、数字を一つ。
その上に、五段ぶんの息を置いて眠る。
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