ひきこもりでも恋をしたい

あき

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第29話 券売機の前 十秒 v0.1

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朝、付箋に太字で書く。
「券売機の前 十秒 v0.1」

下に小さく、手順を並べる。
「触らない」。
「数字=料金表に一度だけ」。
「視線は“線と角”。画面広告と顔には置かない」。
「音×3+余白一呼吸=10秒」。
「撤退=成功」。

いろからメッセージ。

「いろ:おはようございます。
“券売機の前 十秒 v0.1.2”送ります」

箇条書きが落ちる。

「・時間:十四時二十五分(人流薄)
・位置:券売機列の“端”、壁の角から半歩内側
・立ち方:黄色い線の“外側”、券売機から一歩離す
・視線の置き場:①壁の“角”→②料金表の“数字”(一度だけ)→③自分の手→④靴の縫い目
・“置かない”対象:人の顔/画面広告の切替/紙幣口のランプ
・音の三つ:硬貨“チャリン”/紙幣の吸い込み/発券の“ガガッ”
・撤退条件:列の密度↑/撮影/駅員の誘導/押し合い
・撤退=成功
・ごほうび:麦茶 or ラムネ」

仕様書は、今日も優しい。
“触らない”。
否定形は、境界の手すりになる。

「くろ:承認。
ごほうびはラムネ」

「いろ:了解。
屋外は安全形、呼称は“さん”です」

条約第12条。
屋外は安全第一。
呼び捨ての余白は、部屋へ持ち帰る。

昼、仕事。
UIテストの票を三件。
「タブの選択エフェクトが0.2s→0.18sにばらつく」
「ボタンの押下色がダークで薄い」
「アラートの文字間が英語だけ広い」
数字を整えるたび、胸の速度も一段整う。

十四時二十分。
のど飴を一つ。
口の形だけで「す」「う」「は」。
声は出さない。
形だけ。

黄色い付箋に「OK」。
ドアの下に滑らせる。
丸い字の「OK」が返る。
約束の矢印。

明るい“ガチャ”。
非常灯の緑。
廊下→エレベーター。
鏡は“置かない”。
床→手→数字。
一階へ。

外は薄い白。
裏道。
いろはさんが半歩、前。
前髪→袖→肩布。
三点の矢印が揃う。
肩の盾が、風と視線を切り分ける角度を作る。

広場を抜け、券売機の列の端へ。
壁の角が、視線の置き場に向いている。
黄色い線の外側。
券売機から一歩。
立ち位置を“安全形”に合わせる。

「いろ:ここです。
“角→数字→手→縫い目”。
広告と顔には置かない。
密度が上がったら“×”」

「くろ:了解」

立つ。
角へ視線を“置く”。
当てない、置く。
呼吸、吐く。

一回目。
“チャリン”。
硬貨が落ちる明るい音。
紙幣の吸い込みが一度。
発券の“ガガッ”が一度。
三つ。

二回目。
画面の広告が“旅行特集”に切り替わる。
鮮やかな青。
置かない。
角→手→縫い目へ戻す。
代わりに、遠い“ピンポン”が一度。
“チャリン”が一度。
“ガガッ”が一度。
三つ。

数字を一度だけ。
料金表の“160”。
目を置く。
“見た→戻す”。
角へ。
手→縫い目。
戻せた。
胸の内側で、薄い重石が位置を決める。

三回目――の前に、ショルダー型の小さなレンズが列を横切る。
斜めの視界。
心拍が一段跳ねる。
蛇口は閉じたまま。
いろはさんの肩が半歩、レンズと直角を作る角度にずれる。
盾が、自然に“路”を作る。

三回目。
紙幣の吸い込み。
“チャリン”。
“ガガッ”。
三つ。

余白、一呼吸。
吸って、吐く。
沈黙が、味方。

「くろ:十秒」

「いろ:大成功。
“広告→戻す”、綺麗でした」

その瞬間、隣の男性がビジネスバッグを足元に置き、半歩こちらへ寄った。
鞄の角が、黄色い線の上で止まる。
近さの気配。
心拍が浮く。

「いろ:退路A=壁の角へ半歩“寄る”→向きを斜めに。
“触らない”を維持」

角へ半歩。
向きを斜め。
視線は角→手→縫い目。
置き場を回す。
男性はすぐ、別の機で発券を始め、音が列に吸い込まれていく。

「くろ:一回成功→退避。
端で“五秒”だけ、短く」

「いろ:了解。
“角→手→縫い目”、音二つ+半呼吸で」

端のさらに端。
“チャリン”。
“ガガッ”。
半呼吸。
やめる。
勝ち逃げ。
撤退=成功。

裏道へ戻る。
風が背中を押す。
押されるのは、嫌ではない。
歩幅が前へ出る。

エントランス。
鏡は“置かない”。
床→手→数字。
エレベーター。
背を壁へ。
数字が上がり、心拍は下がる。

自分のフロア。
明るい“ガチャ”。
入る。
閉める。
扉に背中。

スマホ。

「くろ:今日の一歩“券売機の前 十秒 v0.1(広告→戻す/レンズ→肩で遮る/端で五秒)”成功」

すぐに、飴と絆創膏と花。
花の横に、小さな“160”のスタンプ。
今日の匂いの記録。

「いろ:ごほうび、ラムネをドア下に」

紙がするり。
白い粒が掌に転がる。
甘さが、声の出口に薄い硝子を敷く。

共同チェックリストに入力。
右端の星が、また一つ灯る。
星は線になり、線は道になる。

少し間を置いて、いろから一行。

「いろ:時系列の波紋、穏やか。
鍵は閉まったまま。
“ありがとう”のDMが、ぽつぽつ」

「くろ:『ありがとうございます』だけ返す」

「いろ:完璧。
受け取って終える」

ラムネを一粒、舌で転がす。
甘さが、胸の角を一つ丸くする。
丸くすると、次の一歩が置ける。

「いろ:次の案です。
A.“券売機の前 十五秒 v0.2(広告の切替に対して“戻す”を二回確認)”
B.“改札の外側 十五秒 v0.2(駅名看板の角を一度)”
無理なら、今日の十秒を反復」

十五。
胸が、提案の形を確かめる。
怖い。
でも、“戻す”は今日できた。
二回なら、梯子を二本にするだけだ。

「くろ:Aを候補。
人の密度が高ければ反復」

「いろ:了解。
屋外は“さん”、屋内は“呼び捨て”。
切り替え、継続します」

そこで、短いDM。
灰色の動物のアイコン。

「“整理”のやり方、社内の新人に共有しました。
観察の線、真似します」

石ではない。
砂でもない。
水面に小さな波紋だけが広がる。
胸の底の石が、また少し平らになる。

「いろ:臨時の“名前の練習”、屋内で一回」

喉の奥に、ラムネの硝子。
滑りやすい。

「……いろは」

糸みたいに細い声。
でも、切れない。
切れないことを、身体が覚えていく。

「透」

呼び捨ての余白が、部屋の空気を一度だけ丸くする。
丸くなったところに、料金表の“160”が小さく沈む。
数字は、心拍のメトロノーム。
メトロノームは、明日も使える。

机の端に付箋。
「券売機の前 十秒 v0.1――完了」
飴と絆創膏と花の横に、壁の“角”を小さく描く。
角は、戻る場所。
戻る場所があれば、見ても怖くない。

夜、短い訓練を一戦だけ。
角の手前で、いろが打つ。

「いろ:肩」

現実と同じ。
置き場が整えば、敵は薄い。
北面センサー。
赤の線。
切って、繋ぐ。
“回して、止めて、戻す”。
手順は、今夜も効く。

終盤、敵のドローンが急接近。
反射で撃たず、スモークで退避。
“撤退=成功”を選ぶと、胸の角がまた一つ丸くなる。

クリア。
《シェルター延命:72時間》
花火スタンプ。
整備王。
ダサい。
でも、少し誇らしい。

ログアウトの前、いろが小さく噛んで、整える。

「いろ:……おやすみ、透」

「おやすみ、いろは」

扉の木目が、背中で小さく頷く。
木は冷たいのに、頷ける。
人も、似ている。

目を閉じる。
角→数字→手→縫い目。
広告は置かない。
“見た→戻す”。
音を三つ、余白を一呼吸。
その順番を、まぶたの裏に置いて眠る。
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