ひきこもりでも恋をしたい

あき

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第30話 券売機の前 十五秒 v0.2

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朝、付箋に太字で書く。
「券売機の前 15秒 v0.2」

下に小さく、増分。
「広告の切替“二回”→そのたび“戻す”」。
「数字=料金表“一度だけ”」。
「触らない/顔に置かない」。
「撤退=成功」。

いろからメッセージ。

「いろ:おはようございます。
“v0.2.1”送ります」

箇条書きが落ちる。

「・時間:十四時二十五分(人流薄)
・位置:列の“端”、壁の角から半歩内側
・立ち方:黄色い線の“外側”、券売機から一歩
・視線の置き場:角→料金表(1回)→自分の手→靴の縫い目
・“置かない”対象:顔/画面広告/紙幣口ランプ
・音×3×4+余白一呼吸=15秒
・広告切替が来たら“角へ戻す”を宣言(心の中でOK)
・撤退条件:密度↑/撮影/押し合い/駅員の誘導
・撤退=成功
・ごほうび:麦茶 or ラムネ」

仕様書は、今日も優しい。
“戻す”は、今日の主役。
勝ち筋は、すでに体で知っている。

「くろ:承認。
ごほうびは麦茶」

「いろ:了解。
屋外は安全形、呼称は“さん”で」

条約第12条。
屋外は安全第一。
呼び捨ての余白は、部屋へ持ち帰る。

昼、仕事。
UIテストの票を三件。
「戻るスワイプの有効幅が画面Fだけ広い」
「保存トーストの影が濃い」
「ボタンの押下色が暗所で薄い」
数字と線を整えると、胸の速度も一段整う。

十四時二十分。
のど飴を一つ。
口の形だけで「す」「う」「は」。
声は出さない。
形だけ。

黄色い付箋に「OK」。
ドアの下へ。
丸い字の「OK」が返る。
約束の矢印。

明るい“ガチャ”。
非常灯の緑。
廊下→エレベーター、鏡は“置かない”。
床→手→数字。
一階へ。

外は薄い白。
裏道。
前髪→袖→いろはさんの肩布。
三点の矢印が揃う。
肩の盾が、風と視線を切り分ける角度を作る。

広場を抜け、券売機の列の端へ。
壁の角。
黄色い線。
料金表の矩形。
“線と角”は、味方の地図記号。

「いろ:ここ。
“角→数字→手→縫い目”。
広告は“見た→戻す”。
密度が上がったら“×”」

「くろ:了解」

立つ。
角へ視線を“置く”。
当てない、置く。
呼吸、吐く。

一回目。
“チャリン”。
紙幣の吸い込み。
発券の“ガガッ”。
三つ。

二回目の前、画面が切り替わる。
海の青。
旅行の波。
胸の奥が一瞬だけ浮き、視線が引かれそうになる。
“戻す”。
角→手→縫い目。
戻せた。
薄い重石が、胸の中央に置かれる。
重石は、味方。

二回目。
“チャリン”。
“ガガッ”。
券売機のプリンタが低く唸る。
三つ。

数字を一度だけ。
料金表“160”。
置く。
“見た→戻す”。
角へ。
手→縫い目。
戻せた。
重石が、もう一枚。

三回目の前、広告がまた切り替わる。
今度は赤いバーゲン。
点滅。
目を引く。
“戻す”。
角へ。
手→縫い目。
呼吸、吐く。
点滅は、こちらに用がない。
こちらには“角”がある。

三回目。
紙幣の吸い込み。
“チャリン”。
“ガガッ”。
三つ。

そのとき、斜め後ろから小さな声。

「すみません、通ります」

バッグを抱えた女性。
いろはさんが半歩、肩で道を作る。
俺は角へ半歩寄せる。
“触らない”を維持。
通過。
音が列に吸い込まれる。

四回目。
“チャリン”。
ローラーの転がる音。
遠い“ピンポン”。
三つ。

余白、一呼吸。
吸って、吐く。
沈黙が、味方。

「くろ:十五秒」

「いろ:大成功。
“戻す×2”、すばらしかったです」

その瞬間、肩越しの端で、ショルダーの小さなレンズが列を撫でた。
反射で胸が跳ねる。
蛇口は閉じたまま。
角→手→縫い目。
いろはさんの肩が、レンズと直角を作る位置へすっとずれる。
盾は、今日も仕事をする。

「いろ:退路A=角へ半歩→裏道。
“撤退=成功”」

頷く。
角→手→縫い目を回しながら、裏道へ抜ける。
風が背中を押す。
押されるのは、嫌ではない。

「くろ:一回成功→退避、完了」

「いろ:ごほうび、あとで麦茶」

エントランス。
鏡は“置かない”。
床→手→数字。
エレベーター。
背を壁へ。
数字が上がり、心拍は下がる。

自分のフロア。
明るい“ガチャ”。
入る。
閉める。

扉に背中。
掌の温度が現実へ戻る。
“戻す”は、視線だけじゃない。
体も、帰ってくる。

スマホ。

「くろ:今日の一歩“券売機の前 15秒 v0.2(広告→戻す×2/数字→戻す/退避)”成功」

すぐ、飴と絆創膏と花。
花の横に、小さな“角”のスタンプが二つ。
“戻す×2”。
今日の匂いの記録。

「いろ:ごほうび、麦茶をドア下に」

紙がするり。
ボトルの肩が冷たい。
冷たさは、声の出口を滑らせる。

共同チェックリストに入力。
右端の星が、ふたつ続けて灯る。
星は線になり、線は道になる。

少し間を置いて、彼女から。

「いろ:時系列の波紋、穏やか。
“ありがとう”のDMが三通。
石はゼロ、砂は少し」

「くろ:『ありがとうございます』で受け取って終える」

「いろ:完璧」

麦茶を一口。
喉の壁に硝子が敷かれ、声が通りやすくなる。
声は、今日は使わない。
でも、通る道だけ整える。

「いろ:次の案です。
A.“改札の外側 15秒 v0.2(駅名看板の角1回)”
B.“売店の前 10秒 v0.1(触らない/価格数字を一度)”
C.“ベンチ 60秒 v0.3(音×3×5+数字1)”
無理なら、今日の反復」

胸が、提案の形を確かめる。
怖い。
でも、Aは既視感がある。
Cは長い。
Bは、今日の“戻す”とよく似た梯子だ。

「くろ:Bを候補。
人の密度が高ければAへ切り替え」

「いろ:了解。
屋外は“さん”、屋内は“呼び捨て”。
切り替え、継続します」

そこで、DMが一通。
アイコンは抽象的な波。

「“整理”の仕方、社内で共有しました。
反論より“時系列”が効く、納得しました。ありがとうございます」

石ではない。
砂でもない。
静かな水。
胸の底の石の角が、また一つ丸くなる。

いろへ報告。

「くろ:DM、受け取り“ありがとうございます”で終えた」

「いろ:ありがとう。
“受け取りの練習”、合格です」

少し間を置いて、臨時の一行。

「いろ:……屋内で、臨時の“名前の練習”を一回」

喉の奥に、麦茶の冷たさ。
滑りやすい。

「……いろは」

糸みたいに細い声。
でも、切れない。
切れないことを、身体が覚えていく。

「透」

呼び捨ての余白が、部屋の空気を一度だけ丸くする。
丸くなったところに、“戻す×2”の感触が静かに沈む。
見ても、戻せる。
それが今日の勝ち方。

机の端に付箋。
「券売機の前 15秒 v0.2――完了」
飴と絆創膏と花の横に、角を二つ描く。
角は、戻る場所。
戻る場所があれば、見ても怖くない。

夜、短い訓練を一戦だけ。
角の前で、いろが打つ。

「いろ:肩」

現実と同じ。
置き場が整えば、敵は薄い。
北面センサー。
赤い線。
切って、繋ぐ。
“回して、止めて、戻す”。
今日のキーワードは、ここでも効く。

終盤、ドローンの群れがライトを点滅させて迫る。
視線が引かれそうになる。
“戻す”。
ミニマップ→角→手。
煙で退避。
撤退=成功。
胸の角が、また一つ丸くなる。

クリア。
《シェルター延命:96時間》
花火スタンプ。
整備王。
ダサい。
でも、少し誇らしい。

ログアウト前、いろが小さく噛んで、整える。

「いろ:……おやすみ、透」

「おやすみ、いろは」

扉の木目が、背中で小さく頷く。
木は冷たいのに、頷ける。
人も、似ている。

目を閉じる。
角→数字→手→縫い目。
広告は置かない。
“見た→戻す×2”。
音を三つ、余白を一呼吸。
その順番を、まぶたの裏に置いて眠る。
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