ひきこもりでも恋をしたい

あき

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第35話 十五秒と二つの一語

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朝、付箋に太字で書く。
「停車中のドア 15秒 v0.3」

下に小さく増分。
「任意『どうぞ』×2(言えなければ首横)」。
「『ありがとう』の受け取り=頷き or 小声『いえ』」。
「撤退=成功」。

いろからメッセージ。

「いろ:おはようございます。
“v0.3.1”送ります」

箇条書きが落ちる。

「・時間:十四時二十五分(人流薄)
・場所:端寄り/二両境目
・立ち方:黄色い線“外側”、肩を斜め(通路確保)
・視線:線→柱の角→自分の手→靴の縫い目(窓と顔には置かない)
・音:開扉“プシュー”→空調→足音/ローラー → 余白一呼吸
・任意の言葉:後方の“ためらい”へ小声『どうぞ』×2まで
・受け取り v0.1:『ありがとう』には“頷き” or 小声『いえ』
・撤退条件:駅員の笛/強風/密度↑/撮影
・撤退=成功
・ごほうび:麦茶 or レモンアイス
・条約案:第15条『受け取りは短く、心で伸ばす』」

条約の言葉が、胸の真ん中で小さく灯る。
“短く、心で伸ばす”。
外に出す音は小さくていい。
伸ばすのは内側でいい。

「くろ:承認。
ごほうびは麦茶」

「いろ:了解。
屋外は安全形、“さん”。
屋内は余白、“呼び捨て”」

昼の前、のど飴を一つ。
鏡の前で口の形だけを練習する。
「ど」「う」「ぞ」。
「い」「え」。
声は出さない。
形だけ。
舌の先で角の丸さを確かめ、胸の速度を一段落とす。

仕事を三件。
「戻るスワイプ幅のばらつき」
「トーストの影の濃度」
「警告赤のコントラスト」
数字を整えると、心拍も目盛りに従う。

十四時二十分。
黄色い付箋に「OK」。
ドアの下へ滑らせる。
丸い字で「OK」が返る。
約束の矢印。

明るい“ガチャ”。
非常灯の緑。
廊下→エレベーター。
鏡は“置かない”。
床→手→数字。
一階へ。

裏道。
前髪→袖→いろはさんの肩布。
三点の矢印が揃う。
肩の盾が、風と視線を切り分ける角度を作る。

ホーム。
停車中の列車が、薄く息をしている。
端寄り、二両の境目。
柱の角が、視線の置き場に向いている。
黄色い線。
境界の味方。

「いろ:ここが“外側”。
“線→角→手→縫い目”。
笛が来たら“×”。
“どうぞ”は任意、二回まで。
“受け取り”は“頷き”か小声“いえ”」

「くろ:了解」

線に平行に体を置き、肩を斜め。
通路を確保。
“入らない”。
否定形は、境界の手すり。

ランプが淡く点り、
“プシュー”。
一つ目。

空調の吹き返しが胸を撫でる。
二つ目。

背でローラーが一度、床を這う。
三つ目。

一呼吸。
吸って、吐く。
十秒の先へ、十五の余白を延ばす。

肩の後ろに、ためらいの気配。
半歩の静止。
視線は線→角→手→縫い目。
順番を守ったまま、喉を飴の硝子で撫でる。

「……どうぞ」

糸みたいに小さい。
でも、切れない。
気配が流れに戻る。
「ありがとうございます」
返る声。
胸の中央に薄い重石。
受け取りの手順。
頷く。
顎を、ゆっくり一回。
“短く、心で伸ばす”。
心の中で「どういたしまして」を静かに伸ばす。

二つ目の一語を置く機会は、すぐ来た。
ベビーカー。
母親が列の端で速度を落とす。
線→角→手→縫い目。
順番を置いた上で、もう一度。

「……どうぞ」

母親は軽く会釈して乗り込む。
言葉はない。
でも、会釈も“ありがとう”だ。
受け取りの手順。
頷く。
心で、少し長く伸ばす。

その時、ホームの反対側で駅員の笛。
視界の端でショルダーの小さなレンズがきらり。
心拍が一段跳ねる。
蛇口は閉じたまま。
線→角→手→縫い目。
いろはさんの肩が半歩、レンズと直角を作る位置へずれる。
盾は、今日も仕事をする。

「いろ:退路A=柱の影→裏道。
“撤退=成功”」

頷く。
線から角へ半歩寄せ、体を切る。
流れは俺の背中で薄くほどけていく。
裏道へ抜ける。
風が背中を押す。
押されるのは、嫌ではない。

「くろ:一回目“どうぞ+受け取り”、二回目“どうぞ(会釈)”、完了。
退避」

「いろ:大成功。
“短く、心で伸ばす”が綺麗でした」

エントランス。
鏡は“置かない”。
床→手→数字。
エレベーター。
背を壁へ。
数字が上がり、心拍は下がる。

自分のフロア。
明るい“ガチャ”。
入る。
閉める。
扉に背中。

スマホ。

「くろ:今日の一歩“停車中のドア 15秒 v0.3(任意どうぞ×2/受け取り=頷き)”成功」

すぐ、飴と絆創膏と花。
花の横に、小さな吹き出しが二つ。
今日の匂いの記録。

「いろ:ごほうび、麦茶をドア下に」

紙がするり。
ボトルの肩が冷たい。
冷たさは、声の出口を滑らせる。

共同チェックリストに入力。
右端の星が二つ続けて灯る。
星は線になり、線は道になる。
道の上に、二つの一語が光る。

少し間を置いて、彼女から。

「いろ:時系列の波紋、穏やか。
“鍵”は閉まったまま。
“ありがとう”のDMが一通」

「くろ:『ありがとうございます』で受け取って終えた」

「いろ:完璧。
条約第15条、採択します——『受け取りは短く、心で伸ばす』」

麦茶を一口。
喉の壁に硝子が敷かれ、名前が通る細い道ができる。

「いろ:次の案です。
A.“ホームの端 三歩 v0.2(停車中のみ/時計の角一回/『どうぞ』任意×1)
B.“駅前ベンチ 60秒 v0.3(音×3×5+数字1/途中退避OK)
C.“売店の前 15秒 v0.2(表紙色替わり“戻す”×2)」

六十秒は、長い。
でも、“退避OK”。
三歩は、線の延長。
どちらも梯子が見える。

「くろ:Aを候補。
混んでいたらBへ」

「いろ:了解。
屋外は“さん”、屋内は“呼び捨て”。
切り替え、継続です」

そこで、短いDM。
アイコンは、灰色の波。

「“時系列”、助かりました。
『反射は毒』、忘れないようメモに貼りました。
ありがとう」

石ではない。
砂でもない。
静かな水。
胸の底の石の角が、また一つ丸くなる。

「いろ:……屋内で“名前の練習”、一回だけ」

喉に麦茶の冷たさ。
滑りやすい。

「……いろは」

糸みたいに細い声。
でも、切れない。

「透」

呼び捨ての余白が、部屋の空気を丸くする。
丸くなった場所に、さっきの「ありがとうございます」が静かに沈む。
受け取りは短く、心で伸ばす。
伸ばした心は、声の通り道を広げる。

机の端に付箋。
「停車中のドア 15秒 v0.3――完了」
飴と絆創膏と花の横に、吹き出しを二つ描く。
一語の双子。
どちらも小さい。
けれど、道を作るには十分だ。

夜。
短い訓練を一戦だけ。
角の前で、いろが打つ。

「いろ:肩」

現実と同じ。
置き場が整えば、敵は薄い。
北面センサー。
赤の線。
切って、繋ぐ。
“回して、止めて、戻す”。

終盤、ゲートが“プシュー”と開くギミック。
視線が光に引かれかける。
線→角→手→ミニマップ。
戻す。
通路に小さくピンを置く。

「……どうぞ」

ボイスは切ってある。
代わりにスタンプ。
味方が流れに乗る。
受け取りは短く、心で伸ばす。
画面のこちらで、頷くだけでいい。

クリア。
《シェルター延命:96時間》
花火スタンプ。
整備王。
ダサい。
でも、今夜は少し誇らしい。

ログアウトの前、彼女が小さく噛んで、整える。

「いろ:……おやすみ、透」

「おやすみ、いろは」

扉の木目が、背中で小さく頷く。
木は冷たいのに、頷ける。
人も、似ている。

目を閉じる。
線→角→手→縫い目。
“プシュー→空調→足音→一語→受け取り→余白”。
十五秒の梯子が、まぶたの裏で静かに並ぶ。
次は、三歩。
線の上で、足と心拍をそろえる。
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