ひきこもりでも恋をしたい

あき

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第34話 停車中のドア 十秒 v0.2(任意の「どうぞ」)

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朝、付箋に太字で書く。
「停車中のドア 10秒 v0.2」

下に小さく、手順を並べる。
「黄色い線“外側”で止まる(列に入らない)」。
「開く音→音×2→余白一呼吸=十秒」。
「視線=線→角→手→縫い目(窓と顔には置かない)」。
「任意:『どうぞ』(言えなければ首横)」。
「撤退=成功」。

いろからメッセージ。

「いろ:おはようございます。
“停車中のドア 10秒 v0.2.1”送ります」

箇条書きが落ちる。

「・時間:十四時二十五分(人流薄)
・場所:端寄りの車両、二両の境目付近
・立ち方:黄色い線の“外側”、肩を斜め(通路確保)
・視線の置き場:線→柱の角→自分の手→靴の縫い目
・音:『プシュー』→空調の吹き返し→足音 or ローラー
・“任意の言葉”:後方からの“気配”に対して小声で『どうぞ』
・言えなければ“首横”で勝ち
・撤退条件:駅員の笛/強風/密度↑/撮影
・撤退=成功
・ごほうび:レモンアイス or 麦茶
・条約案:第14条“言葉は小さくていい、順番が先”」

仕様書は、今日も優しい。
“順番が先”。
言葉は、その後でいい。

「くろ:承認。
ごほうびは麦茶」

「いろ:了解。
屋外は安全形、呼称は“さん”で」

昼の前、のど飴を一つ。
鏡の前で口の形だけ動かす。
「ど」「う」「ぞ」。
声は出さない。
形だけ。
舌の先で、角の丸さを確かめる。

仕事を三件。
「戻るスワイプ幅のばらつき」
「警告赤のコントラスト」
「トースト影の濃度」
数字を整えると、胸の速度も一段整う。

十四時二十分。
黄色い付箋に「OK」。
ドアの下へ滑らせる。
丸い字の「OK」が返る。
約束の矢印。

明るい“ガチャ”。
非常灯の緑。
廊下→エレベーター。
鏡は“置かない”。
床→手→数字。
一階へ。

裏道。
風は右から。
前髪→袖→いろはさんの肩布。
三点の矢印が揃う。
肩の盾が、風と視線を切り分ける角度を作る。

ホーム。
停車中の列車。
端寄り、二両の境目付近。
柱の角が、視線の置き場に向いている。
黄色い線。
境界の味方。

「いろ:ここが“外側”。
“線→角→手→縫い目”。
笛が来たら“×”。
“どうぞ”は任意。
順番が勝ちです」

「くろ:了解」

線に平行に体を置く。
肩を斜め。
通路を確保。
“入らない”。
否定形は、境界の手すり。

ドアのランプが淡く点り、
“プシュー”。
一つ目。

空調の吹き返しが、低く胸を撫でる。
二つ目。

背の方で、スーツケースのローラー。
三つ目。

半呼吸。
吸う。
吐く。
ここで“十秒”。

その瞬間、肩越しに、ためらいの気配。
半歩、こちらの背後で足が止まる。
視線は線→角→手→縫い目。
順番は守る。
守ったまま、喉の出口を、飴の硝子で撫でる。

「……ど、うぞ」

糸みたいな小さな音。
でも、切れない。
言った瞬間、気配がやわらかく流れに戻る。
「ありがとうございます」
返ってきた声は、驚くほど軽かった。
流れが、俺の前でほどけた。

「いろ:……届きました。
“任意の一語”、成功です」

胸の中央に、薄い重石。
重石は、味方。
言葉は、思っていたより軽い。
軽いから、順番の上に乗せられる。

視界の端を、ショルダーの小さなレンズが撫でる。
心拍が一段跳ねる。
蛇口は閉じたまま。
線→角→手→縫い目。
いろはさんの肩が半歩、レンズと直角を作る位置へずれる。
盾は、今日も仕事をする。

「いろ:退路A=柱の影→裏道。
“撤退=成功”」

頷く。
線から角へ半歩寄せ、体を切る。
人の流れが背中で薄くほどける。
裏道へ抜ける。
風が背中を押す。
押されるのは、嫌ではない。

「くろ:一回成功→退避」

「いろ:大成功。
“順番→一語”の置き方、すごく美しかったです」

少し間を置いて、俺から提案。

「くろ:端でもう一回、五秒。
言葉なし」

「いろ:OK。
“プシュー→空調→足音→半呼吸”で」

端のさらに端。
五秒。
同じ順番。
終える。
勝ち逃げ。

エントランス。
鏡は“置かない”。
床→手→数字。
エレベーター。
背を壁へ。
数字が上がる。
心拍は下がる。

自分のフロア。
明るい“ガチャ”。
入る。
閉める。
扉に背中。

スマホ。

「くろ:今日の一歩“停車中のドア 10秒 v0.2(『どうぞ』小声/×なし/端で5秒)”成功」

すぐ、飴と絆創膏と花。
花の横に、小さな“どうぞ”の吹き出しスタンプ。
今日の匂いの記録。

「いろ:ごほうび、麦茶をドア下に」

紙がするり。
ボトルの肩が冷たい。
冷たさは、声の出口を滑らせる。

共同チェックリストに入力。
右端の星が、また一つ灯る。
星は線になり、線は道になる。
道の上に、今日は“一語”が落ちて光る。

数分して、いろから。

「いろ:時系列の波紋、穏やか。
“ありがとう”のDMが一通。
石はゼロ、砂はほんの少し」

「くろ:『ありがとうございます』で受け取って終えた」

「いろ:完璧。
条約第14条、採択です――『言葉は小さくていい、順番が先』」

喉の奥で、麦茶の硝子が静かに鳴る。
鳴って、沈む。
沈んだところに、今日の「どうぞ」が横になる。

「いろ:次の案です。
A.“停車中のドア 15秒 v0.3(『どうぞ』任意×2/できれば『ありがとう』受け取り)
B.“ホームの端 三歩 v0.2(停車中のみ/時計の角一回)
C.“駅前ベンチ 60秒 v0.3(音×3×5+数字1/途中で退避OK)」

十五秒。
胸が、提案の形を確かめる。
怖い。
でも、二回なら、今日の一語をもう一度、置く練習。
置き場は知っている。

「くろ:Aを候補。
混んでたらBへ」

「いろ:了解。
屋外は安全形“さん”、屋内は余白“呼び捨て”。
切り替え継続です」

通知が一つ。
灰色の動物のアイコン。

「“時系列”、助かりました。
“反論より順番”、印象に残りました。ありがとう」

石ではない。
砂でもない。
静かな水。
胸の底の石の角が、また一つ丸くなる。

「いろ:……臨時の“名前の練習”、屋内で一回だけ」

喉の奥に、麦茶の冷たさ。
滑りやすい。

「……いろは」

糸みたいに細い声。
でも、切れない。
切れないことを、身体が覚えていく。

「透」

呼び捨ての余白が、部屋の空気を一度だけ丸くする。
丸くなった場所に、さっきの「どうぞ」がもう一度、やわらかく乗る。
言葉は小さくていい。
順番の上に、置ければいい。

机の端に付箋を一枚。
「停車中のドア 10秒 v0.2――完了」
飴と絆創膏と花の横に、細い縦線と小さな吹き出しを描く。
縁と一語。
縁は戻る場所で、一語は橋。
橋があれば、流れは味方になる。

夜。
短い訓練を一戦だけ。
角の手前で、いろが打つ。

「いろ:肩」

現実と同じ。
置き場が整えば、敵は薄い。
北面センサー。
赤い線。
切って、繋ぐ。
“回して、止めて、戻す”。

後半、扉ギミックが開いて敵が雪崩れる。
視線が光に引かれかける。
線→角→手→ミニマップ。
“戻す”。
通路を開けて、味方に小さく。

「……どうぞ」

ボイスチャットは切ってある。
代わりにピン。
矢印が流れを整える。
“言葉は小さくていい、順番が先”。
ここでも効く。

クリア。
《シェルター延命:96時間》
花火スタンプ。
整備王。
ダサい。
でも、今夜は少し誇らしい。

ログアウトの前、彼女が小さく噛んで、整える。

「いろ:……おやすみ、透」

「おやすみ、いろは」

扉の木目が、背中で小さく頷いた気がした。
木は冷たいのに、頷ける。
人も、似ている。

目を閉じる。
線→角→手→縫い目。
“プシュー→空調→足音→一語→余白”。
十秒の梯子が、まぶたの裏で静かに並ぶ。
明日は、十五秒。
同じ順番の上に、小さな橋をもう一つ。
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