ひきこもりでも恋をしたい

あき

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第39話 二十秒の橋、礼は一拍

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朝、付箋に太字で書く。
「停車中のドア 20秒 v0.4」

下に小さく、増分。
「任意『どうぞ』×1」。
「『ありがとう』の受け取り=“頷き一拍” or 小声『いえ』」。
「撤退=成功」。

いろからメッセージ。

「いろ:おはようございます。
“停車 20秒 v0.4.1”送ります」

箇条書きが落ちる。

「・時間:十四時二十五分(人流薄)
・場所:端寄りの車両、二両の境目付近
・立ち方:黄色い線の“外側”、肩を斜め(通路確保)
・視線:線→柱の“角”→自分の手→靴の縫い目(窓と顔には置かない)
・数え方:『プシュー』→空調→足音/ローラー=三つを四回+余白一呼吸≒20秒
・任意の言葉:後方の“ためらい”へ小声『どうぞ』×1
・受け取り v0.2:『ありがとう』→“頷き一拍” or 小声『いえ』(どちらも短く)
・撤退条件:駅員の笛/強風/密度↑/撮影
・撤退=成功
・ごほうび:麦茶 or レモンアイス
・条約案:第19条『礼は一拍、言葉は小声』」

条約の新しい文が胸の中央で小さく灯る。
“礼は一拍”。
伸ばすのは、心の中でいい。

「くろ:承認。
ごほうびは麦茶」

「いろ:了解。
屋外は安全形、“さん”で行きます」

昼。
UIテストを三件。
「戻るスワイプ幅の統一」
「トースト影の濃度の揃え」
「警告赤のコントラスト」
数字が整列すると、胸の速度も一段整う。

十四時二十分。
のど飴を一つ。
鏡の前で口の形だけ練習。
「ど」「う」「ぞ」。
「い」「え」。
声は出さない。
形だけ。

黄色い付箋に「OK」。
ドアの下へ滑らせる。
丸い字で「OK」が戻る。
約束の矢印。

明るい“ガチャ”。
非常灯の緑。
廊下→エレベーター。
鏡は“置かない”。
床→手→数字。
一階へ。

裏道。
前髪→袖→いろはさんの肩布。
三点の矢印が揃う。
肩の盾が、風と視線を切り分ける角度を作る。

ホーム。
停車中の列車が、低く息をしている。
端寄り、二両の境目。
柱の角が、視線の置き場に向いている。
黄色い線。
境界の味方。

「いろ:ここが“外側”。
“線→角→手→縫い目”。
『どうぞ』は任意。
『ありがとう』は“一拍”。
笛が来たら“×”です」

「くろ:了解」

線に平行に体を置く。
肩を斜め。
通路を確保。
“入らない”。
否定形は、境界の手すり。

ドアのランプが淡く点り、
“プシュー”。
一つ目。

空調の吹き返しが、胸を撫でる。
二つ目。

背でローラーが一度、床を這う。
三つ目。

二回目。
“プシュー”はなく、空調→足音→アナウンス。
三つ。
線→角→手→縫い目。
順番は、味方。

背後に、短い“ためらい”。
半歩の静止。
角へ視線を帰す。
喉の出口を、飴の硝子で静かに撫でる。

「……どうぞ」

糸みたいに小さい。
でも、切れない。
気配が流れに戻る。
「ありがとうございます」
返る声。
受け取りの手順。
“頷き一拍”。
顎を、ゆっくり下へ一度。
心の中で、静かに「どういたしまして」を伸ばす。

三回目。
足音→空調→遠い“ピンポン”。
三つ。
胸の中央に薄い重石。
重石は、味方。

そのとき、ホームの向こうで駅員の笛。
同時に、斜め後ろをショルダーの小さなレンズが撫でる。
心拍が一段跳ねる。
蛇口は閉じたまま。
線→角→手→縫い目。
いろはさんの肩が半歩、レンズと直角を作る。
盾は、今日も仕事をする。

「いろ:密度、少し上がりました。
分割OK。
“立つ→半歩→柱の影”、『撤退=成功』でもいいです」

足を半歩、影へ。
密度は波。
一段盛り上がって、また落ちる。
今日は続ける。
“続ける”も“撤退”も、同じ勝ち。
選べるのが勝ち。

戻って四回目。
空調→足音→“ピンポン”。
三つ。

余白、一呼吸。
吸って。
吐く。
二十。

「くろ:……20秒」

「いろ:大成功。
“任意の一語→一拍の受け取り→分割判断”、全部きれいでした」

列の端で、手を振る子ども。
こちらを見ているが、顔には置かない。
線→角→手→縫い目。
置き場を回す。
母親が軽く会釈。
受け取りの手順。
“頷き一拍”。
それで足りる。

「いろ:ここで“勝ち逃げ”にしましょう」

「くろ:了解」

線から角へ寄り、裏道へ。
風が背中を押す。
押されるのは、嫌ではない。
歩幅が前へ出る。

エントランス。
鏡は“置かない”。
床→手→数字。
エレベーター。
背を壁へ。
数字が上がり、心拍は下がる。

自分のフロア。
明るい“ガチャ”。
入る。
閉める。
扉に背中。

スマホ。

「くろ:今日の一歩“停車中のドア 20秒 v0.4(任意どうぞ×1/受け取り=頷き一拍/分割判断)”成功」

すぐ、飴と絆創膏と花。
花の横に、小さな“一拍”の記号みたいな点が一つ。
今日の匂いの記録。

「いろ:ごほうび、麦茶をドア下に」

紙がするり。
キャップを少し緩める。
冷たい線が喉の壁に引かれる。
声が通りやすくなる。

共同チェックリストに入力。
右端の星が、また一つ灯る。
星は線になり、線は道になる。
道の途中で、一拍ぶんの丸い点が光る。

数分して、彼女から。

「いろ:時系列の波紋、穏やか。
“ありがとう”のDMが一通。
石はゼロ、砂は少し」

「くろ:『ありがとうございます』で受け取って終えた」

「いろ:完璧。
第19条、採択します——『礼は一拍、言葉は小声』」

麦茶を一口。
喉の硝子が、今日の一拍の位置を覚える。
覚えた位置は、次の場面で道になる。

「いろ:次の案です。
A.“ホームの端 四歩 v0.3(停車中/時計の角一回/任意『どうぞ』×1)
B.“売店の前 15秒 v0.2(表紙色替わり“戻す”×2)
C.“改札の外側 25秒 v0.4(角一回/分割OK)”
無理なら、今日の20秒を反復」

四歩。
胸が、提案の形を確かめる。
怖い。
でも、三歩は渡れた。
一歩増えるだけだ。
橋は、短くても、継げる。

「くろ:Aを候補。
混んでいたらBへ」

「いろ:了解。
屋外は“さん”、屋内は“呼び捨て”。
切り替え継続です」

そのとき、DMが一通。
アイコンは、小さな丸印。

「“礼は一拍”の言い回し、職場で使わせてください。
長いお礼が苦手な後輩が、救われそうです。ありがとう」

石ではない。
砂でもない。
静かな水。
胸の底の石の角が、また一つ丸くなる。

「いろ:……屋内で“名前の練習”、一回だけ」

喉の奥に麦茶の冷たさ。
滑りやすい。

「……いろは」

細い糸みたいな声。
でも、切れない。

「透」

呼び捨ての余白が、部屋の空気を丸くする。
丸くなった場所に、今日の“一拍”が静かに沈む。
礼は一拍。
小さくて、十分。

机の端に付箋。
「停車中のドア 20秒 v0.4――完了」
飴と絆創膏と花の横に、点を一つ描く。
一拍の点。
点は、道の上で、合図になる。

夜、短い訓練を一戦だけ。
角の手前で、いろが打つ。

「いろ:肩」

現実と同じ。
置き場が整えば、敵は薄い。
北面センサー。
赤の線。
切って、繋ぐ。
“回して、止めて、戻す”。

終盤、味方が細い通路で詰まる。
ピンを一つ、短く置く。
一拍だけ、視線を角に戻す。
小声の代わりに、短いエモートを一つ。
礼は一拍、言葉は小声。
ゲームでも効く。

クリア。
《シェルター延命:96時間》
花火スタンプ。
整備王。
ダサい。
でも、少し誇らしい。

ログアウトの前、彼女が小さく噛んで、整える。

「いろ:……おやすみ、透」

「おやすみ、いろは」

扉の木目が、背中で小さく頷く。
木は冷たいのに、頷ける。
人も、似ている。

目を閉じる。
線→角→手→縫い目。
“プシュー→空調→足音×4→一拍”。
二十秒の橋を渡り切った足の裏に、次の一歩の感触が残る。
四歩。
短い橋を、もう少しだけ延ばす。
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