簒奪女王と隔絶の果て

紺乃 安

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フィスカルボの諍乱

決闘 3

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 ギルヤの森を東西に横断する林道のわきに、傾斜けいしゃのまったくない平板な一帯がある。林立する白樺の木々は間隔がまばらで、ここは決闘にあつらえ向きの舞台である。じっさい過去に何度か、貴族同士がめいめいの矜持きょうじをかけて争い、運悪く命を落とした者もいるという。
 そういった血と情念が染み込んだ土の上に、今また、新たな決闘者たちが集まっていた。
 ベアトリスとその立会人である哲学者ノルシュトレーム、それに補佐人を務めるのはアリサだ。ベアトリスは口数少なく、緊張した面持ちで銃のゼンマイや火打ち石を点検している。
 アルバレスとルーデルスは――双方同数の補佐人と立会人を置くべし、という――決闘の慣例上その場には立ち会わず、周囲に異変がないかどうか、遠巻きに警戒にあたっていた。もしオットソンが陰謀を企んでいれば、決闘場の外に人なり武器なりを隠しておくだろう――アルバレスはそう予測し、みずからその捜索に当たることを選んだ。その補助役には、元馬飼いで山歩きに慣れているルーデルスを選び、機転の利くアリサを補佐人にとしてベアトリスにつけたのだった。
 オットソンの側は当人と、立会人を務める弁護士しか決闘場に姿を見せていない。補佐人のエクレフはどうやら遅れてきているらしい。オットソンはこのに及んで失態をさらすふがいない従兄弟いとこよりも、ベアトリス側の立会人がノルシュトレームだったことに、少なからず関心を寄せているようだった。ノルドグレーン議会の開明派や知識層、と大雑把にカテゴライズされている――オットソンも含む――人士のあいだでは、ノルシュトレームの名を知らぬ者はいない。
「こんな不快な仕事はここ二十年なかったぞ、ラーゲルフェルトよ……」
 その高名な哲学者はワインの入ったゴブレットを片手に、ここにいない元書生に対して恨みごとをぼやいていた。
「すいません、ノルシュトレームさん」
「君が謝る筋ではないが……まったく、酒でも飲まねばやってられんわ」
 ノルシュトレームは、彫りの深い顔のしわに目をうずめるように眉をしかめ、手酌てじゃくで酒をあおっていた。小さなテーブルには、塩漬けのニシンと赤ワインの瓶が置かれている。誰が選んだのか、酒と肴の組み合わせとしては極めて相性が悪いものだ。
「……なんと、ノルシュトレーム先生であらせられますか」
 オットソン側の立会人の弁護士が、ノルシュトレームに声をかけてきた。たくわえた口ひげは几帳面に形を整えられ、仕立ての良いスーツを着た初老の紳士だ。右手には柄に入った長剣を、左手には数枚の紙束を持っている。
「どこかで会ったかな?」
「いえ。しかしご高著こうちょは、つねづね拝読はいどくさせていただいております」
「そうですか。では今日あなたが帰宅したら、その本は暖炉に放り込まれることになりますかな」
「な、なにをおっしゃいますか……」
「なにしろ見ての通り、言行不一致がはなはだしい。私がこれまで述べてきたことにも、さぞかし疑義が生じておりましょう」
「理由がおありなのでは?」
「まあそれはそうだが……言ったところで詮無せんないことだ。名をなんと言ったかな」
「弁護士のシベリウスと申します。オットソンきょうとは、新たな仕事を契約しようという矢先でありました」
「彼はなにか訴訟を抱えていたかね?」
「いえ、訴訟ではなく……なんといいますか」
 シベリウスは口ひげの形を直すように触り、考えをまとめているようだ。
「まず私が彼の事業の会計を監査かんさし、財務体質の健全性に裏付けを与えます。その情報をもとに新たな出資を募る、という……前例のないことで」
「ほう、なかなか面白いことをやっておるようだ」
「……弁護士どの、よろしいかな」
 オットソンが冷たい視線と言葉を投げかける。シベリウスが懐中かいちゅう時計を見ると、まもなく指定した時刻のようだ。
「刻限が近い。位置についたらどうだ」
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