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フィスカルボの諍乱
決闘 2
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オットソンがベアトリスに突きつけた決闘という手段は、時代錯誤であるばかりか、ノルドグレーンにおける法的根拠もない。その勝敗にどのような意味を持たせるかは、当事者間の紳士協定によって決定される。だがオットソンの決闘状には、勝利の報酬についてなにも記載されていなかった。
その点を不審に思い、決闘の前夜、ベアトリスたちはフォルサンド邸の応接間に集まっていた。
「……このままだと、これはただの決闘ですよ」
片づかない顔でブラウンの髪をかきむしりながら、ラーゲルフェルトがつぶやいた。
「射撃の腕に関して、オットソンはそれなりのものらしいですが……だからこそ、なんで借金の帳消しを求めないんでしょう」
「本当に、何を考えているのかしらね……」
「決闘の様式も、まあ堂に入ったものですし……なにか企みごとがあるというのでない限り、かえって不自然ですね」
「その点は隊長さんに警戒してもらうとして」
「むろん我々が先乗りして、周辺の調査はしますが……わざわざ決闘を申し込みながらだまし討ちのような真似をしては、失う名声のほうが大きすぎるでしょう」
「理論的に考えれば、そうなのよね……」
ベアトリスたちは怪訝な顔を寄せ合う。その不可解さに彼女らが頭を悩ますのも、無理のないことだった。なにしろオットソン自身が、おのれの感情を制御・理解できていないのだから。
話し合っても埒のあかない謎から逃げるように、アルバレスがラーゲルフェルトに話題を振った。
「ところで、決闘の立会人は決まったのですか?」
「ああ、ちょうどいい人がフィスカルボに来てましたよ」
そう言うラーゲルフェルトの顔はどことなく得意げで、いたずらっぽい。
「……なによその顔は」
「三文芝居の主演女優でも連れてきたのでは?」
「いやまあ折もよく、うちの先生がフィスカルボについて書くために滞在してまして」
「先生……?」
アリサが他の四人の顔を見渡した。彼女はラーゲルフェルトの前歴を詳しく知らない。
「先生とは……あのノルシュトレーム翁のことですか?」
「もちろん」
「そんな人に立会人役を頼んだの!?」
ベアトリスは驚きの声を上げた。むろん演者の力量に不安があるというのではなく、役のほうが不足なのである。かつてラーゲルフェルトが書生として学び、ベアトリスも教えを請おうとした哲学者、ノルシュトレーム――その名をこんな状況で聞くことになるとは、まったく予測していなかった。
「よく引き受けてくれたわね」
「決闘をする人間など、心から軽蔑していそうな人でしょうに」
「じっさい、馬鹿者め、と先生に罵倒されましたよ」
「それはそうでしょう」
馬鹿者め、何のためにお前をローセンダールに付けたのか――そう言ってノルシュトレムは憤慨していたのだが、ラーゲルフェルトはそこまで正確には伝えなかった。
スヴァルトラスト・ヴァードシュースの酒場が闘技場のような喧騒に沸いた夜から、四度目の夜あけが訪れた。イェルケル・オットソンの治めるオーヴァシエル県の西岸は広範囲にわたって、早朝から海霧が発生していた。港湾都市フィスカルボとその東側に広がるギルヤの森も、けぶるような霧に包まれている。
ギルヤの森を東西に横断する林道のわきに、傾斜のまったくない平板な一帯がある。林立する白樺の木々は間隔がまばらで、ここは決闘にあつらえ向きの舞台である。じっさい過去に何度か、貴族同士がめいめいの矜持をかけて争い、運悪く命を落とした者もいるという。
そういった血と情念が染み込んだ土の上に、今また、新たな決闘者たちが集まっていた。
その点を不審に思い、決闘の前夜、ベアトリスたちはフォルサンド邸の応接間に集まっていた。
「……このままだと、これはただの決闘ですよ」
片づかない顔でブラウンの髪をかきむしりながら、ラーゲルフェルトがつぶやいた。
「射撃の腕に関して、オットソンはそれなりのものらしいですが……だからこそ、なんで借金の帳消しを求めないんでしょう」
「本当に、何を考えているのかしらね……」
「決闘の様式も、まあ堂に入ったものですし……なにか企みごとがあるというのでない限り、かえって不自然ですね」
「その点は隊長さんに警戒してもらうとして」
「むろん我々が先乗りして、周辺の調査はしますが……わざわざ決闘を申し込みながらだまし討ちのような真似をしては、失う名声のほうが大きすぎるでしょう」
「理論的に考えれば、そうなのよね……」
ベアトリスたちは怪訝な顔を寄せ合う。その不可解さに彼女らが頭を悩ますのも、無理のないことだった。なにしろオットソン自身が、おのれの感情を制御・理解できていないのだから。
話し合っても埒のあかない謎から逃げるように、アルバレスがラーゲルフェルトに話題を振った。
「ところで、決闘の立会人は決まったのですか?」
「ああ、ちょうどいい人がフィスカルボに来てましたよ」
そう言うラーゲルフェルトの顔はどことなく得意げで、いたずらっぽい。
「……なによその顔は」
「三文芝居の主演女優でも連れてきたのでは?」
「いやまあ折もよく、うちの先生がフィスカルボについて書くために滞在してまして」
「先生……?」
アリサが他の四人の顔を見渡した。彼女はラーゲルフェルトの前歴を詳しく知らない。
「先生とは……あのノルシュトレーム翁のことですか?」
「もちろん」
「そんな人に立会人役を頼んだの!?」
ベアトリスは驚きの声を上げた。むろん演者の力量に不安があるというのではなく、役のほうが不足なのである。かつてラーゲルフェルトが書生として学び、ベアトリスも教えを請おうとした哲学者、ノルシュトレーム――その名をこんな状況で聞くことになるとは、まったく予測していなかった。
「よく引き受けてくれたわね」
「決闘をする人間など、心から軽蔑していそうな人でしょうに」
「じっさい、馬鹿者め、と先生に罵倒されましたよ」
「それはそうでしょう」
馬鹿者め、何のためにお前をローセンダールに付けたのか――そう言ってノルシュトレムは憤慨していたのだが、ラーゲルフェルトはそこまで正確には伝えなかった。
スヴァルトラスト・ヴァードシュースの酒場が闘技場のような喧騒に沸いた夜から、四度目の夜あけが訪れた。イェルケル・オットソンの治めるオーヴァシエル県の西岸は広範囲にわたって、早朝から海霧が発生していた。港湾都市フィスカルボとその東側に広がるギルヤの森も、けぶるような霧に包まれている。
ギルヤの森を東西に横断する林道のわきに、傾斜のまったくない平板な一帯がある。林立する白樺の木々は間隔がまばらで、ここは決闘にあつらえ向きの舞台である。じっさい過去に何度か、貴族同士がめいめいの矜持をかけて争い、運悪く命を落とした者もいるという。
そういった血と情念が染み込んだ土の上に、今また、新たな決闘者たちが集まっていた。
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