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ノア王の心裏
権力の障囲 2
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「なにか違いがあるのですかな、ランバンデッドとそれ以外に」
「ええ。ご案内のとおり、五年前まではあずま屋ひとつない河谷の湖に過ぎなかったランバンデッドは、きわめて人為的に構築された町。その開発を担ったのは、ノルドグレーン各地や、あるいは他国から集った労働者たちです」
「我が国の民は土地に帰属し、生涯うまれた土地で働くものだが、貴国では移動の自由が認められているのだったな」
「左様です」
リードホルムでは、ほとんどの国民は、ベアトリスのように自由に移動することはできない。民は、名目上は国王の、実質的には領主に帰属する所有物なのだ。
「ノルドグレーンでは農業技術の発達によって、各地で労働力の余剰が生まれました」
「ふむ……我が国においても、生産量の向上に成功した領主はおりますな」
「私がランバンデッドに集めたのは、主としてそのような、いわば故郷を捨てた人々なのです」
「……つまり取りも直さず、ノルドグレーンという国への帰属意識が薄い者たちである、ということか」
「ご明察さすがですわ、ノア様」
これまで、リードホルムとノルドグレーンを内包するノーラント半島では、春季の豆類や冬季のライ麦栽培のあいだに、地力を回復させるための休耕期間を設ける農業が主流だった。近年、栽培によって地力を増やす植物が発見され、休耕期間の短縮が可能となった。その農業生産の拡大が、ノルドグレーンの繁栄を、またベアトリスのような新興勢力の台頭をも下支えしていたのだった。
「……お待ちくだされ。故郷を捨てたというのは、よもや罪を犯した者が混じってはおりますまいな?」
「いない、とは言い切れません。たとえば、生産拡大による穀物価格の低下から、貨幣地代の納付に苦しみ逃げ出してきた隷農もいると聞きます。それも罪は罪でしょう。しかし……」
ベアトリスはアリサとルーデルス、そしてここにいないアルバレスのことを振り返った。
「時代や制度によってそうならざるを得なかった者たちに、新たな場を与えることは必要ではありませんか?」
「確かにな……」
ノアは言葉少なに、だが感慨深げに同意する。ベアトリスがノアの顔を見ると、彼は窓の外に目をやり、どこか昔を懐かしんでいるような様子だった。
「……かさねて申し上げますが、一時労働に従事するリードホルム国民の安全は、このベアトリス・ローセンダールが請け合います。人の出自を理由にした差別や侮言は、私の厳に禁じるところです。ご心配には及びませんわ」
「ま、まあそう言われるのであれば」
ベアトリスは椅子から立ち上がり、左手を胸にそえて断言した。その迫力に押されるように承諾するナウマン長官を見て、ベアトリスはふたたび腰を下ろす。ふと、動かした左上腕が痛んだ。
「痛……」
「主公様、傷に障ります」
「……どうなされたかのな?」
左腕を押さえて顔をしかめるベアトリスに、ノアが声をかけた。
「すいません、ちょっと怪我を……」
「それはもしや、フィスカルボの決闘で負ったという傷か?」
ベアトリスは驚き、いっとき痛みを忘れた。
「よく、ご存知ですのね」
「ええ。ご案内のとおり、五年前まではあずま屋ひとつない河谷の湖に過ぎなかったランバンデッドは、きわめて人為的に構築された町。その開発を担ったのは、ノルドグレーン各地や、あるいは他国から集った労働者たちです」
「我が国の民は土地に帰属し、生涯うまれた土地で働くものだが、貴国では移動の自由が認められているのだったな」
「左様です」
リードホルムでは、ほとんどの国民は、ベアトリスのように自由に移動することはできない。民は、名目上は国王の、実質的には領主に帰属する所有物なのだ。
「ノルドグレーンでは農業技術の発達によって、各地で労働力の余剰が生まれました」
「ふむ……我が国においても、生産量の向上に成功した領主はおりますな」
「私がランバンデッドに集めたのは、主としてそのような、いわば故郷を捨てた人々なのです」
「……つまり取りも直さず、ノルドグレーンという国への帰属意識が薄い者たちである、ということか」
「ご明察さすがですわ、ノア様」
これまで、リードホルムとノルドグレーンを内包するノーラント半島では、春季の豆類や冬季のライ麦栽培のあいだに、地力を回復させるための休耕期間を設ける農業が主流だった。近年、栽培によって地力を増やす植物が発見され、休耕期間の短縮が可能となった。その農業生産の拡大が、ノルドグレーンの繁栄を、またベアトリスのような新興勢力の台頭をも下支えしていたのだった。
「……お待ちくだされ。故郷を捨てたというのは、よもや罪を犯した者が混じってはおりますまいな?」
「いない、とは言い切れません。たとえば、生産拡大による穀物価格の低下から、貨幣地代の納付に苦しみ逃げ出してきた隷農もいると聞きます。それも罪は罪でしょう。しかし……」
ベアトリスはアリサとルーデルス、そしてここにいないアルバレスのことを振り返った。
「時代や制度によってそうならざるを得なかった者たちに、新たな場を与えることは必要ではありませんか?」
「確かにな……」
ノアは言葉少なに、だが感慨深げに同意する。ベアトリスがノアの顔を見ると、彼は窓の外に目をやり、どこか昔を懐かしんでいるような様子だった。
「……かさねて申し上げますが、一時労働に従事するリードホルム国民の安全は、このベアトリス・ローセンダールが請け合います。人の出自を理由にした差別や侮言は、私の厳に禁じるところです。ご心配には及びませんわ」
「ま、まあそう言われるのであれば」
ベアトリスは椅子から立ち上がり、左手を胸にそえて断言した。その迫力に押されるように承諾するナウマン長官を見て、ベアトリスはふたたび腰を下ろす。ふと、動かした左上腕が痛んだ。
「痛……」
「主公様、傷に障ります」
「……どうなされたかのな?」
左腕を押さえて顔をしかめるベアトリスに、ノアが声をかけた。
「すいません、ちょっと怪我を……」
「それはもしや、フィスカルボの決闘で負ったという傷か?」
ベアトリスは驚き、いっとき痛みを忘れた。
「よく、ご存知ですのね」
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