簒奪女王と隔絶の果て

紺乃 安

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ノア王の心裏

権力の障囲 3

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「痛……」
「主公様、傷にさわります」
「……どうなされたかのな?」
 左腕を押さえて顔をしかめるベアトリスに、ノアが声をかけた。
「すいません、ちょっと怪我を……」
「それはもしや、フィスカルボの決闘で負ったという傷か?」
 ベアトリスは驚き、いっとき痛みを忘れた。
「よく、ご存知ですのね」
「こちらでも噂になっている。今をときめくベアトリス・ローセンダールが、やり手の県令と決闘を演じたというのだからな。ジュニエスで前線に立ったことといい、大したものだ、と」
 ノアは表情を崩して言った。その顔は、冷笑とまではいかないものの、皮肉めいていて温かみはない。
「大事はないか?」
「え、ええ。治りかけで、一進一退を繰り返している状態で……」
「傷口が壊死えししていたりはしないのだな?」
「はい。移動続きがたたってか、なかなか傷がふさがらぬだけで。ただ痛みが少々」
「それならば大丈夫でしょう。女子おなごはそうした痛みには強いものですゆえ。のう」
 なかば揶揄やゆするように部下と談笑するナウマン長官を、ノアは冷めた目で一瞥いちべつする。そしてすぐに、部屋の隅に控えていた女中に向き直った。
「……最近だれかから、痛みを和らげるというスパイスティーが献上されただろう」
「は、はい」
フローケンお嬢さん・ローセンダールにお出しせよ」
「かしこまりました」
 女中は勢いよく頭を下げ、足早に会議室を出ていった。
「そんな、もったいなきお心遣こころづかい」
「気にするな。切れば血の出る体を持ちながら、苦痛がないことを悲しむ者もおるまい。もっとも、そのスパイスティーの効能のほどは保証できないが」
「あ、ありがたくいただきます!」
 ノアが穏やかな笑顔をベアトリスに向けた。ベアトリスは一瞬ぼんやりして、あわてて頭を下げた。その背後ではアリサが目を輝かせている。
「フローケン・ローセンダール」
「……はい!」
 名を呼ばれたベアトリスが傷口がまた開きそうな勢いで顔を上げると、ノアの顔は真顔に戻っていた。
「ノルデンフェルト侯爵領を視察するそうだな」
「ええ。侯爵へのあいさつがてら……」
「では王家の馬車を貸そう。それで行くといい。リードホルム王家の馬車で乗り付けたとあらば、民もすんなり納得することだろう」
「光栄にございます。でも、よろしいのですか?」
「ノア様……」
 ナウマン長官がおそるおそる口をはさむ。
「王家の所有物たる馬車は、いかがなものかと……」
 これまでとは打って変わった厳しい表情で、ノアはナウマン長官に向き直った。
「王家の所有物たる馬車、を貸すことと、王家の所有物たる民を貸すことにいかほどの違いがあろうか。人がよくて馬車がだめでは道理が通らぬし、民は馬車よりも下等なのかという義憤ぎふんも生まれよう」
「は……。おっしゃるとおりで」
 ノアに断固として言い切られ、ナウマン長官はかしこまり引き下がった。
 叱責しっせきされるナウマン長官に気を使ったような頃合いで、さきほど部屋を出ていった女中が戻ってきた。ほかに数名の女中を引き連れており、いずれも銀製の盆にティーカップを載せている。薄い磁器じき製のティーカップとソーサーが、ベアトリスたちの前に置かれた。中身はもちろんノアの言っていたスパイスティーだ。色は紅茶と変わらないが、立ちのぼる湯気とともに独特の強い香りがただよってくる。
「ありがたく、いただきます……」
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