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ノルドグレーン分断
心の枷 11
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「そうね。率直に言うわ」
ベアトリスはアウロラに向き直った。自身の癇性を悔い、居住まいを正すように胸元に落ちた髪をなおす。
「あなたがたの先代首領、リースベットさんに会わせて」
リースベットの名を出した瞬間、室内の空気が凍りついたような沈黙につつまれる。ベアトリスは、アウロラの燃えるような赤い髪が少しだけふわりと舞い上がったような錯覚を覚えた。
やはり伏せておきたい話題だったのだろう。やや間をおいて、アウロラがあきらめたように口を開いた。
「いつかは、聞かれると思ってたけど……」
「やっぱりその話だったか」
「彼女が何者だったのか、そして何を犯してしまったのか……どちらも知っているわ」
「そうでなきゃ、わざわざ聞きに来ないわよね」
アウロラとバックマンは、互いに横目でなにか示し合わせているようだ。
「じゃあ、こっちも率直に言うが、会わせることはできねえんだ。たとえあんたに頭を下げて頼まれてもな」
「……いないのよ。リースベットは今、ここには」
バックマンもアウロラも、言葉の歯切れが悪い。慎重に言葉を選んでいるようだ。
「いない、というのは……」
「考えてもみてくれ。リースベットは現王の兄アウグスティンの暗殺者、大逆犯だ。そんな奴を頭目に据えたまんまでいたら、俺たちはどうなると思う……いや、まがりなりにもリードホルム王のノアは、俺たちをどうしなきゃいけない?」
「確かにね……」
「リースベットはそう考えて、あたしたちのもとを去ったの」
いまヘルストランド城にいないノアの兄妹を比べると、兄のアウグスティンは――その素行の悪さはともかく――なにか明確な罪を負っていたわけではない。一方、妹のリースベットは、無実の王族を暗殺したという事実には、一分の免罪の余地さえない。
アウグスティンの暗殺事件については、一般のリードホルム国民には公開されていない。彼の死因は今でも病死ということになっており、真相を知っているのは少数の高官だけである。この作り話は、はじめは王家の体面を保つために流布されたものだった。だが小さな病変を無視し続けた結果であるかのように、今になってノアの政治的弱点へと変じてしまっていた。
大逆犯としてのリースベットの存在が明るみに出れば、ノアは理非を示すために彼女を裁かねばならないだろう。そうしなければ、今の王座はノアとリースベットによって不当に簒奪されたものだ、と旧主派の政敵たちが騒ぎ立て、廃位や禅譲を迫ってくる事態は容易に想像できる。
またリースベットが裁かれるなら、エル・シールケルも連座して解散を命じられる、あるいは、何度目かも知れない討伐軍を差し向けられることは避けられない。ノアがそうした事態を避けようと尽力していたことは、いまアウロラとバックマンがリードホルムを離れてこの場にいる事実としてあらわれている。
さしあたりリースベット本人が所在不明であれば、ノアが仲の良かった実妹を処刑台に送る決定を下す必要もない。行方不明になった王女がある日ふらりと戻ってきて、次代の王たる実兄を暗殺する――そんな荒唐無稽な物語は、当人という動かぬ証拠がなければ信憑を得られないだろう。ノアの政敵たちが筋の悪い陰謀の実行を手控えている今は、リードホルムにとって束の間の安定期なのだった。
現在のエル・シールケルに、リースベットは在籍していない――ベアトリスは失望していたが、この返答を想定していなかったわけではない。予想通りの失望であり、他にもまだ聞くべきことは残されている。リースベットへの道は途切れてはいない。
ベアトリスはアウロラに向き直った。自身の癇性を悔い、居住まいを正すように胸元に落ちた髪をなおす。
「あなたがたの先代首領、リースベットさんに会わせて」
リースベットの名を出した瞬間、室内の空気が凍りついたような沈黙につつまれる。ベアトリスは、アウロラの燃えるような赤い髪が少しだけふわりと舞い上がったような錯覚を覚えた。
やはり伏せておきたい話題だったのだろう。やや間をおいて、アウロラがあきらめたように口を開いた。
「いつかは、聞かれると思ってたけど……」
「やっぱりその話だったか」
「彼女が何者だったのか、そして何を犯してしまったのか……どちらも知っているわ」
「そうでなきゃ、わざわざ聞きに来ないわよね」
アウロラとバックマンは、互いに横目でなにか示し合わせているようだ。
「じゃあ、こっちも率直に言うが、会わせることはできねえんだ。たとえあんたに頭を下げて頼まれてもな」
「……いないのよ。リースベットは今、ここには」
バックマンもアウロラも、言葉の歯切れが悪い。慎重に言葉を選んでいるようだ。
「いない、というのは……」
「考えてもみてくれ。リースベットは現王の兄アウグスティンの暗殺者、大逆犯だ。そんな奴を頭目に据えたまんまでいたら、俺たちはどうなると思う……いや、まがりなりにもリードホルム王のノアは、俺たちをどうしなきゃいけない?」
「確かにね……」
「リースベットはそう考えて、あたしたちのもとを去ったの」
いまヘルストランド城にいないノアの兄妹を比べると、兄のアウグスティンは――その素行の悪さはともかく――なにか明確な罪を負っていたわけではない。一方、妹のリースベットは、無実の王族を暗殺したという事実には、一分の免罪の余地さえない。
アウグスティンの暗殺事件については、一般のリードホルム国民には公開されていない。彼の死因は今でも病死ということになっており、真相を知っているのは少数の高官だけである。この作り話は、はじめは王家の体面を保つために流布されたものだった。だが小さな病変を無視し続けた結果であるかのように、今になってノアの政治的弱点へと変じてしまっていた。
大逆犯としてのリースベットの存在が明るみに出れば、ノアは理非を示すために彼女を裁かねばならないだろう。そうしなければ、今の王座はノアとリースベットによって不当に簒奪されたものだ、と旧主派の政敵たちが騒ぎ立て、廃位や禅譲を迫ってくる事態は容易に想像できる。
またリースベットが裁かれるなら、エル・シールケルも連座して解散を命じられる、あるいは、何度目かも知れない討伐軍を差し向けられることは避けられない。ノアがそうした事態を避けようと尽力していたことは、いまアウロラとバックマンがリードホルムを離れてこの場にいる事実としてあらわれている。
さしあたりリースベット本人が所在不明であれば、ノアが仲の良かった実妹を処刑台に送る決定を下す必要もない。行方不明になった王女がある日ふらりと戻ってきて、次代の王たる実兄を暗殺する――そんな荒唐無稽な物語は、当人という動かぬ証拠がなければ信憑を得られないだろう。ノアの政敵たちが筋の悪い陰謀の実行を手控えている今は、リードホルムにとって束の間の安定期なのだった。
現在のエル・シールケルに、リースベットは在籍していない――ベアトリスは失望していたが、この返答を想定していなかったわけではない。予想通りの失望であり、他にもまだ聞くべきことは残されている。リースベットへの道は途切れてはいない。
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