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ノルドグレーン分断
心の枷 12
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現在のエル・シールケルに、リースベットは在籍していない――ベアトリスは失望していたが、この返答を想定していなかったわけではない。予想通りの失望であり、他にもまだ聞くべきことは残されている。リースベットへの道は途切れてはいない。
「当然、今どこにいるかも知らないわけね」
「ああ。何も告げずに行ったよ。たとえば俺たちの誰かがとっ捕まって、リースベットの居場所を吐けと拷問されても言えねえようにな」
「どこか、遠くの国で静かに暮らしているかもしれないし、すぐそこにいるかもしれないわね……」
「わかりました。あなたたちを信じるわ」
次の道は、アウロラとバックマンの中にある。
「けれど、ひとつ聞かせて。あなたたちの知っている限りでかまわないから」
ベアトリスは椅子の背もたれに手をかけて立ち上がった。
「リースベット王女は、ノア様にとってどんな存在だったの?」
「……なんで、そんなこと知ろうとするの?」
「私は……ノア様の真に欲するものが何なのか、掴みかねているのよ」
「そいつは、ノア王が近世まれに見る大した賢君だって事実より重要なことか?」
「……情のない言い方をすれば、それこそ私にとってはどうでもいいことよ。私はリードホルム国民ではないもの。それに私から見ると、ノア様はありきたりな、理想的な名君ではないわね。……三年半前を境に、あの方は別人とさえ感じるほど変わったわ。それが……なんというか恐ろしく、危うく感じるのよ」
「その原因がリースベットだっていうわけ?」
「そう仮定するのが、もっとも整合性がある……というのが、現時点での私の結論。だからこそ今ここにいるの」
「なるほど……」
三年半前――ジュニエスの戦いの直後に会ったノアは、疲れて沈んではいたが、貴公子然とした気品と温情を兼ね備えた青年だった。そんな人物が、リードホルム王として即位した途端に変貌を遂げた。今では、氷河王の異名を取るほど敵対者に対して冷徹で、内政にあたっても怜悧で峻厳な面ばかりが際立つ王となっている。バックマンに言わせれば、その矛先が民衆への弾圧や搾取に向かわなければ名君なのだろう。
だが、ランバンデッドで会ったノアは、氷河王となる以前のノアの面影をたたえていた気がする。その隔絶の谷間にかかる橋のように見えてきたのが、リースベットという存在だった。
アウロラは腕組みをしたまま、しばし下を向いて押し黙っていた。その腕をほどき、ゆっくりと顔を上げてベアトリスに向き直る。
「あの方はおそらく、ごく単純な、絵に描いたように友好的で平和な国を目指してはいない。かと言って、ノルドグレーンやカッセルを再び武力で支配しようという風でもない。私は……つまり、ノア様が何を目指しているかによって、ローセンダール家がこれから先どのように協力できるか、その度合いが変わってくるのよ」
「うーん……」
ベアトリスは、ふたりを取り巻く政情の面では嘘を言っていない。だが心情的には虚勢を張っていないだろうか。
「……よし、まあいいだろう。って言うとあんたを値踏みしてるようだが、なにしろ繊細な取扱いを要する話なんでね」
「社交界のいやらしい話の種として知りたい訳じゃないの。それだけは誓えるわ」
バックマンは実際にしばらくのあいだ、ベアトリスを値踏みするように見据えていた。今ようやく、ベアトリスの真摯な態度に偽りがないと認めてか、彼らしい軽口を叩きはじめた。
「ま、国王なんてのは、言わば究極の公人だ。ノア王には、生活上の秘密はある程度あきらめてもらうとしよう」
「たぶん、なにもかも秘密のままにしておくなんて、リースベットも望まないだろうしね」
エル・シールケルのふたりはようやく、ベアトリスの要望に応える気になったようだ。
「さあアウロラ、頼むぜ」
「は!?」
「当然、今どこにいるかも知らないわけね」
「ああ。何も告げずに行ったよ。たとえば俺たちの誰かがとっ捕まって、リースベットの居場所を吐けと拷問されても言えねえようにな」
「どこか、遠くの国で静かに暮らしているかもしれないし、すぐそこにいるかもしれないわね……」
「わかりました。あなたたちを信じるわ」
次の道は、アウロラとバックマンの中にある。
「けれど、ひとつ聞かせて。あなたたちの知っている限りでかまわないから」
ベアトリスは椅子の背もたれに手をかけて立ち上がった。
「リースベット王女は、ノア様にとってどんな存在だったの?」
「……なんで、そんなこと知ろうとするの?」
「私は……ノア様の真に欲するものが何なのか、掴みかねているのよ」
「そいつは、ノア王が近世まれに見る大した賢君だって事実より重要なことか?」
「……情のない言い方をすれば、それこそ私にとってはどうでもいいことよ。私はリードホルム国民ではないもの。それに私から見ると、ノア様はありきたりな、理想的な名君ではないわね。……三年半前を境に、あの方は別人とさえ感じるほど変わったわ。それが……なんというか恐ろしく、危うく感じるのよ」
「その原因がリースベットだっていうわけ?」
「そう仮定するのが、もっとも整合性がある……というのが、現時点での私の結論。だからこそ今ここにいるの」
「なるほど……」
三年半前――ジュニエスの戦いの直後に会ったノアは、疲れて沈んではいたが、貴公子然とした気品と温情を兼ね備えた青年だった。そんな人物が、リードホルム王として即位した途端に変貌を遂げた。今では、氷河王の異名を取るほど敵対者に対して冷徹で、内政にあたっても怜悧で峻厳な面ばかりが際立つ王となっている。バックマンに言わせれば、その矛先が民衆への弾圧や搾取に向かわなければ名君なのだろう。
だが、ランバンデッドで会ったノアは、氷河王となる以前のノアの面影をたたえていた気がする。その隔絶の谷間にかかる橋のように見えてきたのが、リースベットという存在だった。
アウロラは腕組みをしたまま、しばし下を向いて押し黙っていた。その腕をほどき、ゆっくりと顔を上げてベアトリスに向き直る。
「あの方はおそらく、ごく単純な、絵に描いたように友好的で平和な国を目指してはいない。かと言って、ノルドグレーンやカッセルを再び武力で支配しようという風でもない。私は……つまり、ノア様が何を目指しているかによって、ローセンダール家がこれから先どのように協力できるか、その度合いが変わってくるのよ」
「うーん……」
ベアトリスは、ふたりを取り巻く政情の面では嘘を言っていない。だが心情的には虚勢を張っていないだろうか。
「……よし、まあいいだろう。って言うとあんたを値踏みしてるようだが、なにしろ繊細な取扱いを要する話なんでね」
「社交界のいやらしい話の種として知りたい訳じゃないの。それだけは誓えるわ」
バックマンは実際にしばらくのあいだ、ベアトリスを値踏みするように見据えていた。今ようやく、ベアトリスの真摯な態度に偽りがないと認めてか、彼らしい軽口を叩きはじめた。
「ま、国王なんてのは、言わば究極の公人だ。ノア王には、生活上の秘密はある程度あきらめてもらうとしよう」
「たぶん、なにもかも秘密のままにしておくなんて、リースベットも望まないだろうしね」
エル・シールケルのふたりはようやく、ベアトリスの要望に応える気になったようだ。
「さあアウロラ、頼むぜ」
「は!?」
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