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風のオーロラ
1 小さな刺客
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ノルドグレーン公国の首都ベステルオース、その目抜き通りとも言えるリンデスゴートンは宿や商店、出店が立ち並び、立錐の余地もないほどの人で埋め尽くされている。果物やハーブや焼けた肉の匂い、番犬や鶏の鳴き声、店先に並べた商品を喧伝する叫びや商談の声など、雑踏は生命力で横溢していた。
人が集えばトラブルの数も増え、それに対応する治安維持隊や自警団の仕事量も増加の一途を辿っていた。今日もまた当たり前のように露店から支払いなしで宝飾品が消え、その消息を追ってノルドグレーン軍治安維持隊が大通りを駆け回っている。
前日までと違う点はその人数で、たった一人の物取りに対して十五人以上の隊員が捜索に当たっていた。これは被害の大きさよりも治安維持隊の矜持に起因するもので、今日取り逃がせば切りよく十回目の捕縛失敗となるのだ。
「なんで今日に限って、見張りがこんなに多いのよ!」
その小さな背格好の物取りは恐ろしく身が軽く、隊内一の健脚でさえも追いつくことができなかった。また戦いにも秀でており、目にも留まらぬ杖術で屈強な男たちを叩きのめして逃げ去ったこともあったという。
ベステルオース治安維持部隊のグリプ隊長は一計を案じ、あらかじめ大通りの要所に歩哨や積み荷の牆壁を配置しておくことで、物取りの逃走ルートを誘導する策を講じた。これが功を奏し、物取りは今まさに袋小路へと追い詰められつつある。
「こっちだ!」
「待て、逃げるな!」
フード付きのストールをはためかせて逃げる物取りに兵士たちがわざとらしく叫ぶが、彼らはその先が行き止まりであることを知っている。左右にある建物は大規模な宿屋と酒場で、道の終わりではそれらを繋ぐ渡り廊の壁が立ちはだかっていた。
進退窮まった物取りが振り返り、腰に下げた小さな鎚鉾に手をかける。退路を塞ぐ五名の兵士たちは息を切らせつつ身構え、柄に手をかけたまま微動だにせずに道を阻む壁となった。
このうち一人は、かつてこの物取りをあと一歩の所まで追い詰め、壁を蹴って飛び上がった小さな足に顔面を踏み台にされて屋根まで逃げられた、という過去を持っていた。
またある一人は、すれ違いざま脇腹に鈍器の一撃を受けたのだが、その動きがまったく目で追えず、瞬時に眼前から消えたようだったことを鮮明に記憶している。
かまびすしい街の喧騒を聞きながら、五対一のにらみ合いは続いている。その二つの勢力の有利な側に、さらなる協力者が現れた。
「盗人、お前に話がある」
兵たちの背後から声をかけ、小さな物取りとの間に割って入ったのは、痩せぎすの中年の男だった。手の込んだ刺し縫いの上衣を着ており、兵士たちとは一線を画した地位にあることが見て取れる。
「私は内務省のフェーブロム事務官だ」
「……役人が何の用?」
「なんだ女か……まあ性別などどうでもよい。お前、仕事をする気はないか?」
目深にかぶったフードの奥には、まだあどけない怪訝な表情をした少女の顔があった。だが外見はいたいけな子供であっても、その小さな体に秘められた力で、これまで幾人もの兵士たちを屈服させてきたのだ。
「仕事って、……どういうこと」
「聞けば、そのなりで大層な業前だそうじゃないか。その力を活かして仕事をひとつこなしたら、食うに困らんささやかな仕事と、家を用意してやろう。お前ら四人が住める程度の家をな」
「何でそれを知ってる?!」
四人、と聞いた少女の形相が一変し、怒りに歯を剥いて鎚鉾を構えた。兵士たちも呼応して剣を抜くが、フェーブロム事務官が手を上げて制する。
「あまり大人を甘く見ないほうがいい。お前の住処と家族など、とうにお見通しだ。とは言っても、子供らを人質に取ろうというのではないぞ」
「言ってることとやってることが逆じゃないの! あんたらはいつだって」
「そうかもな。……で、どうする? 毎日裏通りを転げ回って盗みで日銭を稼ぐよりは、いくらかましな人生になるぞ」
「……もしも断ったら?」
「たかがコソドロでも、十回も重ねれば大した罪だ。それに子供三人の誘拐も加えれば五年や十年では済まぬだろうな。お前が捕まっている間、あるいは逃げたとしたら、あいつらはどうなる? ソレンスタム孤児院に戻るのかね?」
「卑怯者……あの子たちには手を出させない」
「こちらにもその気はない。仕事さえ引き受けてくれればな」
少女はようやく鎚鉾を収め、兵たちもそれに倣うが、不穏な空気はまだ払拭されていない。
「交渉とはこのように行うのだ。覚えておいて損はないぞ。それと、それほど条件の不釣り合いな提案とも思わんがな」
「余計なお世話よ、とっとと話を聞かせて」
「……そういえばまだ名を聞いていなかったな。いつまでも盗人やコソドロと呼ばれたくはあるまい?」
「アウロラ。アウロラ・シェルヴェンよ」
「ではミス・シェルヴェン、まずは我らの事務所までご同行願おう」
「……変な真似したら、あんたの重そうな頭を叩き割って軽くしてやるから」
「そう血気にはやるものではない。仔細は私の上司から直接説明する」
兵たちが左右に退き、開かれた道をフェーブロムとアウロラが進む。曲がり角には黒塗りの馬車が停まっており、伝説上の大鷲ビュシェをあしらったノルドグレーン公国の国章が車窓から下げられている。
アウロラは馬車にまつわる嫌な記憶が蘇ったが、臆せず乗り込んだ。
人が集えばトラブルの数も増え、それに対応する治安維持隊や自警団の仕事量も増加の一途を辿っていた。今日もまた当たり前のように露店から支払いなしで宝飾品が消え、その消息を追ってノルドグレーン軍治安維持隊が大通りを駆け回っている。
前日までと違う点はその人数で、たった一人の物取りに対して十五人以上の隊員が捜索に当たっていた。これは被害の大きさよりも治安維持隊の矜持に起因するもので、今日取り逃がせば切りよく十回目の捕縛失敗となるのだ。
「なんで今日に限って、見張りがこんなに多いのよ!」
その小さな背格好の物取りは恐ろしく身が軽く、隊内一の健脚でさえも追いつくことができなかった。また戦いにも秀でており、目にも留まらぬ杖術で屈強な男たちを叩きのめして逃げ去ったこともあったという。
ベステルオース治安維持部隊のグリプ隊長は一計を案じ、あらかじめ大通りの要所に歩哨や積み荷の牆壁を配置しておくことで、物取りの逃走ルートを誘導する策を講じた。これが功を奏し、物取りは今まさに袋小路へと追い詰められつつある。
「こっちだ!」
「待て、逃げるな!」
フード付きのストールをはためかせて逃げる物取りに兵士たちがわざとらしく叫ぶが、彼らはその先が行き止まりであることを知っている。左右にある建物は大規模な宿屋と酒場で、道の終わりではそれらを繋ぐ渡り廊の壁が立ちはだかっていた。
進退窮まった物取りが振り返り、腰に下げた小さな鎚鉾に手をかける。退路を塞ぐ五名の兵士たちは息を切らせつつ身構え、柄に手をかけたまま微動だにせずに道を阻む壁となった。
このうち一人は、かつてこの物取りをあと一歩の所まで追い詰め、壁を蹴って飛び上がった小さな足に顔面を踏み台にされて屋根まで逃げられた、という過去を持っていた。
またある一人は、すれ違いざま脇腹に鈍器の一撃を受けたのだが、その動きがまったく目で追えず、瞬時に眼前から消えたようだったことを鮮明に記憶している。
かまびすしい街の喧騒を聞きながら、五対一のにらみ合いは続いている。その二つの勢力の有利な側に、さらなる協力者が現れた。
「盗人、お前に話がある」
兵たちの背後から声をかけ、小さな物取りとの間に割って入ったのは、痩せぎすの中年の男だった。手の込んだ刺し縫いの上衣を着ており、兵士たちとは一線を画した地位にあることが見て取れる。
「私は内務省のフェーブロム事務官だ」
「……役人が何の用?」
「なんだ女か……まあ性別などどうでもよい。お前、仕事をする気はないか?」
目深にかぶったフードの奥には、まだあどけない怪訝な表情をした少女の顔があった。だが外見はいたいけな子供であっても、その小さな体に秘められた力で、これまで幾人もの兵士たちを屈服させてきたのだ。
「仕事って、……どういうこと」
「聞けば、そのなりで大層な業前だそうじゃないか。その力を活かして仕事をひとつこなしたら、食うに困らんささやかな仕事と、家を用意してやろう。お前ら四人が住める程度の家をな」
「何でそれを知ってる?!」
四人、と聞いた少女の形相が一変し、怒りに歯を剥いて鎚鉾を構えた。兵士たちも呼応して剣を抜くが、フェーブロム事務官が手を上げて制する。
「あまり大人を甘く見ないほうがいい。お前の住処と家族など、とうにお見通しだ。とは言っても、子供らを人質に取ろうというのではないぞ」
「言ってることとやってることが逆じゃないの! あんたらはいつだって」
「そうかもな。……で、どうする? 毎日裏通りを転げ回って盗みで日銭を稼ぐよりは、いくらかましな人生になるぞ」
「……もしも断ったら?」
「たかがコソドロでも、十回も重ねれば大した罪だ。それに子供三人の誘拐も加えれば五年や十年では済まぬだろうな。お前が捕まっている間、あるいは逃げたとしたら、あいつらはどうなる? ソレンスタム孤児院に戻るのかね?」
「卑怯者……あの子たちには手を出させない」
「こちらにもその気はない。仕事さえ引き受けてくれればな」
少女はようやく鎚鉾を収め、兵たちもそれに倣うが、不穏な空気はまだ払拭されていない。
「交渉とはこのように行うのだ。覚えておいて損はないぞ。それと、それほど条件の不釣り合いな提案とも思わんがな」
「余計なお世話よ、とっとと話を聞かせて」
「……そういえばまだ名を聞いていなかったな。いつまでも盗人やコソドロと呼ばれたくはあるまい?」
「アウロラ。アウロラ・シェルヴェンよ」
「ではミス・シェルヴェン、まずは我らの事務所までご同行願おう」
「……変な真似したら、あんたの重そうな頭を叩き割って軽くしてやるから」
「そう血気にはやるものではない。仔細は私の上司から直接説明する」
兵たちが左右に退き、開かれた道をフェーブロムとアウロラが進む。曲がり角には黒塗りの馬車が停まっており、伝説上の大鷲ビュシェをあしらったノルドグレーン公国の国章が車窓から下げられている。
アウロラは馬車にまつわる嫌な記憶が蘇ったが、臆せず乗り込んだ。
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