山賊王女と楽園の涯(はて)

紺乃 安

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風のオーロラ

2 ソレンスタム孤児院

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 アウロラ・シェルヴェンは孤児だったが、天涯孤独てんがいこどくに生まれついたわけではない。二年前まではリードホルム王国の首都ヘルストランドで、吟遊詩人を生業とする両親とともに、まず幸福と言ってよい日常を送っていた。
 リュートの演奏に非凡な才を見せたアウロラは、父バルタサールが弾きこなすまでに五年かかったという難曲を十一歳で習得してみせた。吟遊詩人文化の盛んなリードホルムには、レーヴェンアドレール吟遊詩人大学という専門学府がある。――これだけの腕前ならば難関と名高い同大学も確実だろう、と事あるごとに彼女の両親は我が子を称揚しょうようしていた。
 アウロラが十二歳になったある日、両親がリードホルム内務省王都管理部に連行された。罪状は彼女には詳しく知らされなかったが、夜な夜な仕事先の酒場や貴族のパーティーなどで、いくつかの禁止されている曲を演奏したことが問題となったらしい。
「客にわれておれたちが歌っていたのは、伝統的な神話に基づく叙事詩や英雄の鎮魂歌だ。どうして罪過ざいかなどあるものか。千年の風雪に耐えて歌い継がれた名曲ばかりだぞ」
「こんなおかしなことが、まかり通ってたまるものですか。すぐに帰ってくるから待っていなさい」
 そう言い残した母カミラの言葉は、すくなくとも二年後の今日までは嘘になってしまっている。暖炉に吊るした深鍋のトマトシチューグーラーシュが空になった三日後に家のドアを叩くものがあったが、それは両親いずれでもなく治安維持局の官吏かんりだった。
「アウロラ・シェルヴェン、そなたの両親は収監された。だが王の慈悲により、そなた自身はゆるされ、その生活も保障されている」
「父さんと母さんは……?」
「……そなたはソレンスタム教団の孤児院で暮らす手筈てはずになっている。出自の差による別なく教育さえ受けられる、慈愛に満ちた家だ」
「答えてよ!」
 官吏の男は聞こえるように舌打ちし、面倒臭そうに衛兵を呼びつけた。二人のいかつい男がアウロラを取り押さえて口に麻布を巻きつけ、両手を縛る。最初は必死に抵抗したアウロラだったが、男の腕力で頬を二度張られると背骨をつかまれるような恐怖心に囚われ、身じろぎもできなくなった。
 衛兵の男は軽々とアウロラを担ぎ上げ、家の外に停めてあった馬車の荷台に放り込んだ。その上に厚い帆布が被せられる。
遂行基準ノルマがあるというのに。いちいち手を煩わせやがって」
 誰のものかわからない独り言が聞こえ、馬車は動き始めた。

 ベステルオースの中心部にはソレンスタム教団の大聖堂があり、その建築はノリアン様式の粋を集めた壮大で華麗なものだった。曲線やねじれを多用した動感あふれるデザイン様式は、その嚆矢こうしとなった建築家の名を冠してノリアン風と呼ばれている。
 ソレンスタム孤児院はその聖堂から遠くベステルオースの町はずれに、その存在理由に似つかわしくない威容いようを構えていた。建物全体が大人の背丈の倍ほどの高い塀で囲われ、正門は猫の子が通るほどの隙間もない鉄格子で壅塞ようそくされている。
 半ば監獄のような建物の内部では六十人以上の子どもたちが暮らし、表面上は静謐せいひつな日常が流れていた。起床、礼拝、食事、修養、掃除、入浴、就寝まで、ありとあらゆる所作が規律で定められており、それに従う限りは穏やかで衣食足りた生活を送ることができる。
 だがひとたび禁を破れば、手酷い折檻せっかんと暗く寒い地下室での反省――禁錮きんこが課せられた。こうした日々を繰り返すことで、多くの子どもたちは従順で礼儀正しく身なりの整った、しかし暗い目をした小公子、小公女となるはずだった。
 孤児院で二年の時を過ごしたアウロラは、ようやく窮屈きゅうくつな生活から開放される日を迎えようとしていた。
「お姉ちゃん、いよいよ明日卒業なんだね」
「そうだよ、行き先はリードホルム宮廷の召使いだってさ」
「すげー。でも俺らももうすぐ出れるんだって。行き先はパー……何だっけ」
「ベステルオースのパーシュブラント子爵様だよ」
「あんたらが……? 私より三つも若いのに」
「私は二つだよ!」
 旅立ちの前日、アウロラは同室の孤児たちと最後の夜を過ごしていた。
 十四歳になったアウロラより二つ下で器量良しの少女アニタ、三つ下で力自慢のアルフォンスと記憶力のよいミカルの三人が、二年間寝食を共にしてきた仲間だった。神の意志か個人の影響か同室となった四人は、表向きはともかく内心では、孤児院の方針に対する明確な叛意はんいを共有している。
「宮廷ってすごいな。お姉ちゃん手先は器用だし歌もうまいし、やっぱりそういう人が選ばれるんだね」
「でもリードホルムって、今あんまり栄えてないんでしょ?」
「アル、そういうこと言わないの!」
「ごめんな」
 アルフォンスの素直な失言をアニタが叱る。アウロラは肩をすくめて小さく笑い、燭台しょくだい蝋燭ろうそくを消すために立ち上がった。
 孤児院を出た後の行き先は他言しないことが規範となっているが、それを律儀に守った子供は、ソレンスタム孤児院が設立されて以来おそらく存在しない。
「ノルドグレーンと比べると、どうやらそうらしいね。でもいいさ、ここを出れるなら」
「どんなとこでも、ここよりはマシだと思う」
「アルは叱られた回数がアニタの十倍以上あるもんね。そりゃ、どこに行ってもここよりはマシだって言うだろうさ」
 四人はなるべく声を潜めて笑った。大声を出すと寮監りょうかんが階段を駆け上がってきて、全員揃って上腕を革紐で打たれることになる。
「さあ、もう寝なきゃ。あんたたちは明日も礼拝があるんでしょ」
「それも、もう少しの我慢さ」
「おやすみなさい」
 年若い三人は声を揃えて就寝の挨拶をし、アウロラは蝋燭の火を吹き消した。
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