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転生と記憶
3 新たな同朋
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リードホルム・ノルドグレーン連合部隊を撃退し、若きリーパーであるアウロラ・シェルヴェンを味方に引き入れたティーサンリード山賊団の拠点は、異様な雰囲気に包まれていた。
地下壕を子どもたちが駆け回り、それを諌める声と笑いが方々であがっている。リードホルム軍と凄惨な死闘を繰り広げた山賊の根城とは到底思えない、和やかで活気に満ちた世界ができあがっていた。
その原因となったのはアウロラの小さな仲間、アニタ、アルフォンス、ミカルの三人だった。
連れてこられた初日は警戒して大人しくしていたが、かつてのソレンスタム孤児院とは違った自由な空気を感じ取るや、すぐに内に秘めた活力を爆発させる。縦横に伸びる地下壕を探検し、リースベットの飼い猫デミを追いかけ回し、そしていつの間にか三人揃って眠っていた。
好奇心をひと通り満たすと、アルフォンスは水くみを手伝い、ミカルはユーホルトの助手となって戦闘で使う矢を準備し、アニタは数十人分の食事の準備をするエステルについて野菜の皮を剥いたり食器を洗ったりしていた。
数日前にリースベットとアウロラが戦った広場に、その当事者ふたりと副長バックマン、鑑定士オスカリウスらが集まっていた。
「よう頭領、ティーサンリードはいつから孤児院になったんだ?」
「何でこんなことになっちまったんだか」
「ああ分かってる。ここは子供のいていい場所じゃねえ。それは分かってんだが……」
「ドグラスがソレンスタムの出だって言ってたじゃねえか。そこで予測しとくべきだったな」
「置いてくれてることには感謝してるわよ。ちゃんと手伝いもしてるじゃない」
「そういう問題じゃねえんだ、そういう……ああまったく」
絹糸のようなゆるく波うつ髪をかきむしって懊悩するリースベットを横目に、オスカリウスが行商に出向くための商品を用意していた。これらのほとんどがリードホルムの輸送隊から、略奪というかたちで仕入れたものだ。
「リュートがあるのね」
アウロラが荷物の中に、華美な装飾が施された弦楽器を見つけ、手にとって状態を見ている。
「コラ、売り物に触んじゃねえ」
「……これ、見た目ほどの価値はないわよ。ニーグレーンのニセモノじゃないのさ」
「何だ嬢ちゃん、楽器が分かんのか」
「父も母も吟遊詩人よ。本物はこのネックの裏側に、ちゃんとニーグレーンのサインが彫ってあるんだって父が言ってた。……音はふつうに出るわね」
ニーグレーンとはリードホルムで最も著名なリュート職人で、その手になる作品は楽器としてだけでなく、美術品としても高い価値を認められている。だがティーサンリードの所有するそれは、どうやらその贋作のようだ。
アウロラは持ち手の上部にあるペグを回し、慣れた手つきで音程をチューニングする。八本の弦を弾くと、正確な協和音のアルペジオが広場に響いた。
「慣れたもんだな。弾けんのか?」
「二年ぶりだけどさ」
「人に歴史あり、だな。いろんな奴が流れ着く山賊団だ」
「まあ、生まれながらの山賊なんて奴は珍しいだろうよ」
アウロラは深呼吸して気持ちを落ちつけ、手の動き具合を確かめるように、同じフレーズの繰り返しから曲の演奏を始めた。
なれ湖に溺れしを、たすけ上げたはあやまちか
か黒き髪と白妙のそで、ターコイズさえ眩ますまなこ
碧潭の沼よりきたる、可憐なる水神の子か
いよいよ我は惑溺し、きみのおとない待ちわびる
野原を歩くきみの背中の、貝殻骨は雪原のごと
アネモネのあざやかさより、目に残るその髪の黒
きみのくれたる水蜜桃の、われに与うる甘美と歓喜
きらら雪ふる冬の夜半に、別れを告げる言葉のつぶて
なぜとさえ、きみ言わず、戸を出でたうしろすがた
我すぐに後を追いしが、そのすがた雪にかき消え
春が来たりて、君の行方を探ししも
ただ二年前、黒髪の娘、かの湖に溺るるを知る
風にゆらめくアネモネの、あざやかささえ忘れ得ず
いつの間にか広場には人だかりができており、アウロラが演奏を終えると満場の拍手に包まれた。
アウロラは赤面しながら軽く手を振り、アニタら三人の子供が駆け寄ってきた。リースベットはさほど興味もなさそうに、頬杖をついて外方を向き、眠そうに目を指でこすりながら聞いていた。
「……アネモネか……意外と古い歌だな」
「吟遊詩人てのは、牧羊神のおふざけなんかを歌うんじゃなかったのか? 神話か何かで似たような色恋の話があった気がするが」
「私は新しい歌が好きだったけど、父があまり教えてくれなかったのよ。今のは『水の精』って曲だったかしら」
「その父親は……悪ぃ、内務省に捕まったんだったな」
「構わないわ。どうやら辛い目に遭ってるのは、私だけじゃないみたいだし」
アウロラが贋作のリュートを元あった場所に戻そうとすると、リースベットが立ち上がって声をかけた。
「……アウロラ、そいつはお前にくれてやる」
「いいの? 聞いてのとおり、リュートとしてちゃんと使えるわよ。それなりの無難な値段はつくと思うけど」
「目利きで通ってるオスカリウスが贋作を売ったと知れたら、商売あがったりだからな」
「俺らは別に構わねえぜ。見た目に騙される金持ちのアホの手元にあるよりは、いいんじゃねえか」
そう言いながらオスカリウスは、リュートを包んでいた布をアウロラに投げて寄越した。
「オスカリウス、絹の織物が結構あったろう、あれを虫食いになる前にさばいちまえ。ここんとこ戦闘続きで、金も必要だしな」
「……ありがとう。大事に使うわ」
「たまに聞かせてくれんのはいいが、夜中に練習すんのはやめてくれよ。ここは音が響くんだ」
「毎晩いびきを響かせてる奴に言われちゃ、世話ねえな」
眼帯をした山賊の物言いをバックマンが茶化し、広場が穏やかな笑いに包まれた。
演奏が終わって一部の者が出ていったが、それでも三十人ほどの成員が残っている。アウロラは全体を見渡し、ふと生じた疑問を口に出した。
「それにしてもこんな山の中で、これだけの人数がよく食べていけてるわね」
「山賊が山の裏手で、畑仕事でもやってると思うか?」
「このへんは土地が痩せてて、作物が育たないんじゃなかったっけ?」
「……まあそうだな。あたしが教師だったら、その答えで褒めて頭をなでてやっただろうさ」
「嬢ちゃん、ヘルストランドの出なら、今リードホルムじゃ塩がとんでもねえ値段なのは知ってるな?」
行商の準備を終えた鑑定士オスカリウスが、石を詰めた麻袋のような荷物を軽く叩きながらアウロラに話しかけた。
「……昔、母がそんなことを言ってた気がする」
「ここ何年か、毎年のように塩の税金が上がってな。今じゃノルドグレーンの三倍ちかい値段になってる」
「そこで、こいつだ。何だか分かるか?」
オスカリウスがそう言って袋から取り出したのは、大きさがアウロラの頭ほどもある、水晶の原石のような鉱石だった。だが色は無色ではなく、薄く白味がかっていて透明度は低い。
「宝石って感じじゃないけど……」
「こいつは塩、岩塩だ。ノルドグレーンに近いラルセン山の端に、俺らが見つけて掘り抜いた岩塩坑がある。これを定期的にまっとうな値段で売って、食い物や地下壕整備のもとでにしてるんだよ」
「リードホルムの庶民がまともな味のついた飯を食えてるのは、山賊のおかげってわけだ。もちろん、あたしら自身にだって塩は絶対必要だしな」
「驚いたわ。追い剥ぎで生計を立ててるんじゃなかったのね」
「あのな……そいつをやったら、世界中を敵に回しちまうだろ。あたしらが襲ってんのはあくまで、リードホルムからノルドグレーンに贈られる貢ぎ物だけだ」
「他にも収入源は無いでもないが、今いちばん安定してんのはこいつだ」
「塩に限らず、人間が生きてくのに必要なモンに重税をかけんのはバカのやることだ。そのせいで俺たちみてえなならず者がのさばって、利ざやを稼がれちまうんだからな」
バックマンはそう笑い飛ばすが、じっさいリードホルムの重税がなければ、採掘量のさほど多いわけでもない岩塩の闇販売で得られる利益は、さしたる額にはなりえなかったのだ。
オスカリウスがともに行商に出る者たちと商品を荷馬車に積み込んでいると、ソレンスタム孤児院出身のドグラス・リューブラントが忘れ物でもしたように駆け寄ってきた。
ティーサンリードの成員たちは誰一人として、なぜか彼のことをファミリーネームで呼ぼうとしない。ファーストネームのほうが呼びやすい、あいつに「リューブラント」は似合わない、など言いようはさまざまだが、みな口を揃えて彼をドグラスと呼ぶ。
「オスカリウス、そろそろ適当な金串を仕入れてきてくれ。ロックピックの材料が残り少なくてな」
「なんだ、もう無くなったのか」
「あんたの見立てに文句を言うんじゃねえが、この前のリードホルム産のやつは質が最悪だったぜ。混じり物が多いのか弾力がなくて、すぐポキポキ折れやがった」
「ああ、あれか……貧すればなんとやら。ノルドグレーンなら、そのへんで売ってるモンでも質はそれなりなんだがな……これから行くのが、あいにくそのリードホルムのバステルードだ。カッセル側から商人が来てりゃいいが、日用品じゃあまり期待はできん」
「そうか……いいのがあったらでいい。バックマンには俺から報告入れとくからよ」
ドグラスは密偵や潜入を得意としており、自作のロックピックで施錠された扉も難なく開けてしまう手技の持ち主だ。
以前は盗賊として生計を立てていたが、おのれの技術を過信するあまり警備の厳重な大貴族の邸宅に侵入し、顔を見られてノルドグレーンじゅうに手配書が配られる事態に陥った。やむなく国を出て放浪しているところでリースベットと出会い、空腹に耐えかねて強盗を試みたがあっさり返り討ちにされ、逆に有り金を差し出して帰順したのが二年ほど前の出来事である。
オスカリウスは彼の要求を容れ、手頃な材料の仕入れを約束して商隊を出発させた。
市場としてはノルドグレーン公国の首都ベステルオースが最も物価が高く、交易が自由で盛んなのだが、塩の密売には適さない。ノルドグレーンでも塩は国が流通を管理しているが、供給量は潤沢で価格も安い。そんな中で他より抜きん出ようとすれば産地などの付加価値で勝負することになるが、それを開かせないティーサンリードの岩塩は、ベステルオースの市場に受け入れられることはないだろう。
「頭領、例の怪しい早馬だが、いままでの例からすると明日にはノルドグレーンに向かうだろうぜ」
食堂でパルトという料理とキャベツの塩漬けを夕食に摂っていたリースベットとバックマンに、林道の監視から戻ったユーホルトが声をかけた。
パルトとはじゃがいもと小麦粉を練った生地で豚肉を包んだもので、これに好みの調味料をかけて食べる。ユーホルトも夕食の皿を携えている。
「やっと見っかったか。なかなか神出鬼没だったな」
「どうやら不定期で往復してるようだ。見張りを強めた副産物だな」
「荷物も運ばずに、この物騒……ってことになってる山道を行ったり来たり、だ。よほどのバカでなけりゃ、それ相応の理由があるはずだぜ」
リースベットたちが出没する山道を単騎で駆け抜ける不審な早馬は、これまでもしばしば目撃されていた。だが、それが短期間でリードホルムとノルドグレーンを往復していることが分かったのは、監視を強化した最近のことである。馬に乗っているのが常に同一の人物であることも、ユーホルトの目で確認されていた。
「さあ、モノを持ってねえ奴が運んでるのは何だ、って話だな」
「そういう奴が抱えてんのは、情報と相場は決まってます」
「そいつだ。下手をすると金貨や宝石より、よっぽど価値がある代物かもしれねえぞ。なにしろテーブルの下で互いの向こう脛を蹴りあってる二国を、取り持ってるわけだからな」
リースベットは残りのパルトをフォークで刺し、甘味を抑えたコケモモのジャムと溶けたバターに付け、ひと息に頬張った。エステルのひと工夫で玉ねぎが練り込まれた生地の塩気とジャムの酸味が、口の中で渾然と混じり合う。
ユーホルトの皿に盛られたパルトはリースベットが口にしたものより赤みが強く、これは豚の血を練り込んであるものだ。こくはあるが野性的な風味が強いため、人々の間でも好みは分かれる。
「早馬はたいてい、帰りは夜になることが多いようだ」
「捕まえる時はあたしも出るぜ。山賊が出るって道を肩で風きって走り抜ける御仁だ、それなりに腕が立つ可能性もあるからな」
「頭領が出るなら、それ以上の頭数は必要ねえな」
「いいやバックマン、お前もだ。内情を知らねえアホな追い剥ぎだと思って、デタラメぬかして逃げられたら無駄骨だからな。情報の確度をお前に判断してもらう」
「へいへい、仰せとあらば。まあ確かに、適当な遁辞ならべて逃げられるってのは考えられるしな」
「よし、明日は夕方から物見の岩山で張っとくか。おいアニタ、もう一つ持ってきてくれ」
まだ食べ足りないリースベットは皿を掲げ、炊事の手伝いをしている少女を呼んだ。
「リース、あんた子供を召使いみたいに使うんじゃないよ。今までどおり自分で取りにきな。アニタちゃん、行かなくていいからね」
「わかった」
「……まったく、誰がここのボスだと思ってやがんだ」
料理番のエステルがリースベットを叱責し、それを受けた首領はしぶしぶ自分の皿を持って湯気の立つ調理場へと歩いていった。
このやりとりは、何者に対しても物怖じしないエステルの性格に起因する面もある。だがそれ以上に、食を支配する者の影響力は絶大なのだ。文字通り彼女のさじ加減ひとつで、ティーサンリードの全員が痙攣しながら地面をのたうち回るような事態さえ起こしうるのだから。
地下壕を子どもたちが駆け回り、それを諌める声と笑いが方々であがっている。リードホルム軍と凄惨な死闘を繰り広げた山賊の根城とは到底思えない、和やかで活気に満ちた世界ができあがっていた。
その原因となったのはアウロラの小さな仲間、アニタ、アルフォンス、ミカルの三人だった。
連れてこられた初日は警戒して大人しくしていたが、かつてのソレンスタム孤児院とは違った自由な空気を感じ取るや、すぐに内に秘めた活力を爆発させる。縦横に伸びる地下壕を探検し、リースベットの飼い猫デミを追いかけ回し、そしていつの間にか三人揃って眠っていた。
好奇心をひと通り満たすと、アルフォンスは水くみを手伝い、ミカルはユーホルトの助手となって戦闘で使う矢を準備し、アニタは数十人分の食事の準備をするエステルについて野菜の皮を剥いたり食器を洗ったりしていた。
数日前にリースベットとアウロラが戦った広場に、その当事者ふたりと副長バックマン、鑑定士オスカリウスらが集まっていた。
「よう頭領、ティーサンリードはいつから孤児院になったんだ?」
「何でこんなことになっちまったんだか」
「ああ分かってる。ここは子供のいていい場所じゃねえ。それは分かってんだが……」
「ドグラスがソレンスタムの出だって言ってたじゃねえか。そこで予測しとくべきだったな」
「置いてくれてることには感謝してるわよ。ちゃんと手伝いもしてるじゃない」
「そういう問題じゃねえんだ、そういう……ああまったく」
絹糸のようなゆるく波うつ髪をかきむしって懊悩するリースベットを横目に、オスカリウスが行商に出向くための商品を用意していた。これらのほとんどがリードホルムの輸送隊から、略奪というかたちで仕入れたものだ。
「リュートがあるのね」
アウロラが荷物の中に、華美な装飾が施された弦楽器を見つけ、手にとって状態を見ている。
「コラ、売り物に触んじゃねえ」
「……これ、見た目ほどの価値はないわよ。ニーグレーンのニセモノじゃないのさ」
「何だ嬢ちゃん、楽器が分かんのか」
「父も母も吟遊詩人よ。本物はこのネックの裏側に、ちゃんとニーグレーンのサインが彫ってあるんだって父が言ってた。……音はふつうに出るわね」
ニーグレーンとはリードホルムで最も著名なリュート職人で、その手になる作品は楽器としてだけでなく、美術品としても高い価値を認められている。だがティーサンリードの所有するそれは、どうやらその贋作のようだ。
アウロラは持ち手の上部にあるペグを回し、慣れた手つきで音程をチューニングする。八本の弦を弾くと、正確な協和音のアルペジオが広場に響いた。
「慣れたもんだな。弾けんのか?」
「二年ぶりだけどさ」
「人に歴史あり、だな。いろんな奴が流れ着く山賊団だ」
「まあ、生まれながらの山賊なんて奴は珍しいだろうよ」
アウロラは深呼吸して気持ちを落ちつけ、手の動き具合を確かめるように、同じフレーズの繰り返しから曲の演奏を始めた。
なれ湖に溺れしを、たすけ上げたはあやまちか
か黒き髪と白妙のそで、ターコイズさえ眩ますまなこ
碧潭の沼よりきたる、可憐なる水神の子か
いよいよ我は惑溺し、きみのおとない待ちわびる
野原を歩くきみの背中の、貝殻骨は雪原のごと
アネモネのあざやかさより、目に残るその髪の黒
きみのくれたる水蜜桃の、われに与うる甘美と歓喜
きらら雪ふる冬の夜半に、別れを告げる言葉のつぶて
なぜとさえ、きみ言わず、戸を出でたうしろすがた
我すぐに後を追いしが、そのすがた雪にかき消え
春が来たりて、君の行方を探ししも
ただ二年前、黒髪の娘、かの湖に溺るるを知る
風にゆらめくアネモネの、あざやかささえ忘れ得ず
いつの間にか広場には人だかりができており、アウロラが演奏を終えると満場の拍手に包まれた。
アウロラは赤面しながら軽く手を振り、アニタら三人の子供が駆け寄ってきた。リースベットはさほど興味もなさそうに、頬杖をついて外方を向き、眠そうに目を指でこすりながら聞いていた。
「……アネモネか……意外と古い歌だな」
「吟遊詩人てのは、牧羊神のおふざけなんかを歌うんじゃなかったのか? 神話か何かで似たような色恋の話があった気がするが」
「私は新しい歌が好きだったけど、父があまり教えてくれなかったのよ。今のは『水の精』って曲だったかしら」
「その父親は……悪ぃ、内務省に捕まったんだったな」
「構わないわ。どうやら辛い目に遭ってるのは、私だけじゃないみたいだし」
アウロラが贋作のリュートを元あった場所に戻そうとすると、リースベットが立ち上がって声をかけた。
「……アウロラ、そいつはお前にくれてやる」
「いいの? 聞いてのとおり、リュートとしてちゃんと使えるわよ。それなりの無難な値段はつくと思うけど」
「目利きで通ってるオスカリウスが贋作を売ったと知れたら、商売あがったりだからな」
「俺らは別に構わねえぜ。見た目に騙される金持ちのアホの手元にあるよりは、いいんじゃねえか」
そう言いながらオスカリウスは、リュートを包んでいた布をアウロラに投げて寄越した。
「オスカリウス、絹の織物が結構あったろう、あれを虫食いになる前にさばいちまえ。ここんとこ戦闘続きで、金も必要だしな」
「……ありがとう。大事に使うわ」
「たまに聞かせてくれんのはいいが、夜中に練習すんのはやめてくれよ。ここは音が響くんだ」
「毎晩いびきを響かせてる奴に言われちゃ、世話ねえな」
眼帯をした山賊の物言いをバックマンが茶化し、広場が穏やかな笑いに包まれた。
演奏が終わって一部の者が出ていったが、それでも三十人ほどの成員が残っている。アウロラは全体を見渡し、ふと生じた疑問を口に出した。
「それにしてもこんな山の中で、これだけの人数がよく食べていけてるわね」
「山賊が山の裏手で、畑仕事でもやってると思うか?」
「このへんは土地が痩せてて、作物が育たないんじゃなかったっけ?」
「……まあそうだな。あたしが教師だったら、その答えで褒めて頭をなでてやっただろうさ」
「嬢ちゃん、ヘルストランドの出なら、今リードホルムじゃ塩がとんでもねえ値段なのは知ってるな?」
行商の準備を終えた鑑定士オスカリウスが、石を詰めた麻袋のような荷物を軽く叩きながらアウロラに話しかけた。
「……昔、母がそんなことを言ってた気がする」
「ここ何年か、毎年のように塩の税金が上がってな。今じゃノルドグレーンの三倍ちかい値段になってる」
「そこで、こいつだ。何だか分かるか?」
オスカリウスがそう言って袋から取り出したのは、大きさがアウロラの頭ほどもある、水晶の原石のような鉱石だった。だが色は無色ではなく、薄く白味がかっていて透明度は低い。
「宝石って感じじゃないけど……」
「こいつは塩、岩塩だ。ノルドグレーンに近いラルセン山の端に、俺らが見つけて掘り抜いた岩塩坑がある。これを定期的にまっとうな値段で売って、食い物や地下壕整備のもとでにしてるんだよ」
「リードホルムの庶民がまともな味のついた飯を食えてるのは、山賊のおかげってわけだ。もちろん、あたしら自身にだって塩は絶対必要だしな」
「驚いたわ。追い剥ぎで生計を立ててるんじゃなかったのね」
「あのな……そいつをやったら、世界中を敵に回しちまうだろ。あたしらが襲ってんのはあくまで、リードホルムからノルドグレーンに贈られる貢ぎ物だけだ」
「他にも収入源は無いでもないが、今いちばん安定してんのはこいつだ」
「塩に限らず、人間が生きてくのに必要なモンに重税をかけんのはバカのやることだ。そのせいで俺たちみてえなならず者がのさばって、利ざやを稼がれちまうんだからな」
バックマンはそう笑い飛ばすが、じっさいリードホルムの重税がなければ、採掘量のさほど多いわけでもない岩塩の闇販売で得られる利益は、さしたる額にはなりえなかったのだ。
オスカリウスがともに行商に出る者たちと商品を荷馬車に積み込んでいると、ソレンスタム孤児院出身のドグラス・リューブラントが忘れ物でもしたように駆け寄ってきた。
ティーサンリードの成員たちは誰一人として、なぜか彼のことをファミリーネームで呼ぼうとしない。ファーストネームのほうが呼びやすい、あいつに「リューブラント」は似合わない、など言いようはさまざまだが、みな口を揃えて彼をドグラスと呼ぶ。
「オスカリウス、そろそろ適当な金串を仕入れてきてくれ。ロックピックの材料が残り少なくてな」
「なんだ、もう無くなったのか」
「あんたの見立てに文句を言うんじゃねえが、この前のリードホルム産のやつは質が最悪だったぜ。混じり物が多いのか弾力がなくて、すぐポキポキ折れやがった」
「ああ、あれか……貧すればなんとやら。ノルドグレーンなら、そのへんで売ってるモンでも質はそれなりなんだがな……これから行くのが、あいにくそのリードホルムのバステルードだ。カッセル側から商人が来てりゃいいが、日用品じゃあまり期待はできん」
「そうか……いいのがあったらでいい。バックマンには俺から報告入れとくからよ」
ドグラスは密偵や潜入を得意としており、自作のロックピックで施錠された扉も難なく開けてしまう手技の持ち主だ。
以前は盗賊として生計を立てていたが、おのれの技術を過信するあまり警備の厳重な大貴族の邸宅に侵入し、顔を見られてノルドグレーンじゅうに手配書が配られる事態に陥った。やむなく国を出て放浪しているところでリースベットと出会い、空腹に耐えかねて強盗を試みたがあっさり返り討ちにされ、逆に有り金を差し出して帰順したのが二年ほど前の出来事である。
オスカリウスは彼の要求を容れ、手頃な材料の仕入れを約束して商隊を出発させた。
市場としてはノルドグレーン公国の首都ベステルオースが最も物価が高く、交易が自由で盛んなのだが、塩の密売には適さない。ノルドグレーンでも塩は国が流通を管理しているが、供給量は潤沢で価格も安い。そんな中で他より抜きん出ようとすれば産地などの付加価値で勝負することになるが、それを開かせないティーサンリードの岩塩は、ベステルオースの市場に受け入れられることはないだろう。
「頭領、例の怪しい早馬だが、いままでの例からすると明日にはノルドグレーンに向かうだろうぜ」
食堂でパルトという料理とキャベツの塩漬けを夕食に摂っていたリースベットとバックマンに、林道の監視から戻ったユーホルトが声をかけた。
パルトとはじゃがいもと小麦粉を練った生地で豚肉を包んだもので、これに好みの調味料をかけて食べる。ユーホルトも夕食の皿を携えている。
「やっと見っかったか。なかなか神出鬼没だったな」
「どうやら不定期で往復してるようだ。見張りを強めた副産物だな」
「荷物も運ばずに、この物騒……ってことになってる山道を行ったり来たり、だ。よほどのバカでなけりゃ、それ相応の理由があるはずだぜ」
リースベットたちが出没する山道を単騎で駆け抜ける不審な早馬は、これまでもしばしば目撃されていた。だが、それが短期間でリードホルムとノルドグレーンを往復していることが分かったのは、監視を強化した最近のことである。馬に乗っているのが常に同一の人物であることも、ユーホルトの目で確認されていた。
「さあ、モノを持ってねえ奴が運んでるのは何だ、って話だな」
「そういう奴が抱えてんのは、情報と相場は決まってます」
「そいつだ。下手をすると金貨や宝石より、よっぽど価値がある代物かもしれねえぞ。なにしろテーブルの下で互いの向こう脛を蹴りあってる二国を、取り持ってるわけだからな」
リースベットは残りのパルトをフォークで刺し、甘味を抑えたコケモモのジャムと溶けたバターに付け、ひと息に頬張った。エステルのひと工夫で玉ねぎが練り込まれた生地の塩気とジャムの酸味が、口の中で渾然と混じり合う。
ユーホルトの皿に盛られたパルトはリースベットが口にしたものより赤みが強く、これは豚の血を練り込んであるものだ。こくはあるが野性的な風味が強いため、人々の間でも好みは分かれる。
「早馬はたいてい、帰りは夜になることが多いようだ」
「捕まえる時はあたしも出るぜ。山賊が出るって道を肩で風きって走り抜ける御仁だ、それなりに腕が立つ可能性もあるからな」
「頭領が出るなら、それ以上の頭数は必要ねえな」
「いいやバックマン、お前もだ。内情を知らねえアホな追い剥ぎだと思って、デタラメぬかして逃げられたら無駄骨だからな。情報の確度をお前に判断してもらう」
「へいへい、仰せとあらば。まあ確かに、適当な遁辞ならべて逃げられるってのは考えられるしな」
「よし、明日は夕方から物見の岩山で張っとくか。おいアニタ、もう一つ持ってきてくれ」
まだ食べ足りないリースベットは皿を掲げ、炊事の手伝いをしている少女を呼んだ。
「リース、あんた子供を召使いみたいに使うんじゃないよ。今までどおり自分で取りにきな。アニタちゃん、行かなくていいからね」
「わかった」
「……まったく、誰がここのボスだと思ってやがんだ」
料理番のエステルがリースベットを叱責し、それを受けた首領はしぶしぶ自分の皿を持って湯気の立つ調理場へと歩いていった。
このやりとりは、何者に対しても物怖じしないエステルの性格に起因する面もある。だがそれ以上に、食を支配する者の影響力は絶大なのだ。文字通り彼女のさじ加減ひとつで、ティーサンリードの全員が痙攣しながら地面をのたうち回るような事態さえ起こしうるのだから。
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