20 / 247
転生と記憶
3 新たな同朋
しおりを挟む
リードホルム・ノルドグレーン連合部隊を撃退し、若きリーパーであるアウロラ・シェルヴェンを味方に引き入れたティーサンリード山賊団の拠点は、異様な雰囲気に包まれていた。
地下壕を子どもたちが駆け回り、それを諌める声と笑いが方々であがっている。リードホルム軍と凄惨な死闘を繰り広げた山賊の根城とは到底思えない、和やかで活気に満ちた世界ができあがっていた。
その原因となったのはアウロラの小さな仲間、アニタ、アルフォンス、ミカルの三人だった。
連れてこられた初日は警戒して大人しくしていたが、かつてのソレンスタム孤児院とは違った自由な空気を感じ取るや、すぐに内に秘めた活力を爆発させる。縦横に伸びる地下壕を探検し、リースベットの飼い猫デミを追いかけ回し、そしていつの間にか三人揃って眠っていた。
好奇心をひと通り満たすと、アルフォンスは水くみを手伝い、ミカルはユーホルトの助手となって戦闘で使う矢を準備し、アニタは数十人分の食事の準備をするエステルについて野菜の皮を剥いたり食器を洗ったりしていた。
数日前にリースベットとアウロラが戦った広場に、その当事者ふたりと副長バックマン、鑑定士オスカリウスらが集まっていた。
「よう頭領、ティーサンリードはいつから孤児院になったんだ?」
「何でこんなことになっちまったんだか」
「ああ分かってる。ここは子供のいていい場所じゃねえ。それは分かってんだが……」
「ドグラスがソレンスタムの出だって言ってたじゃねえか。そこで予測しとくべきだったな」
「置いてくれてることには感謝してるわよ。ちゃんと手伝いもしてるじゃない」
「そういう問題じゃねえんだ、そういう……ああまったく」
絹糸のようなゆるく波うつ髪をかきむしって懊悩するリースベットを横目に、オスカリウスが行商に出向くための商品を用意していた。これらのほとんどがリードホルムの輸送隊から、略奪というかたちで仕入れたものだ。
「リュートがあるのね」
アウロラが荷物の中に、華美な装飾が施された弦楽器を見つけ、手にとって状態を見ている。
「コラ、売り物に触んじゃねえ」
「……これ、見た目ほどの価値はないわよ。ニーグレーンのニセモノじゃないのさ」
「何だ嬢ちゃん、楽器が分かんのか」
「父も母も吟遊詩人よ。本物はこのネックの裏側に、ちゃんとニーグレーンのサインが彫ってあるんだって父が言ってた。……音はふつうに出るわね」
ニーグレーンとはリードホルムで最も著名なリュート職人で、その手になる作品は楽器としてだけでなく、美術品としても高い価値を認められている。だがティーサンリードの所有するそれは、どうやらその贋作のようだ。
アウロラは持ち手の上部にあるペグを回し、慣れた手つきで音程をチューニングする。八本の弦を弾くと、正確な協和音のアルペジオが広場に響いた。
「慣れたもんだな。弾けんのか?」
「二年ぶりだけどさ」
「人に歴史あり、だな。いろんな奴が流れ着く山賊団だ」
「まあ、生まれながらの山賊なんて奴は珍しいだろうよ」
アウロラは深呼吸して気持ちを落ちつけ、手の動き具合を確かめるように、同じフレーズの繰り返しから曲の演奏を始めた。
なれ湖に溺れしを、たすけ上げたはあやまちか
か黒き髪と白妙のそで、ターコイズさえ眩ますまなこ
碧潭の沼よりきたる、可憐なる水神の子か
いよいよ我は惑溺し、きみのおとない待ちわびる
野原を歩くきみの背中の、貝殻骨は雪原のごと
アネモネのあざやかさより、目に残るその髪の黒
きみのくれたる水蜜桃の、われに与うる甘美と歓喜
きらら雪ふる冬の夜半に、別れを告げる言葉のつぶて
なぜとさえ、きみ言わず、戸を出でたうしろすがた
我すぐに後を追いしが、そのすがた雪にかき消え
春が来たりて、君の行方を探ししも
ただ二年前、黒髪の娘、かの湖に溺るるを知る
風にゆらめくアネモネの、あざやかささえ忘れ得ず
いつの間にか広場には人だかりができており、アウロラが演奏を終えると満場の拍手に包まれた。
アウロラは赤面しながら軽く手を振り、アニタら三人の子供が駆け寄ってきた。リースベットはさほど興味もなさそうに、頬杖をついて外方を向き、眠そうに目を指でこすりながら聞いていた。
「……アネモネか……意外と古い歌だな」
「吟遊詩人てのは、牧羊神のおふざけなんかを歌うんじゃなかったのか? 神話か何かで似たような色恋の話があった気がするが」
「私は新しい歌が好きだったけど、父があまり教えてくれなかったのよ。今のは『水の精』って曲だったかしら」
「その父親は……悪ぃ、内務省に捕まったんだったな」
「構わないわ。どうやら辛い目に遭ってるのは、私だけじゃないみたいだし」
アウロラが贋作のリュートを元あった場所に戻そうとすると、リースベットが立ち上がって声をかけた。
「……アウロラ、そいつはお前にくれてやる」
「いいの? 聞いてのとおり、リュートとしてちゃんと使えるわよ。それなりの無難な値段はつくと思うけど」
「目利きで通ってるオスカリウスが贋作を売ったと知れたら、商売あがったりだからな」
「俺らは別に構わねえぜ。見た目に騙される金持ちのアホの手元にあるよりは、いいんじゃねえか」
そう言いながらオスカリウスは、リュートを包んでいた布をアウロラに投げて寄越した。
「オスカリウス、絹の織物が結構あったろう、あれを虫食いになる前にさばいちまえ。ここんとこ戦闘続きで、金も必要だしな」
「……ありがとう。大事に使うわ」
「たまに聞かせてくれんのはいいが、夜中に練習すんのはやめてくれよ。ここは音が響くんだ」
「毎晩いびきを響かせてる奴に言われちゃ、世話ねえな」
眼帯をした山賊の物言いをバックマンが茶化し、広場が穏やかな笑いに包まれた。
演奏が終わって一部の者が出ていったが、それでも三十人ほどの成員が残っている。アウロラは全体を見渡し、ふと生じた疑問を口に出した。
「それにしてもこんな山の中で、これだけの人数がよく食べていけてるわね」
「山賊が山の裏手で、畑仕事でもやってると思うか?」
「このへんは土地が痩せてて、作物が育たないんじゃなかったっけ?」
「……まあそうだな。あたしが教師だったら、その答えで褒めて頭をなでてやっただろうさ」
「嬢ちゃん、ヘルストランドの出なら、今リードホルムじゃ塩がとんでもねえ値段なのは知ってるな?」
行商の準備を終えた鑑定士オスカリウスが、石を詰めた麻袋のような荷物を軽く叩きながらアウロラに話しかけた。
「……昔、母がそんなことを言ってた気がする」
「ここ何年か、毎年のように塩の税金が上がってな。今じゃノルドグレーンの三倍ちかい値段になってる」
「そこで、こいつだ。何だか分かるか?」
オスカリウスがそう言って袋から取り出したのは、大きさがアウロラの頭ほどもある、水晶の原石のような鉱石だった。だが色は無色ではなく、薄く白味がかっていて透明度は低い。
「宝石って感じじゃないけど……」
「こいつは塩、岩塩だ。ノルドグレーンに近いラルセン山の端に、俺らが見つけて掘り抜いた岩塩坑がある。これを定期的にまっとうな値段で売って、食い物や地下壕整備のもとでにしてるんだよ」
「リードホルムの庶民がまともな味のついた飯を食えてるのは、山賊のおかげってわけだ。もちろん、あたしら自身にだって塩は絶対必要だしな」
「驚いたわ。追い剥ぎで生計を立ててるんじゃなかったのね」
「あのな……そいつをやったら、世界中を敵に回しちまうだろ。あたしらが襲ってんのはあくまで、リードホルムからノルドグレーンに贈られる貢ぎ物だけだ」
「他にも収入源は無いでもないが、今いちばん安定してんのはこいつだ」
「塩に限らず、人間が生きてくのに必要なモンに重税をかけんのはバカのやることだ。そのせいで俺たちみてえなならず者がのさばって、利ざやを稼がれちまうんだからな」
バックマンはそう笑い飛ばすが、じっさいリードホルムの重税がなければ、採掘量のさほど多いわけでもない岩塩の闇販売で得られる利益は、さしたる額にはなりえなかったのだ。
オスカリウスがともに行商に出る者たちと商品を荷馬車に積み込んでいると、ソレンスタム孤児院出身のドグラス・リューブラントが忘れ物でもしたように駆け寄ってきた。
ティーサンリードの成員たちは誰一人として、なぜか彼のことをファミリーネームで呼ぼうとしない。ファーストネームのほうが呼びやすい、あいつに「リューブラント」は似合わない、など言いようはさまざまだが、みな口を揃えて彼をドグラスと呼ぶ。
「オスカリウス、そろそろ適当な金串を仕入れてきてくれ。ロックピックの材料が残り少なくてな」
「なんだ、もう無くなったのか」
「あんたの見立てに文句を言うんじゃねえが、この前のリードホルム産のやつは質が最悪だったぜ。混じり物が多いのか弾力がなくて、すぐポキポキ折れやがった」
「ああ、あれか……貧すればなんとやら。ノルドグレーンなら、そのへんで売ってるモンでも質はそれなりなんだがな……これから行くのが、あいにくそのリードホルムのバステルードだ。カッセル側から商人が来てりゃいいが、日用品じゃあまり期待はできん」
「そうか……いいのがあったらでいい。バックマンには俺から報告入れとくからよ」
ドグラスは密偵や潜入を得意としており、自作のロックピックで施錠された扉も難なく開けてしまう手技の持ち主だ。
以前は盗賊として生計を立てていたが、おのれの技術を過信するあまり警備の厳重な大貴族の邸宅に侵入し、顔を見られてノルドグレーンじゅうに手配書が配られる事態に陥った。やむなく国を出て放浪しているところでリースベットと出会い、空腹に耐えかねて強盗を試みたがあっさり返り討ちにされ、逆に有り金を差し出して帰順したのが二年ほど前の出来事である。
オスカリウスは彼の要求を容れ、手頃な材料の仕入れを約束して商隊を出発させた。
市場としてはノルドグレーン公国の首都ベステルオースが最も物価が高く、交易が自由で盛んなのだが、塩の密売には適さない。ノルドグレーンでも塩は国が流通を管理しているが、供給量は潤沢で価格も安い。そんな中で他より抜きん出ようとすれば産地などの付加価値で勝負することになるが、それを開かせないティーサンリードの岩塩は、ベステルオースの市場に受け入れられることはないだろう。
「頭領、例の怪しい早馬だが、いままでの例からすると明日にはノルドグレーンに向かうだろうぜ」
食堂でパルトという料理とキャベツの塩漬けを夕食に摂っていたリースベットとバックマンに、林道の監視から戻ったユーホルトが声をかけた。
パルトとはじゃがいもと小麦粉を練った生地で豚肉を包んだもので、これに好みの調味料をかけて食べる。ユーホルトも夕食の皿を携えている。
「やっと見っかったか。なかなか神出鬼没だったな」
「どうやら不定期で往復してるようだ。見張りを強めた副産物だな」
「荷物も運ばずに、この物騒……ってことになってる山道を行ったり来たり、だ。よほどのバカでなけりゃ、それ相応の理由があるはずだぜ」
リースベットたちが出没する山道を単騎で駆け抜ける不審な早馬は、これまでもしばしば目撃されていた。だが、それが短期間でリードホルムとノルドグレーンを往復していることが分かったのは、監視を強化した最近のことである。馬に乗っているのが常に同一の人物であることも、ユーホルトの目で確認されていた。
「さあ、モノを持ってねえ奴が運んでるのは何だ、って話だな」
「そういう奴が抱えてんのは、情報と相場は決まってます」
「そいつだ。下手をすると金貨や宝石より、よっぽど価値がある代物かもしれねえぞ。なにしろテーブルの下で互いの向こう脛を蹴りあってる二国を、取り持ってるわけだからな」
リースベットは残りのパルトをフォークで刺し、甘味を抑えたコケモモのジャムと溶けたバターに付け、ひと息に頬張った。エステルのひと工夫で玉ねぎが練り込まれた生地の塩気とジャムの酸味が、口の中で渾然と混じり合う。
ユーホルトの皿に盛られたパルトはリースベットが口にしたものより赤みが強く、これは豚の血を練り込んであるものだ。こくはあるが野性的な風味が強いため、人々の間でも好みは分かれる。
「早馬はたいてい、帰りは夜になることが多いようだ」
「捕まえる時はあたしも出るぜ。山賊が出るって道を肩で風きって走り抜ける御仁だ、それなりに腕が立つ可能性もあるからな」
「頭領が出るなら、それ以上の頭数は必要ねえな」
「いいやバックマン、お前もだ。内情を知らねえアホな追い剥ぎだと思って、デタラメぬかして逃げられたら無駄骨だからな。情報の確度をお前に判断してもらう」
「へいへい、仰せとあらば。まあ確かに、適当な遁辞ならべて逃げられるってのは考えられるしな」
「よし、明日は夕方から物見の岩山で張っとくか。おいアニタ、もう一つ持ってきてくれ」
まだ食べ足りないリースベットは皿を掲げ、炊事の手伝いをしている少女を呼んだ。
「リース、あんた子供を召使いみたいに使うんじゃないよ。今までどおり自分で取りにきな。アニタちゃん、行かなくていいからね」
「わかった」
「……まったく、誰がここのボスだと思ってやがんだ」
料理番のエステルがリースベットを叱責し、それを受けた首領はしぶしぶ自分の皿を持って湯気の立つ調理場へと歩いていった。
このやりとりは、何者に対しても物怖じしないエステルの性格に起因する面もある。だがそれ以上に、食を支配する者の影響力は絶大なのだ。文字通り彼女のさじ加減ひとつで、ティーサンリードの全員が痙攣しながら地面をのたうち回るような事態さえ起こしうるのだから。
地下壕を子どもたちが駆け回り、それを諌める声と笑いが方々であがっている。リードホルム軍と凄惨な死闘を繰り広げた山賊の根城とは到底思えない、和やかで活気に満ちた世界ができあがっていた。
その原因となったのはアウロラの小さな仲間、アニタ、アルフォンス、ミカルの三人だった。
連れてこられた初日は警戒して大人しくしていたが、かつてのソレンスタム孤児院とは違った自由な空気を感じ取るや、すぐに内に秘めた活力を爆発させる。縦横に伸びる地下壕を探検し、リースベットの飼い猫デミを追いかけ回し、そしていつの間にか三人揃って眠っていた。
好奇心をひと通り満たすと、アルフォンスは水くみを手伝い、ミカルはユーホルトの助手となって戦闘で使う矢を準備し、アニタは数十人分の食事の準備をするエステルについて野菜の皮を剥いたり食器を洗ったりしていた。
数日前にリースベットとアウロラが戦った広場に、その当事者ふたりと副長バックマン、鑑定士オスカリウスらが集まっていた。
「よう頭領、ティーサンリードはいつから孤児院になったんだ?」
「何でこんなことになっちまったんだか」
「ああ分かってる。ここは子供のいていい場所じゃねえ。それは分かってんだが……」
「ドグラスがソレンスタムの出だって言ってたじゃねえか。そこで予測しとくべきだったな」
「置いてくれてることには感謝してるわよ。ちゃんと手伝いもしてるじゃない」
「そういう問題じゃねえんだ、そういう……ああまったく」
絹糸のようなゆるく波うつ髪をかきむしって懊悩するリースベットを横目に、オスカリウスが行商に出向くための商品を用意していた。これらのほとんどがリードホルムの輸送隊から、略奪というかたちで仕入れたものだ。
「リュートがあるのね」
アウロラが荷物の中に、華美な装飾が施された弦楽器を見つけ、手にとって状態を見ている。
「コラ、売り物に触んじゃねえ」
「……これ、見た目ほどの価値はないわよ。ニーグレーンのニセモノじゃないのさ」
「何だ嬢ちゃん、楽器が分かんのか」
「父も母も吟遊詩人よ。本物はこのネックの裏側に、ちゃんとニーグレーンのサインが彫ってあるんだって父が言ってた。……音はふつうに出るわね」
ニーグレーンとはリードホルムで最も著名なリュート職人で、その手になる作品は楽器としてだけでなく、美術品としても高い価値を認められている。だがティーサンリードの所有するそれは、どうやらその贋作のようだ。
アウロラは持ち手の上部にあるペグを回し、慣れた手つきで音程をチューニングする。八本の弦を弾くと、正確な協和音のアルペジオが広場に響いた。
「慣れたもんだな。弾けんのか?」
「二年ぶりだけどさ」
「人に歴史あり、だな。いろんな奴が流れ着く山賊団だ」
「まあ、生まれながらの山賊なんて奴は珍しいだろうよ」
アウロラは深呼吸して気持ちを落ちつけ、手の動き具合を確かめるように、同じフレーズの繰り返しから曲の演奏を始めた。
なれ湖に溺れしを、たすけ上げたはあやまちか
か黒き髪と白妙のそで、ターコイズさえ眩ますまなこ
碧潭の沼よりきたる、可憐なる水神の子か
いよいよ我は惑溺し、きみのおとない待ちわびる
野原を歩くきみの背中の、貝殻骨は雪原のごと
アネモネのあざやかさより、目に残るその髪の黒
きみのくれたる水蜜桃の、われに与うる甘美と歓喜
きらら雪ふる冬の夜半に、別れを告げる言葉のつぶて
なぜとさえ、きみ言わず、戸を出でたうしろすがた
我すぐに後を追いしが、そのすがた雪にかき消え
春が来たりて、君の行方を探ししも
ただ二年前、黒髪の娘、かの湖に溺るるを知る
風にゆらめくアネモネの、あざやかささえ忘れ得ず
いつの間にか広場には人だかりができており、アウロラが演奏を終えると満場の拍手に包まれた。
アウロラは赤面しながら軽く手を振り、アニタら三人の子供が駆け寄ってきた。リースベットはさほど興味もなさそうに、頬杖をついて外方を向き、眠そうに目を指でこすりながら聞いていた。
「……アネモネか……意外と古い歌だな」
「吟遊詩人てのは、牧羊神のおふざけなんかを歌うんじゃなかったのか? 神話か何かで似たような色恋の話があった気がするが」
「私は新しい歌が好きだったけど、父があまり教えてくれなかったのよ。今のは『水の精』って曲だったかしら」
「その父親は……悪ぃ、内務省に捕まったんだったな」
「構わないわ。どうやら辛い目に遭ってるのは、私だけじゃないみたいだし」
アウロラが贋作のリュートを元あった場所に戻そうとすると、リースベットが立ち上がって声をかけた。
「……アウロラ、そいつはお前にくれてやる」
「いいの? 聞いてのとおり、リュートとしてちゃんと使えるわよ。それなりの無難な値段はつくと思うけど」
「目利きで通ってるオスカリウスが贋作を売ったと知れたら、商売あがったりだからな」
「俺らは別に構わねえぜ。見た目に騙される金持ちのアホの手元にあるよりは、いいんじゃねえか」
そう言いながらオスカリウスは、リュートを包んでいた布をアウロラに投げて寄越した。
「オスカリウス、絹の織物が結構あったろう、あれを虫食いになる前にさばいちまえ。ここんとこ戦闘続きで、金も必要だしな」
「……ありがとう。大事に使うわ」
「たまに聞かせてくれんのはいいが、夜中に練習すんのはやめてくれよ。ここは音が響くんだ」
「毎晩いびきを響かせてる奴に言われちゃ、世話ねえな」
眼帯をした山賊の物言いをバックマンが茶化し、広場が穏やかな笑いに包まれた。
演奏が終わって一部の者が出ていったが、それでも三十人ほどの成員が残っている。アウロラは全体を見渡し、ふと生じた疑問を口に出した。
「それにしてもこんな山の中で、これだけの人数がよく食べていけてるわね」
「山賊が山の裏手で、畑仕事でもやってると思うか?」
「このへんは土地が痩せてて、作物が育たないんじゃなかったっけ?」
「……まあそうだな。あたしが教師だったら、その答えで褒めて頭をなでてやっただろうさ」
「嬢ちゃん、ヘルストランドの出なら、今リードホルムじゃ塩がとんでもねえ値段なのは知ってるな?」
行商の準備を終えた鑑定士オスカリウスが、石を詰めた麻袋のような荷物を軽く叩きながらアウロラに話しかけた。
「……昔、母がそんなことを言ってた気がする」
「ここ何年か、毎年のように塩の税金が上がってな。今じゃノルドグレーンの三倍ちかい値段になってる」
「そこで、こいつだ。何だか分かるか?」
オスカリウスがそう言って袋から取り出したのは、大きさがアウロラの頭ほどもある、水晶の原石のような鉱石だった。だが色は無色ではなく、薄く白味がかっていて透明度は低い。
「宝石って感じじゃないけど……」
「こいつは塩、岩塩だ。ノルドグレーンに近いラルセン山の端に、俺らが見つけて掘り抜いた岩塩坑がある。これを定期的にまっとうな値段で売って、食い物や地下壕整備のもとでにしてるんだよ」
「リードホルムの庶民がまともな味のついた飯を食えてるのは、山賊のおかげってわけだ。もちろん、あたしら自身にだって塩は絶対必要だしな」
「驚いたわ。追い剥ぎで生計を立ててるんじゃなかったのね」
「あのな……そいつをやったら、世界中を敵に回しちまうだろ。あたしらが襲ってんのはあくまで、リードホルムからノルドグレーンに贈られる貢ぎ物だけだ」
「他にも収入源は無いでもないが、今いちばん安定してんのはこいつだ」
「塩に限らず、人間が生きてくのに必要なモンに重税をかけんのはバカのやることだ。そのせいで俺たちみてえなならず者がのさばって、利ざやを稼がれちまうんだからな」
バックマンはそう笑い飛ばすが、じっさいリードホルムの重税がなければ、採掘量のさほど多いわけでもない岩塩の闇販売で得られる利益は、さしたる額にはなりえなかったのだ。
オスカリウスがともに行商に出る者たちと商品を荷馬車に積み込んでいると、ソレンスタム孤児院出身のドグラス・リューブラントが忘れ物でもしたように駆け寄ってきた。
ティーサンリードの成員たちは誰一人として、なぜか彼のことをファミリーネームで呼ぼうとしない。ファーストネームのほうが呼びやすい、あいつに「リューブラント」は似合わない、など言いようはさまざまだが、みな口を揃えて彼をドグラスと呼ぶ。
「オスカリウス、そろそろ適当な金串を仕入れてきてくれ。ロックピックの材料が残り少なくてな」
「なんだ、もう無くなったのか」
「あんたの見立てに文句を言うんじゃねえが、この前のリードホルム産のやつは質が最悪だったぜ。混じり物が多いのか弾力がなくて、すぐポキポキ折れやがった」
「ああ、あれか……貧すればなんとやら。ノルドグレーンなら、そのへんで売ってるモンでも質はそれなりなんだがな……これから行くのが、あいにくそのリードホルムのバステルードだ。カッセル側から商人が来てりゃいいが、日用品じゃあまり期待はできん」
「そうか……いいのがあったらでいい。バックマンには俺から報告入れとくからよ」
ドグラスは密偵や潜入を得意としており、自作のロックピックで施錠された扉も難なく開けてしまう手技の持ち主だ。
以前は盗賊として生計を立てていたが、おのれの技術を過信するあまり警備の厳重な大貴族の邸宅に侵入し、顔を見られてノルドグレーンじゅうに手配書が配られる事態に陥った。やむなく国を出て放浪しているところでリースベットと出会い、空腹に耐えかねて強盗を試みたがあっさり返り討ちにされ、逆に有り金を差し出して帰順したのが二年ほど前の出来事である。
オスカリウスは彼の要求を容れ、手頃な材料の仕入れを約束して商隊を出発させた。
市場としてはノルドグレーン公国の首都ベステルオースが最も物価が高く、交易が自由で盛んなのだが、塩の密売には適さない。ノルドグレーンでも塩は国が流通を管理しているが、供給量は潤沢で価格も安い。そんな中で他より抜きん出ようとすれば産地などの付加価値で勝負することになるが、それを開かせないティーサンリードの岩塩は、ベステルオースの市場に受け入れられることはないだろう。
「頭領、例の怪しい早馬だが、いままでの例からすると明日にはノルドグレーンに向かうだろうぜ」
食堂でパルトという料理とキャベツの塩漬けを夕食に摂っていたリースベットとバックマンに、林道の監視から戻ったユーホルトが声をかけた。
パルトとはじゃがいもと小麦粉を練った生地で豚肉を包んだもので、これに好みの調味料をかけて食べる。ユーホルトも夕食の皿を携えている。
「やっと見っかったか。なかなか神出鬼没だったな」
「どうやら不定期で往復してるようだ。見張りを強めた副産物だな」
「荷物も運ばずに、この物騒……ってことになってる山道を行ったり来たり、だ。よほどのバカでなけりゃ、それ相応の理由があるはずだぜ」
リースベットたちが出没する山道を単騎で駆け抜ける不審な早馬は、これまでもしばしば目撃されていた。だが、それが短期間でリードホルムとノルドグレーンを往復していることが分かったのは、監視を強化した最近のことである。馬に乗っているのが常に同一の人物であることも、ユーホルトの目で確認されていた。
「さあ、モノを持ってねえ奴が運んでるのは何だ、って話だな」
「そういう奴が抱えてんのは、情報と相場は決まってます」
「そいつだ。下手をすると金貨や宝石より、よっぽど価値がある代物かもしれねえぞ。なにしろテーブルの下で互いの向こう脛を蹴りあってる二国を、取り持ってるわけだからな」
リースベットは残りのパルトをフォークで刺し、甘味を抑えたコケモモのジャムと溶けたバターに付け、ひと息に頬張った。エステルのひと工夫で玉ねぎが練り込まれた生地の塩気とジャムの酸味が、口の中で渾然と混じり合う。
ユーホルトの皿に盛られたパルトはリースベットが口にしたものより赤みが強く、これは豚の血を練り込んであるものだ。こくはあるが野性的な風味が強いため、人々の間でも好みは分かれる。
「早馬はたいてい、帰りは夜になることが多いようだ」
「捕まえる時はあたしも出るぜ。山賊が出るって道を肩で風きって走り抜ける御仁だ、それなりに腕が立つ可能性もあるからな」
「頭領が出るなら、それ以上の頭数は必要ねえな」
「いいやバックマン、お前もだ。内情を知らねえアホな追い剥ぎだと思って、デタラメぬかして逃げられたら無駄骨だからな。情報の確度をお前に判断してもらう」
「へいへい、仰せとあらば。まあ確かに、適当な遁辞ならべて逃げられるってのは考えられるしな」
「よし、明日は夕方から物見の岩山で張っとくか。おいアニタ、もう一つ持ってきてくれ」
まだ食べ足りないリースベットは皿を掲げ、炊事の手伝いをしている少女を呼んだ。
「リース、あんた子供を召使いみたいに使うんじゃないよ。今までどおり自分で取りにきな。アニタちゃん、行かなくていいからね」
「わかった」
「……まったく、誰がここのボスだと思ってやがんだ」
料理番のエステルがリースベットを叱責し、それを受けた首領はしぶしぶ自分の皿を持って湯気の立つ調理場へと歩いていった。
このやりとりは、何者に対しても物怖じしないエステルの性格に起因する面もある。だがそれ以上に、食を支配する者の影響力は絶大なのだ。文字通り彼女のさじ加減ひとつで、ティーサンリードの全員が痙攣しながら地面をのたうち回るような事態さえ起こしうるのだから。
0
あなたにおすすめの小説
99歳で亡くなり異世界に転生した老人は7歳の子供に生まれ変わり、召喚魔法でドラゴンや前世の世界の物を召喚して世界を変える
ハーフのクロエ
ファンタジー
夫が病気で長期入院したので夫が途中まで書いていた小説を私なりに書き直して完結まで投稿しますので応援よろしくお願いいたします。
主人公は建築会社を55歳で取り締まり役常務をしていたが惜しげもなく早期退職し田舎で大好きな農業をしていた。99歳で亡くなった老人は前世の記憶を持ったまま7歳の少年マリュウスとして異世界の僻地の男爵家に生まれ変わる。10歳の鑑定の儀で、火、水、風、土、木の5大魔法ではなく、この世界で初めての召喚魔法を授かる。最初に召喚出来たのは弱いスライム、モグラ魔獣でマリウスはガッカリしたが優しい家族に見守られ次第に色んな魔獣や地球の、物などを召喚出来るようになり、僻地の男爵家を発展させ気が付けば大陸一豊かで最強の小さい王国を起こしていた。
異世界転移物語
月夜
ファンタジー
このところ、日本各地で謎の地震が頻発していた。そんなある日、都内の大学に通う僕(田所健太)は、地震が起こったときのために、部屋で非常持出袋を整理していた。すると、突然、めまいに襲われ、次に気づいたときは、深い森の中に迷い込んでいたのだ……
Emerald
藍沢咲良
恋愛
教師という仕事に嫌気が差した結城美咲(ゆうき みさき)は、叔母の住む自然豊かな郊外で時々アルバイトをして生活していた。
叔母の勧めで再び教員業に戻ってみようと人材バンクに登録すると、すぐに話が来る。
自分にとっては完全に新しい場所。
しかし仕事は一度投げ出した教員業。嫌だと言っても他に出来る仕事は無い。
仕方無しに仕事復帰をする美咲。仕事帰りにカフェに寄るとそこには…。
〜main cast〜
結城美咲(Yuki Misaki)
黒瀬 悠(Kurose Haruka)
※作中の地名、団体名は架空のものです。
※この作品はエブリスタ、小説家になろうでも連載されています。
※素敵な表紙をポリン先生に描いて頂きました。
ポリン先生の作品はこちら↓
https://manga.line.me/indies/product/detail?id=8911
https://www.comico.jp/challenge/comic/33031
異世界からの召喚者《完結》
アーエル
恋愛
中央神殿の敷地にある聖なる森に一筋の光が差し込んだ。
それは【異世界の扉】と呼ばれるもので、この世界の神に選ばれた使者が降臨されるという。
今回、招かれたのは若い女性だった。
☆他社でも公開
記憶なし、魔力ゼロのおっさんファンタジー
コーヒー微糖派
ファンタジー
勇者と魔王の戦いの舞台となっていた、"ルクガイア王国"
その戦いは多くの犠牲を払った激戦の末に勇者達、人類の勝利となった。
そんなところに現れた一人の中年男性。
記憶もなく、魔力もゼロ。
自分の名前も分からないおっさんとその仲間たちが織り成すファンタジー……っぽい物語。
記憶喪失だが、腕っぷしだけは強い中年主人公。同じく魔力ゼロとなってしまった元魔法使い。時々訪れる恋模様。やたらと癖の強い盗賊団を始めとする人々と紡がれる絆。
その先に待っているのは"失われた過去"か、"新たなる未来"か。
◆◆◆
元々は私が昔に自作ゲームのシナリオとして考えていたものを文章に起こしたものです。
小説完全初心者ですが、よろしくお願いします。
※なお、この物語に出てくる格闘用語についてはあくまでフィクションです。
表紙画像は草食動物様に作成していただきました。この場を借りて感謝いたします。
ボンクラ王子の側近を任されました
里見知美
ファンタジー
「任されてくれるな?」
王宮にある宰相の執務室で、俺は頭を下げたまま脂汗を流していた。
人の良い弟である現国王を煽てあげ国の頂点へと導き出し、王国騎士団も魔術師団も視線一つで操ると噂の恐ろしい影の実力者。
そんな人に呼び出され開口一番、シンファエル殿下の側近になれと言われた。
義妹が婚約破棄を叩きつけた相手である。
王子16歳、俺26歳。側近てのは、年の近い家格のしっかりしたヤツがなるんじゃねえの?
竜神に愛された令嬢は華麗に微笑む。〜嫌われ令嬢? いいえ、嫌われているのはお父さまのほうでしてよ。〜
石河 翠
恋愛
侯爵令嬢のジェニファーは、ある日父親から侯爵家当主代理として罪を償えと脅される。
それというのも、竜神からの預かりものである宝石に手をつけてしまったからだというのだ。
ジェニファーは、彼女の出産の際に母親が命を落としたことで、実の父親からひどく憎まれていた。
執事のロデリックを含め、家人勢揃いで出かけることに。
やがて彼女は別れの言葉を告げるとためらいなく竜穴に身を投げるが、実は彼女にはある秘密があって……。
虐げられたか弱い令嬢と思いきや、メンタル最強のヒロインと、彼女のためなら人間の真似事もやぶさかではないヒロインに激甘なヒーローの恋物語。
ハッピーエンドです。
この作品は、他サイトにも投稿しております。
表紙絵は写真ACよりチョコラテさまの作品(写真ID:4950419)をお借りしています。
攻撃魔法を使えないヒーラーの俺が、回復魔法で最強でした。 -俺は何度でも救うとそう決めた-【[完]】
水無月いい人(minazuki)
ファンタジー
【HOTランキング一位獲得作品】
【一次選考通過作品】
---
とある剣と魔法の世界で、
ある男女の間に赤ん坊が生まれた。
名をアスフィ・シーネット。
才能が無ければ魔法が使えない、そんな世界で彼は運良く魔法の才能を持って産まれた。
だが、使用できるのは攻撃魔法ではなく回復魔法のみだった。
攻撃魔法を一切使えない彼は、冒険者達からも距離を置かれていた。
彼は誓う、俺は回復魔法で最強になると。
---------
もし気に入っていただけたら、ブクマや評価、感想をいただけると大変励みになります!
#ヒラ俺
この度ついに完結しました。
1年以上書き続けた作品です。
途中迷走してました……。
今までありがとうございました!
---
追記:2025/09/20
再編、あるいは続編を書くか迷ってます。
もし気になる方は、
コメント頂けるとするかもしれないです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる