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過去編・夜へ続く道
14 計画
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ヘルストランド城の西門近くに建つシーグムンド・エイデシュテット宰相の私邸には、定期的に奇妙な客が訪れている。主人みずからわざわざ出迎えるその客はみな、身なりからして地位のある人物というふうではない。彼らは戸口に現れ“堀に黄金の魚が跳ねていますね”と符丁を伝えると、エイデシュテット自ら対応に当たるのだった。
彼らは貴賓室ではなく窓のない地下の一室に通される。豪華な食事や酒による歓待もなく、滞在一時間程度で早々に立ち去るのが通例だった。
リースベットとノアが捜索隊とともに帰還した翌日の夜半すぎ、巨大な樽がいくつも並ぶ地階の石壁に備えられた、水牛の角でできた燭台に火が灯された。
その地下貯蔵庫の最奥部にある小部屋では、テーブルを挟んで二人の男が向き合っていた。一方の、襟のないシャツに質素な防寒用クロークを羽織ったままの男は名をエンロートというが、もう一方のエイデシュテット宰相さえ詳しい為人は知らない。幾人かいるノルドグレーン国家情報局との連絡役で、他の者よりも訪れる頻度が高い。
今日は応対する側の機嫌が良いのか、テーブルに置かれた二つの銀打ち出しジョッキには、白く泡立つ琥珀色のビールが注がれている。
「今回もそなたであったか。これでは符丁の意味がないな」
「局長は、この件に関与する人間を極力減らす意向のようです」
「そうか。まあ最もなことだ。……此度の工作は、まず重畳と言ったところだろう。ハッセルブラード閣下はなんと?」
「ノルデンフェルト家の反発に注意せよ、とのことです」
「リースベット王女が任に堪えぬとなれば、次はノルデンフェルト家の令嬢という順番だったな」
「いかに不服であろうと、フリーダ第一王女に守護斎姫の任を押し付けることは、ノルデンフェルト侯爵にはできないでしょう。必要であれば、国家情報局を通じて守護斎姫の安全を保証してもよい、という条件も提示されています」
「なるほど……事態にかこつけて恩を売っておけば、のちのち使える駒ともなろうな」
エイデシュテットはそう言ってビールを一口飲み、客人にも勧めた。
「わざわざノルドグレーンのエングブロム醸造所から運ばせたものだ。言わずとも分かるエンロート殿と言えど、口にせねば味わえぬぞ」
エンロートは読唇術の心得があり、騒音の中にあっても目だけで会話を読み取ることができる。その能力と忠誠心をノルドグレーン国家情報局に買われ、重要な情報伝達任務ほど彼に任されるようになった。
「それから……さらなる弱体化を図るため、吟遊詩人を用いた世論操作を実行せよとの指示も出ております」
「ほう、例の計画を使うか。確かに良い頃合いでもある。あの愚昧な王子では、われらの真意にも気付くまいしな」
「内側からリードホルムの国力を削ぐ……私などには考えもつかぬことです」
「現状でも彼我の差は明らかだが、やはり不気味なのは近衛兵よ。あれの存在のせいで、うかつに仕掛けられぬ」
「……伝言は以上です」
エンロートは関わり合いを避けるように話題を結ぶと、ようやくビールに口をつける。我慢していたのか、銀ジョッキを一息に飲み干してしまった。エイデシュテットもそれに倣う。
「今年はとくに甘みが深いな。やはりノルドグレーンの酒は素晴らしい」
「リードホルムのスナップスはただ酔うばかりで、味わいがなくていけません」
エンロートは仏頂面で言った。エイデシュテットの含み笑いが、地下の石壁に小さく反響する。
「此度は大事ゆえ、書簡は使わぬ。遺漏なくハッセルブラード閣下に伝えよ」
「ノルドグレーンに栄えあれ」
二人は符丁のように同じ台詞を交わし、小部屋を出て上階への階段を登った。召使いや護衛にいざなわれることもなく、エンロートは人目を避けてエイデシュテット邸の裏門から退出する。そして厩舎につないでいた栗毛の若駒ジェンティアナにまたがり、宵闇に消えていった。
彼らは貴賓室ではなく窓のない地下の一室に通される。豪華な食事や酒による歓待もなく、滞在一時間程度で早々に立ち去るのが通例だった。
リースベットとノアが捜索隊とともに帰還した翌日の夜半すぎ、巨大な樽がいくつも並ぶ地階の石壁に備えられた、水牛の角でできた燭台に火が灯された。
その地下貯蔵庫の最奥部にある小部屋では、テーブルを挟んで二人の男が向き合っていた。一方の、襟のないシャツに質素な防寒用クロークを羽織ったままの男は名をエンロートというが、もう一方のエイデシュテット宰相さえ詳しい為人は知らない。幾人かいるノルドグレーン国家情報局との連絡役で、他の者よりも訪れる頻度が高い。
今日は応対する側の機嫌が良いのか、テーブルに置かれた二つの銀打ち出しジョッキには、白く泡立つ琥珀色のビールが注がれている。
「今回もそなたであったか。これでは符丁の意味がないな」
「局長は、この件に関与する人間を極力減らす意向のようです」
「そうか。まあ最もなことだ。……此度の工作は、まず重畳と言ったところだろう。ハッセルブラード閣下はなんと?」
「ノルデンフェルト家の反発に注意せよ、とのことです」
「リースベット王女が任に堪えぬとなれば、次はノルデンフェルト家の令嬢という順番だったな」
「いかに不服であろうと、フリーダ第一王女に守護斎姫の任を押し付けることは、ノルデンフェルト侯爵にはできないでしょう。必要であれば、国家情報局を通じて守護斎姫の安全を保証してもよい、という条件も提示されています」
「なるほど……事態にかこつけて恩を売っておけば、のちのち使える駒ともなろうな」
エイデシュテットはそう言ってビールを一口飲み、客人にも勧めた。
「わざわざノルドグレーンのエングブロム醸造所から運ばせたものだ。言わずとも分かるエンロート殿と言えど、口にせねば味わえぬぞ」
エンロートは読唇術の心得があり、騒音の中にあっても目だけで会話を読み取ることができる。その能力と忠誠心をノルドグレーン国家情報局に買われ、重要な情報伝達任務ほど彼に任されるようになった。
「それから……さらなる弱体化を図るため、吟遊詩人を用いた世論操作を実行せよとの指示も出ております」
「ほう、例の計画を使うか。確かに良い頃合いでもある。あの愚昧な王子では、われらの真意にも気付くまいしな」
「内側からリードホルムの国力を削ぐ……私などには考えもつかぬことです」
「現状でも彼我の差は明らかだが、やはり不気味なのは近衛兵よ。あれの存在のせいで、うかつに仕掛けられぬ」
「……伝言は以上です」
エンロートは関わり合いを避けるように話題を結ぶと、ようやくビールに口をつける。我慢していたのか、銀ジョッキを一息に飲み干してしまった。エイデシュテットもそれに倣う。
「今年はとくに甘みが深いな。やはりノルドグレーンの酒は素晴らしい」
「リードホルムのスナップスはただ酔うばかりで、味わいがなくていけません」
エンロートは仏頂面で言った。エイデシュテットの含み笑いが、地下の石壁に小さく反響する。
「此度は大事ゆえ、書簡は使わぬ。遺漏なくハッセルブラード閣下に伝えよ」
「ノルドグレーンに栄えあれ」
二人は符丁のように同じ台詞を交わし、小部屋を出て上階への階段を登った。召使いや護衛にいざなわれることもなく、エンロートは人目を避けてエイデシュテット邸の裏門から退出する。そして厩舎につないでいた栗毛の若駒ジェンティアナにまたがり、宵闇に消えていった。
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