山賊王女と楽園の涯(はて)

紺乃 安

文字の大きさ
80 / 247
落日の序曲

9 真実と正義

しおりを挟む
 ノアの王都帰還から十日後、ヘルストランド城の一角にある碧潭へきたんの間において、アウグスティン暗殺事件の裁判が行われていた。うっすらと青みがかった石壁に囲まれたその部屋は、リードホルムにとって特に重大な裁判にのみ使用される。
 碧潭の間にはヴィルヘルム三世とノア、それに軍務省、典礼省、内務省、財務省、図書省、民部省の六長官が一堂に会していた。
 個々人の思惑はどうあれ、皇太子アウグスティンの殺害という大事件の終幕だけに、高官はもれなく出席している。
 彼らは、部屋の中央にある被告人席を見下ろすように配置された、一段高い位置にある座席に着いていた。ヴィルヘルム三世の座る玉座を頂点とするV字型に並んだ席には各長官が、その末席にはノアが着席している。
 ヴィルヘルム三世は眠ったような目で、興味なさげに拳で頬杖ほおづえをついていた。
 この場にいる誰にとっても意外なことに、エイデシュテット宰相の姿がない。
 フォッシェル典礼省長官には刻限に遅れる旨の連絡は入っていたが、これまで会議や式典に遅れたことなどなかった人物だけに、誰もが違和感を覚えていた。

 両脇を二人の衛兵に抱えられ、ぼろぼろの囚人服を着た男が入室した。それを受けてフォッシェルが響きの良い低音の声で宣言する。
「ではこれより、アウグスティン大公殺害事件の裁判を執り行う。被告人、前へ」
 囚人服の男が衛兵に押されるように、被告人席に立たされた。
「被告人の名はアードルフ・ネレム、出身はヴィトフォーシュ、事件の起きた当日はヘルストランド監獄に収監中。これに相違ないな?」
 フォッシェルの問いかけに、ネレムと呼ばれた男は無言でうなずく。
「被告人アードルフ・ネレムは、アウグスティン・リードホルム大公殺害の大逆たいぎゃく罪、および監獄から脱走したことによる逃走罪に問われている。これに異論はないな?」
 次の質問に対しては、ネレムは無言のまま押し黙っている。
「……異論はないな?」
 フォッシェルは怪訝けげんな顔で質問を繰り返した。
 通例では、この碧潭の間で行われる裁判は形式的なものに過ぎない。内務省の調査報告を典礼省長官が読み上げ、最後に国王が求刑を裁可して終わる。
 典礼省の朗読会と呼ばれるほど、実質は裁判の体を成していない儀礼なのだ。
 当然、被告人が起訴内容に異を唱えることなど許されていない。だがネレムは、その前例に静かに抗っている。
「……フォッシェル長官、なにか異論があるようならば、罪状認否の質問に移ってはどうか」
 ここに至るまで流れを静観していたノアが、初めて口を開いた。
 彼自身、裁判は初めての経験で、いままで縁の薄かった刑法に急いで目を通して臨んだのだった。
 列席する高官の大半が、意外そうな顔でノアに振り向いた。これも通例にそぐわない発言である。
 ノアは、法に定められてはいるが形骸けいがい化している罪状認否を提案した。
 これはノアが前例を知らないことよりも、おそらく無実と思われる被告人をこのまま大逆犯に仕立て上げてよいのか、という葛藤から発せられた提案だった。
 ネレムが真犯人であると確信を持って断言できる人間は碧潭の間に存在しないが、だが彼を助けることで利益を得る人間もまた存在しない。ノア自身も、ミュルダール軍務省長官も、犯人を捏造ねつぞうしてエイデシュテットの暴発を牽制けんせいしたステーンハンマル内務省長官も、それは同様である。
 予想外の事態にフォッシェルがまごついていると、ネレムの背後にある扉が開いた。
「申し訳ございませぬ。シーグムンド・エイデシュテット、ただいま御前ごぜんに参上いたしました」
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

愛しているなら拘束してほしい

守 秀斗
恋愛
会社員の美夜本理奈子(24才)。ある日、仕事が終わって会社の玄関まで行くと大雨が降っている。びしょ濡れになるのが嫌なので、地下の狭い通路を使って、隣の駅ビルまで行くことにした。すると、途中の部屋でいかがわしい行為をしている二人の男女を見てしまうのだが……。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

竜華族の愛に囚われて

澤谷弥(さわたに わたる)
キャラ文芸
近代化が進む中、竜華族が竜結界を築き魑魅魍魎から守る世界。 五芒星の中心に朝廷を据え、木竜、火竜、土竜、金竜、水竜という五柱が結界を維持し続けている。 これらの竜を世話する役割を担う一族が竜華族である。 赤沼泉美は、異能を持たない竜華族であるため、赤沼伯爵家で虐げられ、女中以下の生活を送っていた。 新月の夜、異能の暴走で苦しむ姉、百合を助けるため、母、雅代の命令で月光草を求めて竜尾山に入ったが、魔魅に襲われ絶体絶命。しかし、火宮公爵子息の臣哉に救われた。 そんな泉美が気になる臣哉は、彼女の出自について調べ始めるのだが――。 ※某サイトの短編コン用に書いたやつ。

退屈令嬢のフィクサーな日々

ユウキ
恋愛
完璧と評される公爵令嬢のエレノアは、順風満帆な学園生活を送っていたのだが、自身の婚約者がどこぞの女生徒に夢中で有るなどと、宜しくない噂話を耳にする。 直接関わりがなければと放置していたのだが、ある日件の女生徒と遭遇することになる。

悪役令息、前世の記憶により悪評が嵩んで死ぬことを悟り教会に出家しに行った結果、最強の聖騎士になり伝説になる

竜頭蛇
ファンタジー
ある日、前世の記憶を思い出したシド・カマッセイはこの世界がギャルゲー「ヒロイックキングダム」の世界であり、自分がギャルゲの悪役令息であると理解する。 評判が悪すぎて破滅する運命にあるが父親が毒親でシドの悪評を広げたり、関係を作ったものには危害を加えるので現状では何をやっても悪評に繋がるを悟り、家との関係を断って出家をすることを決意する。 身を寄せた教会で働くうちに評判が上がりすぎて、聖女や信者から崇められたり、女神から一目置かれ、やがて最強の聖騎士となり、伝説となる物語。

悪意のパーティー《完結》

アーエル
ファンタジー
私が目を覚ましたのは王城で行われたパーティーで毒を盛られてから1年になろうかという時期でした。 ある意味でダークな内容です ‪☆他社でも公開

処理中です...