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落日の序曲
19 最後の晩餐 2
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エステルはノルドグレーンへ向かう貢物の輸送隊に同行していた人物で、リースベットたちの襲撃で護衛の兵士たちが逃げた後に取り残されていた。その際エステルは逃げようとするどころか、自分を料理人としてリースベットに売り込んできたのだ。
異国のハーブとともにノルドグレーンに到着したあかつきには、彼女にとってあまり望ましくない未来が待ち受けていたのかも知れない。
その場合の行く末を、エステルは決して語ろうとしなかった。
「それで手に入れたスパイスのおかげでりんご酒の売上も伸びたんだから、エステル様々だ」
「シードル? そんなものを作っているのか?」
「そうだ。そっちこっち旅してたなら聞いたことねえか? ラベルのない高級シードルの話をよ」
「……パルムグレンで聞いた。もともと安い割に香りが良いので噂になったが、いつの間にか高級酒を上回る値札が付くようになったという……」
「それそれ。うちの収入源の一つだ」
「あいつの腕と舌なら宮廷料理人だって大貴族の厨房だって思いのままだろうに、どうしてこんなとこにいるんだか……」
リースベットはそうつぶやきながら、干しキノコとタマネギの炒めものが挟まったサンドイッチを頬張った。
この具材もただの炒めものでなく、バターの濃厚さにオレガノやタイムなど様々なハーブの風味とキノコの旨味が合わさった、滋味豊かなものだった。
大量の料理を平らげ飲み物を手に持ったリースベットが、まだ食事を続けているフェルディンの向かい側に座った。
「この期に及んで、明日用事があるとかは言わねえよな?」
「ん? ああ」
「そんなら、なるべく早いうちに済ましちまおう。アホマント、てめえもリーパーなら、並よりは早く走れるよな?」
「こう見えてその実、おそらく鹿より疾い自信がある。あのロブネルさえもこの僕には……」
フェルディンの長広舌を無視してリースベットはジョッキのシードルを飲んでいる。
「よし、じゃあ明日出発して、明後日の夜に研究所とやらに忍び込む。行くのはあたしとお前、二人だけだ」
「たった二人でか……」
「こういう仕事は頭数が多くても意味がねえ。蔵書をまるごと盗み出してえんなら話は別だがな」
「いや、それは無用だ。知りさえすればいい。こう見えて僕は記憶力も良いのだ」
「……そんなことは聞いてねえ。研究所は郊外だって言ったな?」
「ああ、ヘルストランドの東の端だ。場所を下見してみたが、昼間でも人通りはほとんどない辺鄙な場所だった」
「いい情報だ」
リースベットはフェルディンの隣でスープ皿を舐めているカールソンに目をやった。坑道の天井が低く見える巨体に似合わず、一人分しか食べていないようだ。
「おいデカブツ、もっと食いてえなら200追加だ」
「いいのか!」
「カールソン、僕が払っておく」
「いいのか!」
カールソンはバネ仕掛けのように立ち上がり、嬉しそうに湯気の立つ大鍋に向かった。
「なるべく早いうちに入って、できるだけ書物を見る時間を確保したいのだが……」
「いいだろう、そいつはできる限り叶えてやる。仕事だからな」
「感謝する」
「もう十月も末だ、日の入りも早い。まあ問題はねえだろう」
北の山岳部ではもう初雪が降った地域もある。真夏には沈んだ太陽が三時間でふたたび登る日さえあるリードホルムでも、すでに夜の時間のほうが長くなっていた。
「よっぽどひどい雨でもねえかぎり、明日午前中には出発する。リースベット様の手際を見せてやるよ」
フェルディンは大量の食事をむさぼるカールソンをちらりと見て、神妙な面持ちでリースベットに向き直った。
「……君は、興味は無いのか?」
「リーパーの研究ってやつにか?」
「ああ。僕たちの力……そればかりか、この世界そのものの淵源に迫る知識かも知れないというのに」
リースベットは椅子の背もたれに腕を掛け、天井を見上げた。
「まるっきりどうでもいい、とは言わねえが、他にもっと大事なモンがある」
「そうか……」
「まあでも、パンドラの箱は開けられるべきかもな」
異国のハーブとともにノルドグレーンに到着したあかつきには、彼女にとってあまり望ましくない未来が待ち受けていたのかも知れない。
その場合の行く末を、エステルは決して語ろうとしなかった。
「それで手に入れたスパイスのおかげでりんご酒の売上も伸びたんだから、エステル様々だ」
「シードル? そんなものを作っているのか?」
「そうだ。そっちこっち旅してたなら聞いたことねえか? ラベルのない高級シードルの話をよ」
「……パルムグレンで聞いた。もともと安い割に香りが良いので噂になったが、いつの間にか高級酒を上回る値札が付くようになったという……」
「それそれ。うちの収入源の一つだ」
「あいつの腕と舌なら宮廷料理人だって大貴族の厨房だって思いのままだろうに、どうしてこんなとこにいるんだか……」
リースベットはそうつぶやきながら、干しキノコとタマネギの炒めものが挟まったサンドイッチを頬張った。
この具材もただの炒めものでなく、バターの濃厚さにオレガノやタイムなど様々なハーブの風味とキノコの旨味が合わさった、滋味豊かなものだった。
大量の料理を平らげ飲み物を手に持ったリースベットが、まだ食事を続けているフェルディンの向かい側に座った。
「この期に及んで、明日用事があるとかは言わねえよな?」
「ん? ああ」
「そんなら、なるべく早いうちに済ましちまおう。アホマント、てめえもリーパーなら、並よりは早く走れるよな?」
「こう見えてその実、おそらく鹿より疾い自信がある。あのロブネルさえもこの僕には……」
フェルディンの長広舌を無視してリースベットはジョッキのシードルを飲んでいる。
「よし、じゃあ明日出発して、明後日の夜に研究所とやらに忍び込む。行くのはあたしとお前、二人だけだ」
「たった二人でか……」
「こういう仕事は頭数が多くても意味がねえ。蔵書をまるごと盗み出してえんなら話は別だがな」
「いや、それは無用だ。知りさえすればいい。こう見えて僕は記憶力も良いのだ」
「……そんなことは聞いてねえ。研究所は郊外だって言ったな?」
「ああ、ヘルストランドの東の端だ。場所を下見してみたが、昼間でも人通りはほとんどない辺鄙な場所だった」
「いい情報だ」
リースベットはフェルディンの隣でスープ皿を舐めているカールソンに目をやった。坑道の天井が低く見える巨体に似合わず、一人分しか食べていないようだ。
「おいデカブツ、もっと食いてえなら200追加だ」
「いいのか!」
「カールソン、僕が払っておく」
「いいのか!」
カールソンはバネ仕掛けのように立ち上がり、嬉しそうに湯気の立つ大鍋に向かった。
「なるべく早いうちに入って、できるだけ書物を見る時間を確保したいのだが……」
「いいだろう、そいつはできる限り叶えてやる。仕事だからな」
「感謝する」
「もう十月も末だ、日の入りも早い。まあ問題はねえだろう」
北の山岳部ではもう初雪が降った地域もある。真夏には沈んだ太陽が三時間でふたたび登る日さえあるリードホルムでも、すでに夜の時間のほうが長くなっていた。
「よっぽどひどい雨でもねえかぎり、明日午前中には出発する。リースベット様の手際を見せてやるよ」
フェルディンは大量の食事をむさぼるカールソンをちらりと見て、神妙な面持ちでリースベットに向き直った。
「……君は、興味は無いのか?」
「リーパーの研究ってやつにか?」
「ああ。僕たちの力……そればかりか、この世界そのものの淵源に迫る知識かも知れないというのに」
リースベットは椅子の背もたれに腕を掛け、天井を見上げた。
「まるっきりどうでもいい、とは言わねえが、他にもっと大事なモンがある」
「そうか……」
「まあでも、パンドラの箱は開けられるべきかもな」
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