上 下
146 / 247
ジュニエスの戦い

19 それぞれの夜 3

しおりを挟む
「そこで、じゃ……ノアよ、究竟一くっきょういちの近衛兵、王族であるそなたに、戦場での指揮権を貸し与える」
「私に?!」
 ノアは驚きつつも、自分がなぜこの場に呼ばれたのかを理解した。
 玉座の右に控えていた従者が背後のケースから短い杖を取り出し、前に進み出てヴィルヘルムに差し出した。その杖は王笏おうしゃくだ。王権の象徴であり、王位を継ぐ者の証となる品である。リードホルム王の戴冠たいかん式以外では人目につくことはなく、ノア自身も目にするのは初めてだった。
 全体が黄金に輝き、瓜に複雑な彫刻を施したような形状の先端には、色とりどりの宝石が散りばめられている。ヴィルヘルムはその王笏を手にとった。
「ノアよ、非常の措置としてこの王笏を貸し与える。近衛兵とともに戦陣に立ち、見事ノルドグレーンなる醜夷しゅういを神霊の地より排せよ」
「……か、必ずや」
 ノアはひざまずき、両手で捧げ持つように王笏を受け取った。

 ミュルダールとノアは、揃って時の黎明館ツー・グリーニンを退出した。
 ノアの手には王笏はない。後日あらためて、使いの者が届けるという。
「これは何とも……奇妙なことになりましたな」
「なぜ私が呼ばれたのかと不思議に思っていたが……まさかこんなことになるとは」
 ヘルストランド城へ戻る道すがら、ミュルダールとノアは困惑を整理するように会話を続けていた。
「近衛兵には言い含めておくという話でしたが……ノア様に指揮権を与えるということは、取りも直さず、ノア様が前線に出られるということにもなります」
「この際それは構わないが……」
「そうは参りません。近衛兵の戦術と言えば、戦場を縦横無尽じゅうおうむじんに往来し、敵陣に風穴を開けて回るのが定石じょうせき
「その穴に他の兵がなだれ込み、陣形を崩してしまうわけか」
「左様です。それはつまり、近衛兵はほとんどの時間を敵陣の中で過ごすということ」
「そうか、そんな部隊に私が混じっては、足手まといということだな」
「そ、そのようなことは……」
 ミュルダールは言葉を濁したが、それは紛れもない事実だった。ノアを中心に置いて守りながら動くようでは、近衛兵の行動力は半減する。
 総数で劣るリードホルム軍に勝ち目があるとすれば、近衛兵の活躍いかんにかかっているのだ。その戦力を削ぐ要素は極力排しておかねばならない。
「それならばいっそ、私は戦闘の最初と最後にだけ、ラインフェルト将軍などから策をもらって彼らに指示を与える程度でいいだろう」
「……恐れ入ります」
「構わないさ。しょせん王族の存在など、あの王笏のようなお飾りだ。あんなものでは戦えない。実際に戦うのは、剣を手に持った兵士たちなのだから」
 時の黎明館を振り返りながら、ノアは真摯な顔で言った。
「もちろん護衛と、戦場でノア様を補佐する者はお着けします。ですがくれぐれも、御身を大事になされますよう」
「わかっている。私も死ぬつもりはない」
 ミュルダールは無言で頭を下げ、ノアの後をついてヘルストランド城へと戻った。
しおりを挟む

処理中です...