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楽園の涯
14 王太子の帰還 3
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和平記念式典は、時の黎明館の西側に建つ別館で行われたが、そこでひとつの事件が起きた。
会場となった迎賓室には、条文を正式に允可するため、ヴィルヘルム三世も出席している。もっとも彼は日がな酒精にまどろんだままで、ノアにとってはノルドグレーンに身内の恥を晒すという側面もあったのだが、ノアには特にそれを気にした様子はなかった。
式典はジュニエスの戦いの規模に比べればささやかななもので、式次に従って粛々と進行していった。ノアが国王に代わって祝辞を代読し、二枚の合意文書をベアトリスが差し出す。その羊皮紙に、ヴィルヘルムが震える手で国璽を押した。
この国璽の押印という形式が、両国にとっては必要だったのだ。
フォッシェル典礼省長官が国璽を受け取って下がり、参列者たちはしかつめらしい儀式からの開放を意識し始める。その様子を静かに見つめていたノアが、おもむろに口を開いた。
「……さて、無事調印も済んだところで、皆に会っていただきたい人物がいる」
不意に切り出されたノアの言葉に、ベアトリスに随行してきていたノルドグレーンの役人の一部が色めき立った。
聞きようによっては、その言葉には不穏な響きがある。無論ノアにはそんな意図も、迎賓室に招き入れるべき暴漢の準備もない。だが合図とともに入り口の扉が開き、二人の兵士を左右に従えた一人の老人が、ゆっくりと迎賓室に入ってきた。
老人は左右の目尻に傷跡があり、その目は塞がったまま開かれない。ベアトリスはその老人の顔を見て、どことなくヴィルヘルムと似ているように感じた。
「あ……あなた様は……」
入り口近くの席に座っていたサンテソン図書省長官が、驚きわなないて声を上げた。彼は迎賓室にいる者たちの中では、ヴィルヘルムを除くと最もリードホルムの宮廷に出入りしていた期間の長い、古参の役人だ。
老人はノアの側で歩みを止めた。
「お元気でしたかな、兄上」
老人が顔を上げ、ヴィルヘルムに呼びかける。その声を聞いたヴィルヘルムは、一瞬の間を置いてからびくんと勢いよく顔を上げ、皺に埋もれた眠っているような目をこれ以上ないほど見開いた。
「あ……あ……」
「最近、兄上は酒が過ぎると甥から聞きましてな。心配でこうして……」
「エーギル……!」
「墓から出て参った」
ヴィルヘルムが口にした名に、リードホルム側の列席者たちがざわめく。
その名は二十年前、鹿狩りに出た際に流れ矢に当たって事故死したと思われていた、ヴィルヘルムの弟の名だ。そして王弟エーギルとは、長老という異称でリースベットたちと二年の時を過ごした老人その人だった。
二十年前、ヴィルヘルムとエーギルの兄弟は、次期王座をめぐる権力闘争のただ中にあった。
年齢から言えばヴィルヘルムに王位の優先権があるものの、宮廷内では、英明で品格に優れるエーギルを推す声のほうが優勢だった。
形勢不利と見たヴィルヘルムは、功名心を持て余し弓術に優れた青年を、暗殺者として差し向ける。暗殺者の放った矢はエーギルの頭部を貫いたかに見えたが、奇跡的に左目を失っただけで死は免れた。
だが手段を選ばぬヴィルヘルムを恐れたエーギル支持の一派は、エーギルの身を案じ、彼は死亡したと偽の情報を流す。そして武力を掌握するまでの間、彼を一時的に地下監獄の特別室に匿ったのだが、そこでヴィルヘルム派に先を越されてしまった。
エーギル派の大半が粛清や追放の憂き目に遭い、エーギル自身はそのまま、ヘルストランドの地下監獄に幽閉されて過ごすことになったのだ。
会場となった迎賓室には、条文を正式に允可するため、ヴィルヘルム三世も出席している。もっとも彼は日がな酒精にまどろんだままで、ノアにとってはノルドグレーンに身内の恥を晒すという側面もあったのだが、ノアには特にそれを気にした様子はなかった。
式典はジュニエスの戦いの規模に比べればささやかななもので、式次に従って粛々と進行していった。ノアが国王に代わって祝辞を代読し、二枚の合意文書をベアトリスが差し出す。その羊皮紙に、ヴィルヘルムが震える手で国璽を押した。
この国璽の押印という形式が、両国にとっては必要だったのだ。
フォッシェル典礼省長官が国璽を受け取って下がり、参列者たちはしかつめらしい儀式からの開放を意識し始める。その様子を静かに見つめていたノアが、おもむろに口を開いた。
「……さて、無事調印も済んだところで、皆に会っていただきたい人物がいる」
不意に切り出されたノアの言葉に、ベアトリスに随行してきていたノルドグレーンの役人の一部が色めき立った。
聞きようによっては、その言葉には不穏な響きがある。無論ノアにはそんな意図も、迎賓室に招き入れるべき暴漢の準備もない。だが合図とともに入り口の扉が開き、二人の兵士を左右に従えた一人の老人が、ゆっくりと迎賓室に入ってきた。
老人は左右の目尻に傷跡があり、その目は塞がったまま開かれない。ベアトリスはその老人の顔を見て、どことなくヴィルヘルムと似ているように感じた。
「あ……あなた様は……」
入り口近くの席に座っていたサンテソン図書省長官が、驚きわなないて声を上げた。彼は迎賓室にいる者たちの中では、ヴィルヘルムを除くと最もリードホルムの宮廷に出入りしていた期間の長い、古参の役人だ。
老人はノアの側で歩みを止めた。
「お元気でしたかな、兄上」
老人が顔を上げ、ヴィルヘルムに呼びかける。その声を聞いたヴィルヘルムは、一瞬の間を置いてからびくんと勢いよく顔を上げ、皺に埋もれた眠っているような目をこれ以上ないほど見開いた。
「あ……あ……」
「最近、兄上は酒が過ぎると甥から聞きましてな。心配でこうして……」
「エーギル……!」
「墓から出て参った」
ヴィルヘルムが口にした名に、リードホルム側の列席者たちがざわめく。
その名は二十年前、鹿狩りに出た際に流れ矢に当たって事故死したと思われていた、ヴィルヘルムの弟の名だ。そして王弟エーギルとは、長老という異称でリースベットたちと二年の時を過ごした老人その人だった。
二十年前、ヴィルヘルムとエーギルの兄弟は、次期王座をめぐる権力闘争のただ中にあった。
年齢から言えばヴィルヘルムに王位の優先権があるものの、宮廷内では、英明で品格に優れるエーギルを推す声のほうが優勢だった。
形勢不利と見たヴィルヘルムは、功名心を持て余し弓術に優れた青年を、暗殺者として差し向ける。暗殺者の放った矢はエーギルの頭部を貫いたかに見えたが、奇跡的に左目を失っただけで死は免れた。
だが手段を選ばぬヴィルヘルムを恐れたエーギル支持の一派は、エーギルの身を案じ、彼は死亡したと偽の情報を流す。そして武力を掌握するまでの間、彼を一時的に地下監獄の特別室に匿ったのだが、そこでヴィルヘルム派に先を越されてしまった。
エーギル派の大半が粛清や追放の憂き目に遭い、エーギル自身はそのまま、ヘルストランドの地下監獄に幽閉されて過ごすことになったのだ。
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