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第3章
第56話『老体に鞭打ち!?』
しおりを挟むアオイがレッスンスタジオのドアを押し開けると、広い鏡張りの部屋に漂う微かな緊張感が彼の肌を刺した。室内には、イベントに参加するメンバーたちが集まっている。
みんな普段とは違い、動きやすいTシャツやスウェット姿で立っている。アオイは深呼吸をして、靴音を響かせながら一歩踏み入れた。周りはストレッチをしたり、軽く声出しをしている者もいる。そしてミツオの軽快な声が響いた。
「じゃあ、レッスン始めるわよん!」
「ミツオさん、今日はみんなのダンスレッスンよろしくお願いします!」
アオイは勢いよく頭を下げ、床に映る自分の影が一瞬揺れるのを見た。するとミツオが静かな、しかしどこか含みのある声で応じた。
「もちろん表見きゅんも踊るわよね」
「えっ、俺もですか!?」
アオイは鳩が豆鉄砲でも喰らったかのように驚きながら、慌てて顔を上げた。今回はダンスの指導を受ける側ではなく、見守る側だと思っていたのだ。ミツオがそっと近づき、彼の耳元で囁く。
「今後の紅音ウララの活動にも活かせるかもしれないわよ」
「確かに……」
アオイは納得しつつも、冷や汗が背中を伝う。ミツオの言葉にうなずきながら、彼の視線は一瞬泳ぎ、平静を装うのに必死だった。確かに、ダンスの経験を積むのは今後に役に立つかもしれない。そう頭では理解しても、30歳の自分の体が付いていけるかは別問題だ。
ミツオは軽やかな足取りでホワイトボードの前に立つ。マーカーを手に持つと、ミニライブの曲目とメンバーを書き出した。アオイはその動きを目で追いながら、胸の内で微かな不安と期待が交錯するのを感じていた。
――――――
『Music Is My Weapon』
紫波ユリス_九能シオン
榛摺キノミ_八橋カレハ
『Heart of Resolve』
翠月アリア_二茅ミドリ
浅葱コスモ_六合ミャータ
撫子ミア_一条モモハ
『クラッシュ・キャンディー』
山吹セツナ_五宝コガネ
銀城ユイラ_四宮ナマリ
――――――
「ウララちゃんが参加しないの寂しいよねー」
コガネが少し寂しそうに呟く声が、アオイの耳に届いた。ナマリが小さくうなずき、シオンが静かに言葉を添えた。
「ミカンさんも出れなくなってしまったのね」
「二人分の代わりなんて、わたし大役すぎだね~」
カレハが大げさに肩をすくめると、シオンが穏やかに、しかしきっぱりと言い返す。
「代わりなんて思ってないわよ。カレハさんはカレハさんらしいパフォーマンスをしてもらえれば、それでいいわ」
「了解で~す。てかてかシオン様、少し変わったよね~」
「そうね」
カレハの軽い口調に、シオンは目を閉じ無表情で答えた。アオイはそのやり取りを微笑ましく見つめていた。
シオンの口調が以前よりも明らかに柔らかくなっていることに、本来の自分を徐々に出せているんだろうと思い嬉しくなる。
すると、モモハがふと首をかしげ、不思議そうに口を開いた。
「ワタシ、紅音ウララさんにまだ一度も会えてないんですよね。皆さんはどうですか?」
「ぼくも会ったことないなぁ。ファンやから会いたいわ」
ミャータがのんびりした関西弁で答えると、コガネが元気に手を挙げる。彼女の手が宙を切る動きが、アオイの視界の端で揺れた。
「ウチも会ったことないよー! ナマリーはー?」
「ワッ、ワタシもない……」
ナマリが目を泳がせると、モモハがさらに言葉を重ねた。
「誰も会ったことないなんて、不思議ですよね」
その言葉に、アオイの肩がビクリと揺れる。ふとミドリに視線を向けると、彼女が一瞬焦ったような表情を浮かべたのが分かった。アオイの喉が僅かに乾く。すると、シオンが冷静に口を挟んだ。
「わたしはあるわよ」
「「「えっ!?」」」
周りが一斉に驚きの声を上げると、ミドリが慌てて補足した。
「わっ、わたしもウララちゃんとはプライベートで何回か。いっ、家にも行ったことあります!」
彼女の声は少し上ずっていた。
「そういえば、ウララちゃんの家で一緒に配信もしてたもんなー。ってことは、ミカンちゃんも知ってるんかー」
ミャータがそう呟くと、コガネが目を輝かせた。
「えー! 羨ましいー!」
「私も会ったことあるわよん。ねぇ、表見きゅん?」
ミツオの突然の言葉に、アオイはギョッとして体が硬直した。
「えっ、ええ、まぁ……」
曖昧に誤魔化すと、ミツオは軽く笑って話を締めた。その笑顔には、どこかからかうような色が混じっている――そんな気がして、アオイは苦笑いでやり過ごすしかなかった。
「まぁ、こんな話はさて置き、レッスン始めるわよん! コガネには全部叩き込んどいたから、コガネはナマリちゃんに教えて、私が残りのふたグループに教えるわ!」
アオイは内心で安堵の息をつきながら、ミツオの指示に従った。
そしてレッスンが始まると、アオイは『Music Is My Weapon』のグループに混ざり、ミツオの指導のもと激しいダンスに挑んだ。
シオンとカレハがリズムに乗って流れるように体を動かす中、アオイはひたすら必死だった。ステップを踏むだけで、もう精一杯だ。
「はい、止まらない!」
ミツオの鋭い声がスタジオに響いた瞬間、額にじわっと汗が滲む。足を揃えて、腕を振って、腰を落とす――頭でわかっていても、体が思うようについてこない。
普段はキーボードを叩くか、マイクに向かって喋っているだけの生活だ。こんな全身運動、いつぶりだろう。
息が上がるのが早すぎて、自分でも笑えてくる。けれど笑う余裕なんて、今のアオイにはなかった。
一方、『Heart of Resolve』のグループは、優雅な動きで舞う。ミドリ、ミャータ、モモハが流れるように踊る様子を、アオイはちらりと横目で捉えた。彼女たちの動きは軽やかで美しい。
ミツオが両グループを行き来し、細かく修正を加える。
――さすがだなぁ
アオイは息を切らしつつ、ステップを踏んだと思えば、腕を鋭く振ったり、全身を使った動きに必死で食らいついた。汗が首筋を伝い、Tシャツに染み込んでいく。足がもつれそうになる瞬間が何度もあったが、ミツオの「もう一回!」という声に背中を押され、なんとか耐えた。
そしてやっと初日のレッスンが終わり、アオイは床に座り込んで肩で息をした。以前の簡単な振り付けとは違い、本格的なダンスに彼の体は悲鳴を上げる。膝が微かに震え、太ももは熱を帯び、肺が空気を求めてヒューヒューと音を立てていた。
「疲れたぁ。運動不足の30歳には堪える……」
うなだれるアオイに、シオンが冷たいペットボトルを差し出した。透明なボトルに水滴が付き、ひんやりとした感触が手の中に広がる。
「ありがとう、シオンさん……」
感謝の言葉を呟き、一口飲むと、冷たい水が喉を潤した。汗で濡れた髪が額に張り付き、それを手で払う。すると、シオンがそっと耳打ちをしてきた。
「本当はお兄ちゃんとも一緒に、イベントに出たかったわ」
「あはは。いや、さすがにね……」
アオイが苦笑いすると、シオンが小さく微笑んだ。
「そうよね」
その穏やかな笑顔に、疲れが少しだけ和らぐのを感じた。そして体を引きずるように立ち上がり、彼はこれから始まるレッスンの日々に覚悟を決めた。鏡に映る自分の姿は汗だくで、Tシャツが体に張り付いている。どこか頼りなく見えたが、その瞳には、確かに熱い何かが宿っていた。
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