30歳無職だった俺、女声を使ってVTuberになる!?

佐伯修二郎

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第5章

第91話『まさかの営業目的!?』

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 カフェの店内は、大会の熱気が嘘のように落ち着いていた。柔らかな日差しがガラス越しに差し込み、アイスティーのグラスで氷が小さく音を立てている。

 向かいに座ったシロが、申し訳なさそうに視線を落とした。

「すいません……わたし、昔から体力がなくて……」
「全然気にしないでください」

 アオイは穏やかに笑い、アイスコーヒーに口をつける。

「ありがとうございます」

 シロが少しだけ頬を赤らめながら、アイスティーのグラスに手を伸ばす。

「それにしても、あの少年……強かったですね」
「そうですね。“さすが”とでも言うべきか……」
「さすが?」

 首をかしげたアオイに、シロは軽くかぶりを振って微笑んだ。

「いえ、なんでもないです」


 ***


 表彰式では、ファイナリストたちが中央のステージに順番に登壇していった。しかし、準優勝者として紹介された少年の姿は見えず、司会者が「諸事情により欠席」と伝えると、会場には小さなどよめきが広がった。

 やがて、シロが名前を呼ばれて前に出ると、主催者から優勝賞品を渡され、その姿に観客席から拍手が湧いた。


 ***


 会場を出ようとしたとき、スーツ姿の男性が小走りに近づいてきた。

「すみません、少しお時間よろしいでしょうか?」

 丁寧ながらどこか切迫した口調だった。

「主催側の者で、柳田と申します。よければ、少しだけお話させていただけないでしょうか?」

 戸惑うアオイをよそに、シロが頷いたため、アオイもそれに従った。

 二人は会場裏手の関係者専用ルームへと案内され、革張りのソファに腰を下ろす。静けさと、かすかなコーヒーの香りが漂う空間だった。

「私はカラモンを展開している開発会社の広報を担当しておりまして……実は先ほどからシロさんのことが気になっておりまして」
「……わたし、ですか?」
「ええ。その美貌、一般の方には見えなかったので……」

 柳田の視線が、シロにじっと向けられる。

「もし、どこかの事務所に所属されているようでしたら、今後お仕事のご相談など……」
「事務所ですか?」
「はい、差し支えなければ教えていただけないでしょうか」

 シロは静かに首を傾けると、やや間を置いて穏やかに答えた。

「わたし、Wensという事務所のVTuberをやっています」

 その瞬間、柳田の目が大きく見開かれた。

「えっ……WensのVTuber!?」
「“卯ノ花レオ”という名前で活動しています」
「……ええっ、あの“卯ノ花レオ”さん!?」

 柳田が腰を浮かせそうな勢いで驚く。

「そっ、それって言って大丈夫なんですか?」

 思わず耳打ちすると、シロはくすりと笑って小さく頷いた。

「一応、卯ノ花レオの中の人が女性であることは公表してますから」

 アオイの思考が一瞬、真っ白になると、数拍遅れて、理解と衝撃が同時に押し寄せた。

 ――そうだったの!?

 柳田は息を整えながら、真剣な表情に戻る。

「じ、実は先日、レオさんとウララさんが配信でカラモンのスマホアプリをプレイされていたのを観まして……本当にびっくりしました。中の人がこんなに綺麗な方だったなんて……!」

 そう言いながら、柳田は名刺を取り出し、両手で差し出した。シロも名刺入れからWensのカードを取り出し、丁寧に応じる。

「改めまして、今後なにかご一緒できる機会があれば嬉しいです」
「はい。ぜひ、事務所の方にご連絡ください」

 名刺を交換したシロは、柔らかな笑みを浮かべてそっと頭を下げた。アオイも軽く会釈をし、ふたりは関係者ルームをあとにした。


 ***


 会場を出ると、空はすでに淡い朱色を帯びていた。アーケードを抜け、駅へと向かう道を並んで歩きながら、アオイはぽつりと口を開いた。

「まさかカラモンとのパイプができるなんて……」
「ふふふっ。わたしは最初からそのつもりで参加してましたよ」
「ええっ?」

 驚いて振り返ると、シロはいたずらっぽく微笑んでいた。その表情に、思わず肩の力が抜ける。

「今日は付き添っていただき、本当にありがとうございました」
「いえ、こちらこそ楽しかったです」

 アオイもすぐに笑顔で返す。

「わたし、体が弱いから、一人だと遠出できないんです。本当に助かりました」
「自分でよければ、また付き添いますよ」

 シロは少し照れたように笑い、ぺこりと頭を下げた。


 ***


 電車に揺られながら、アオイは窓の外をぼんやりと眺めていた。夕暮れの景色が流れていくなか、いつしかまぶたが重くなり、そのまま眠りに落ちていた。


 ⁂⁂⁂


 夢の中。ステージを照らす強烈なライト。その中央で、ミカンが歌っていた。横浜ドーム、満員の観客。アオイはその姿を遠くからただ見つめている。

 名前も、声も届かない。ただ、そこにいる彼女を、ひとりで見つめていた。


 ⁂⁂⁂


「……っ!」

 はっと目を覚ますと、電車は最寄り駅のひとつ手前に差しかかっていた。アオイは慌てて身を起こし、隣を見る。

 シロが顔色を悪くして、うつむいていた。額に薄く汗がにじんでいる。

「シロさん……大丈夫ですか?」

 声をかけると、シロはアオイの袖を弱々しく握り、小さくつぶやいた。

「すいません……」

 その手の力のなさに、胸の奥がざらつく。
 このまま一人で帰すわけにはいかない――アオイは、そう思った。

「最寄り駅はどこですか?」
「……四駅先……」
「わかりました。家まで送ります」

 駅に着くと、アオイはシロを支えながら改札を抜け、タクシーに乗り込んだ。車内ではシロは目を閉じ、静かに呼吸を整えている。

 やがてマンションに着くと、アオイはシロの肩を支えたまま降車した。

「何階ですか?」
「……六階です」

 エレベーターで上がり、玄関の前でシロが鍵を取り出して扉を開ける。アオイはそっと足を添えて扉を開ききった。

「お邪魔します」

 シロを玄関に座らせ、水を求めてすぐにキッチンへ向かう。コップに注いだ水を手渡すと、シロはそれを一口飲み、わずかに顔色を取り戻した。

「とりあえず、横になってください」

 アオイはシロを抱えるようにして寝室のベッドへと運んだ。そのとき、ふと、かつてミドリが泥酔したときの記憶がよぎった。

「少し落ち着きました……ありがとうございます」
「よかった……」

 ベッドの上で、シロがアオイに目を向ける。

「わたしは大丈夫ですから。もう遅いので、帰った方が……」
「気にしないでください。なにか買ってきましょうか?」
「いえ……あの……部屋、汚いですし……」

 恥ずかしそうに視線を逸らすシロ。
 アオイはなんとなく視線を巡らせ、部屋の様子に目を止めた。

 床には読みかけの本や丸めた靴下。ソファの端には毛布がぐしゃっと置かれ、部屋の隅には洗濯物が揺れている。
 その中に、レースのついた下着がひっそりと混じっていた。

 ――意外と生活感が……

「あっ、あまり見ないでくださいっ!」
「すっ、すいませんっ!」

 慌てて顔を背ける。耳まで熱くなるのが自分でもわかった。

「ふふふっ……」

 シロが笑い、その声が少しトーンを落とす。

「近くに知り合いも住んでるので、大丈夫ですよ」
「……わかりました。じゃ、じゃあ、俺は帰りますね!」

 靴を履いてドアを開ける。その直前、アオイはもう一度だけ振り返った。

「本当に、お疲れ様でした。おやすみなさい」

 シロがベッドから軽く頭を下げるのを見届け、アオイはマンションをあとにした。

 アオイは地図アプリを頼りに駅まで戻り、電車に乗る。夜風が肌に心地よい。

 最寄り駅に着いて、家までの道を歩きながらスマホを取り出すと、通知が二件届いていた。

 ひとつは、シロからだった。

『今日はご迷惑おかけしてすいませんでした。でも楽しかったです。またコラボもお願いしますね』

 アオイは思わず微笑み、返信を打つ。

『こちらこそ。ほんと楽しかったです。またぜひ!』

 そして、もう一件。

 表示された名前を見て、思わず足が止まった。

 ——ミドリ。

 メッセージは、ひとことだけだった。

『表見さんのばか』

「えっ……」

 アオイはすぐさまミドリに電話をかけた。コール音が続く。

 だが——応答はなかった。



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