【完結】悪役令嬢のスローライフ

きゅちゃん

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雨上がりの虹

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エレノアは再び馬に乗り、北へと向かった。雨は少し弱まったが、地面は泥濘と化していた。彼女は以前視察した道を記憶を頼りに進み、養蜂場に到着すると、その惨状に息を呑んだ。

強風で巣箱の一部が倒れ、屋根が吹き飛ばされていた。特に新しく設置したばかりの区画が大きな被害を受けていた。エレノアは馬から降り、「トーマス!」と叫んだ。

返事はなかったが、小屋の中から物音がした。慎重に進むと、トーマスが床に倒れているのが見えた。

「トーマス!大丈夫?」

老人は意識があり、弱々しく笑った。「レディ・エレノア...申し訳ない。蜂たちを守ろうとしたんですが...」

彼の足は怪我をしており、自力で歩くことはできなかった。エレノアは彼を背負い、何とか馬まで運んだ。

「蜂たちは大丈夫よ。明日、みんなで修復しましょう」

村に戻る途中、雨はすっかり止み、西の空が赤く染まっていた。太陽が雲間から顔を出し、谷全体が黄金色に輝いている。そして、東の空には大きな虹がかかっていた。

「美しい...」トーマスが馬の上から呟いた。

「ええ、本当に」エレノアも見上げた。「雨上がりの虹は、幸運の象徴だって聞いたことがあるわ」

「そうですとも。古い言い伝えでは、虹の見える日は、谷の守護者が微笑む日だと」

エレノアはその言葉を心に留めながら、村へと戻った。

翌朝、嵐の痕跡は各所に残っていたが、幸いにも人的被害は最小限に抑えられた。南の集落の土砂崩れでも、全員が無事に救出された。

館に避難していた村人たちは、朝食を共にした後、次々と家に戻っていった。その表情には、一晩前の不安とは違う、安堵と感謝の色が浮かんでいた。

「レディ・エレノア」最後に残ったのはオスカーだった。彼は深々と頭を下げた。「昨夜のことは、村人全員が忘れないでしょう。館を開放してくださり、そして危険を顧みず自ら現場に向かってくださったこと...」

エレノアは穏やかに微笑んだ。「当然のことをしただけよ。これが領主の務めではないかしら」

オスカーは真摯な表情で答えた。「先代の領主様は、一度も谷を訪れませんでした。その前の領主様も同様です。あなたは違います」

「それは...」エレノアは言葉に詰まった。

「村の長老たちは言っています。『銀の風が、真の領主を連れてきた』と」

エレノアは窓の外を見た。嵐の後の谷は、一層鮮やかな緑に包まれていた。

午後、エレノアはソフィとレオナルドを連れて養蜂場を視察した。村の若者たちがすでに修復作業を始めており、トーマスの指示の下、巣箱を元の位置に戻していた。

「思ったより早く復旧しそうね」ソフィが感心したように言った。

「ええ、みんなの協力のおかげよ」

その時、若者の一人が駆け寄ってきた。「レディ・エレノア!見てください、これを見つけました」

彼が差し出したのは、嵐で倒れた古い木の根元から見つかったという小さな鈴のようなものだった。銀色に輝き、微かに青い光を放っている。

「これは...」

「伝説の『銀の鈴』ではないでしょうか」若者は興奮して言った。「初代領主が谷の守護者に捧げたという...」

エレノアは手のひらに載せた銀の鈴をじっと見つめた。不思議な温かさが伝わってくる。

「研究してみる価値があるわね」

その日の夕方、館の書斎でエレノアは古い文献を調べていた。「銀の鈴」と「谷の守護者」についての記述を探していたのだ。

「何か見つかりました?」ソフィが紅茶を持って入ってきた。

「まだよ。でも、この銀の鈴には何か特別な意味がありそうなの」

ソフィは微笑んだ。「あなたは変わったわね、エレノア」

「どういう意味?」

「アカデミーでは、こんな伝説や言い伝えに興味を示すことはなかった。いつも実用的なことばかり考えていたわ」

エレノアは少し考え込むように言った。「そうね...かつての私なら、こんな『迷信』には目もくれなかったかもしれない」

「でも、今のあなたは違う。村人たちのこと、この谷のこと、本当に大切に思っているのね」

エレノアは窓の外を見た。夕日に染まる谷の風景が広がっている。

「ええ、そうよ。ここには...本当の意味があるの」

ソフィとレオナルドが帝都に戻る日、エレノアは二人を村の入り口まで見送った。

「また来るわ」ソフィが約束した。「次は夏に。この谷の夏祭りを見てみたいの」

「いつでも歓迎するわ」

レオナルドは別れ際に、エレノアの手を取った。「気をつけて。帝都では...あなたの評判が変わりつつあります」

「どういう意味?」

「王太子との婚約を辞退し、領地に引きこもったと思われていたあなたですが、今は『自分の領地を真剣に治める賢明な令嬢』と見る向きも出てきました」

エレノアは微笑んだ。「それはどうでもいいわ。帝都の評判なんて」

「そう言うと思いました」レオナルドも笑った。「それがあなたの強さですね」

友人たちを見送った後、エレノアは村を通り抜け、北の丘へと向かった。丘の上からは、谷全体を見渡すことができる。

春の嵐を乗り越え、谷はいっそう生命力に満ちているように見えた。彼女の目には、村人たちが協力して働く姿、修復された養蜂場、そして遠くに見える館の塔が映った。

「これが私の選んだ道」

エレノアはポケットから銀の鈴を取り出し、陽光にかざした。青い光が微かに輝いている。まだ解明されていない謎だが、それもまた彼女の新しい生活の一部だった。

丘を降りる途中、エレノアはリリアンが一人で花を摘んでいるのを見つけた。

「リリアン、一人で何してるの?」

「お姉様!」少女は嬉しそうに飛び上がった。「花束を作っているんです。嵐を追い払ってくれた谷の守護者様への贈り物です」

エレノアは思わず銀の鈴を握りしめた。そして、初めて感じた。この谷には、自分がまだ知らない何かがある。それを一つ一つ解き明かしていくのも、悪くない人生かもしれない。

「一緒に摘もうか?」

リリアンの目が輝いた。二人は静かに花を摘みながら、夕暮れの谷を見つめた。雨上がりの虹は消えていたが、その記憶は心に残り続けていた。

(続く)
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