11 / 23
湖畔の秘密
しおりを挟む
朝日が蒼穹の湖面に反射し、キラキラと輝いていた。エレノアは湖畔に腰を下ろし、手帳に昨日の収穫祭の様子を書き留めていた。村を挙げての祝賀は夜遅くまで続き、彼女は久しぶりに心から楽しい時間を過ごした。
(もし帝都の社交界の人々が、私がこんな風に村人たちと踊り、笑っているところを見たらどう思うかしら?)
そんな考えに、エレノアは思わず微笑んだ。
「お嬢様」マリーが近づいてきた。「朝食の準備ができました」
「ありがとう、マリー。もう少ししたら戻るわ」
マリーが去った後、エレノアは懐から銀の鈴を取り出した。朝の静けさの中、彼女は再び鈴を鳴らしてみた。
澄んだ音色が湖面に響き渡る。すると不思議なことに、穏やかだった湖面に小さな波紋が広がり始めた。風もないのに。
エレノアが驚いて立ち上がったとき、湖の中央から一筋の光が射した。まるで湖底から何かが呼応しているかのようだ。
「これは...」
好奇心に駆られ、エレノアは岸辺に係留されていた小さなボートに乗り込んだ。行きがけの習慣で取っておいた銀の涙の花びらを湖面に浮かべると、花びらは光の方向へと流れていく。
ボートを漕ぎ出すと、湖は想像以上に深く、中央に近づくほど水の色が濃紺へと変化していった。光の筋は湖底へと続いているようだ。
ふと、銀の鈴が懐の中で温かくなるのを感じた。取り出すと、鈴は以前より強く青く輝いている。エレノアが再び鈴を鳴らすと、湖面から小さな水柱が立ち上がった。
「守護者の力は鈴の音色に宿る...」彼女はローレンス博士の言葉を思い出した。
しかし、それ以上の変化はなく、やがて光も消えた。エレノアは湖の表面を注意深く観察した後、岸へと戻ることにした。
「レディ・エレノア!」岸辺では村の青年ノアが彼女を探していた。「大変です!帝都から急な来客が!」
「誰?」
「わかりません。ただ、立派な馬車で館に向かったそうです」
エレノアは急いで館へと戻った。前庭には見慣れない豪華な馬車が停まっており、紋章から判断すると王家の使いのようだ。
館に入ると、セバスチャンが出迎えた。
「お嬢様、帝国宮廷料理長のマルセル・デュポン様がお見えです」
居間に案内されると、そこには優雅な身なりの中年男性が立っていた。帝国一の料理人として名高いマルセル・デュポンだ。
「レディ・エレノア」彼は丁寧に頭を下げた。「突然の訪問をお許しください。あなたの領地の蜂蜜の評判を聞き、直接確かめたくて参りました」
エレノアは冷静に対応した。「ようこそ、銀風の谷へ。長旅お疲れ様でした」
マルセルは昨日の収穫祭で振る舞われた蜂蜜を使った料理の香りが館まで届き、我慢できずに訪れたのだと語った。彼は特に山椒の花から集めた蜂蜜に興味を示し、王太子の婚礼祝宴に使いたいと申し出たのだ。
「王太子の婚礼...」エレノアは一瞬言葉に詰まった。かつて彼女自身が婚約者候補だった王太子の婚礼だ。
「ええ、来月に控えております。彼の婚約者であるソフィア・ライトブルーム様も、あなたの蜂蜜の話を聞いて大変興味を持たれているそうです」
エレノアは微笑みを浮かべた。「光栄です。私たちの蜂蜜をお使いいただけるなら、喜んで提供します」
二人は取引の詳細について話し合い、マルセルは特注の蜂蜜セットを注文することになった。
「実は」マルセルは少し言いづらそうに続けた。「王太子殿下が、あなたにも婚礼にご出席いただきたいとのことです」
エレノアは表情を変えなかった。「そうですか。出席できるかどうか、検討させてください」
マルセルが帰った後、エレノアは窓辺に立ち、遠くを見つめた。王太子の婚礼——かつての自分なら激しく動揺したはずの知らせに、今は静かな感慨しか抱かない。
「お嬢様」マリーが心配そうに尋ねた。「ご出席されるおつもりですか?」
「わからないわ」エレノアは正直に答えた。「でも、いずれ決断しないといけないわね」
昼食後、エレノアは村へと向かい、オスカーとトーマスに宮廷料理長からの注文について伝えた。村人たちは歓喜し、最高品質の蜂蜜を届けるため、すぐに準備に取りかかった。
「王太子の婚礼で使われるなんて!」若者たちは興奮していた。
その日の夕方、エレノアは再び湖畔へと足を運んだ。朝の不思議な現象が気になり、もう一度確かめたかったのだ。
夕陽に染まる湖面は朝とは違う美しさを見せていた。エレノアは再び銀の鈴を鳴らしたが、朝のような反応はない。
「やはり偶然だったのかしら...」
帰ろうとしたその時、湖畔の茂みが揺れ、一人の女性が姿を現した。漆黒の長い髪と、紫がかった瞳を持つ神秘的な女性だ。
「あなたは...」
「アイリス・ナイトシェイド」女性は低く落ち着いた声で名乗った。「森で暮らしているものです、レディ・エレノア」
村人たちが「森の魔女」と呼ぶ謎の女性だとエレノアは気づいた。
「銀の鈴を鳴らすなら、満月の夜がよいでしょう」アイリスは湖面を見つめながら言った。「湖は月の光を最も強く受ける時、その秘密を明かします」
「あなたは湖の秘密を知っているの?」
アイリスは微笑んだ。「私は谷の多くを知っています。あなたが本当の領主として認められるまで、ただ見守っていました」
エレノアは彼女の言葉の意味を問おうとしたが、アイリスは既に茂みの中へと消えかけていた。
「満月はあと三日後です」振り返りざまに告げ、アイリスの姿は闇に溶けた。
館に戻ったエレノアは、日記に今日の出来事を書き留めた。湖での不思議な現象、マルセルの訪問と王太子の婚礼の知らせ、そして謎めいた女性アイリスとの出会い。
(三日後の満月の夜、湖の秘密が明かされるというアイリスの言葉は本当なのだろうか?銀の鈴と湖、そして谷の守護者。すべてが繋がっているように思える...)
エレノアは窓から見える湖を見つめながら、三日後の満月を静かに待つことにした。
(もし帝都の社交界の人々が、私がこんな風に村人たちと踊り、笑っているところを見たらどう思うかしら?)
そんな考えに、エレノアは思わず微笑んだ。
「お嬢様」マリーが近づいてきた。「朝食の準備ができました」
「ありがとう、マリー。もう少ししたら戻るわ」
マリーが去った後、エレノアは懐から銀の鈴を取り出した。朝の静けさの中、彼女は再び鈴を鳴らしてみた。
澄んだ音色が湖面に響き渡る。すると不思議なことに、穏やかだった湖面に小さな波紋が広がり始めた。風もないのに。
エレノアが驚いて立ち上がったとき、湖の中央から一筋の光が射した。まるで湖底から何かが呼応しているかのようだ。
「これは...」
好奇心に駆られ、エレノアは岸辺に係留されていた小さなボートに乗り込んだ。行きがけの習慣で取っておいた銀の涙の花びらを湖面に浮かべると、花びらは光の方向へと流れていく。
ボートを漕ぎ出すと、湖は想像以上に深く、中央に近づくほど水の色が濃紺へと変化していった。光の筋は湖底へと続いているようだ。
ふと、銀の鈴が懐の中で温かくなるのを感じた。取り出すと、鈴は以前より強く青く輝いている。エレノアが再び鈴を鳴らすと、湖面から小さな水柱が立ち上がった。
「守護者の力は鈴の音色に宿る...」彼女はローレンス博士の言葉を思い出した。
しかし、それ以上の変化はなく、やがて光も消えた。エレノアは湖の表面を注意深く観察した後、岸へと戻ることにした。
「レディ・エレノア!」岸辺では村の青年ノアが彼女を探していた。「大変です!帝都から急な来客が!」
「誰?」
「わかりません。ただ、立派な馬車で館に向かったそうです」
エレノアは急いで館へと戻った。前庭には見慣れない豪華な馬車が停まっており、紋章から判断すると王家の使いのようだ。
館に入ると、セバスチャンが出迎えた。
「お嬢様、帝国宮廷料理長のマルセル・デュポン様がお見えです」
居間に案内されると、そこには優雅な身なりの中年男性が立っていた。帝国一の料理人として名高いマルセル・デュポンだ。
「レディ・エレノア」彼は丁寧に頭を下げた。「突然の訪問をお許しください。あなたの領地の蜂蜜の評判を聞き、直接確かめたくて参りました」
エレノアは冷静に対応した。「ようこそ、銀風の谷へ。長旅お疲れ様でした」
マルセルは昨日の収穫祭で振る舞われた蜂蜜を使った料理の香りが館まで届き、我慢できずに訪れたのだと語った。彼は特に山椒の花から集めた蜂蜜に興味を示し、王太子の婚礼祝宴に使いたいと申し出たのだ。
「王太子の婚礼...」エレノアは一瞬言葉に詰まった。かつて彼女自身が婚約者候補だった王太子の婚礼だ。
「ええ、来月に控えております。彼の婚約者であるソフィア・ライトブルーム様も、あなたの蜂蜜の話を聞いて大変興味を持たれているそうです」
エレノアは微笑みを浮かべた。「光栄です。私たちの蜂蜜をお使いいただけるなら、喜んで提供します」
二人は取引の詳細について話し合い、マルセルは特注の蜂蜜セットを注文することになった。
「実は」マルセルは少し言いづらそうに続けた。「王太子殿下が、あなたにも婚礼にご出席いただきたいとのことです」
エレノアは表情を変えなかった。「そうですか。出席できるかどうか、検討させてください」
マルセルが帰った後、エレノアは窓辺に立ち、遠くを見つめた。王太子の婚礼——かつての自分なら激しく動揺したはずの知らせに、今は静かな感慨しか抱かない。
「お嬢様」マリーが心配そうに尋ねた。「ご出席されるおつもりですか?」
「わからないわ」エレノアは正直に答えた。「でも、いずれ決断しないといけないわね」
昼食後、エレノアは村へと向かい、オスカーとトーマスに宮廷料理長からの注文について伝えた。村人たちは歓喜し、最高品質の蜂蜜を届けるため、すぐに準備に取りかかった。
「王太子の婚礼で使われるなんて!」若者たちは興奮していた。
その日の夕方、エレノアは再び湖畔へと足を運んだ。朝の不思議な現象が気になり、もう一度確かめたかったのだ。
夕陽に染まる湖面は朝とは違う美しさを見せていた。エレノアは再び銀の鈴を鳴らしたが、朝のような反応はない。
「やはり偶然だったのかしら...」
帰ろうとしたその時、湖畔の茂みが揺れ、一人の女性が姿を現した。漆黒の長い髪と、紫がかった瞳を持つ神秘的な女性だ。
「あなたは...」
「アイリス・ナイトシェイド」女性は低く落ち着いた声で名乗った。「森で暮らしているものです、レディ・エレノア」
村人たちが「森の魔女」と呼ぶ謎の女性だとエレノアは気づいた。
「銀の鈴を鳴らすなら、満月の夜がよいでしょう」アイリスは湖面を見つめながら言った。「湖は月の光を最も強く受ける時、その秘密を明かします」
「あなたは湖の秘密を知っているの?」
アイリスは微笑んだ。「私は谷の多くを知っています。あなたが本当の領主として認められるまで、ただ見守っていました」
エレノアは彼女の言葉の意味を問おうとしたが、アイリスは既に茂みの中へと消えかけていた。
「満月はあと三日後です」振り返りざまに告げ、アイリスの姿は闇に溶けた。
館に戻ったエレノアは、日記に今日の出来事を書き留めた。湖での不思議な現象、マルセルの訪問と王太子の婚礼の知らせ、そして謎めいた女性アイリスとの出会い。
(三日後の満月の夜、湖の秘密が明かされるというアイリスの言葉は本当なのだろうか?銀の鈴と湖、そして谷の守護者。すべてが繋がっているように思える...)
エレノアは窓から見える湖を見つめながら、三日後の満月を静かに待つことにした。
0
あなたにおすすめの小説
婚約破棄のその場で転生前の記憶が戻り、悪役令嬢として反撃開始いたします
タマ マコト
ファンタジー
革命前夜の王国で、公爵令嬢レティシアは盛大な舞踏会の場で王太子アルマンから一方的に婚約を破棄され、社交界の嘲笑の的になる。その瞬間、彼女は“日本の歴史オタク女子大生”だった前世の記憶を思い出し、この国が数年後に血塗れの革命で滅びる未来を知ってしまう。
悪役令嬢として嫌われ、切り捨てられた自分の立場と、公爵家の権力・財力を「運命改変の武器」にすると決めたレティシアは、貧民街への支援や貴族の不正調査をひそかに始める。その過程で、冷静で改革派の第二王子シャルルと出会い、互いに利害と興味を抱きながら、“歴史に逆らう悪役令嬢”として静かな反撃をスタートさせていく。
ヒロイン? 玉の輿? 興味ありませんわ! お嬢様はお仕事がしたい様です。
彩世幻夜
ファンタジー
「働きもせずぐうたら三昧なんてつまんないわ!」
お嬢様はご不満の様です。
海に面した豊かな国。その港から船で一泊二日の距離にある少々大きな離島を領地に持つとある伯爵家。
名前こそ辺境伯だが、両親も現当主の祖父母夫妻も王都から戻って来ない。
使用人と領民しか居ない田舎の島ですくすく育った精霊姫に、『玉の輿』と羨まれる様な縁談が持ち込まれるが……。
王道中の王道の俺様王子様と地元民のイケメンと。そして隠された王子と。
乙女ゲームのヒロインとして生まれながら、その役を拒否するお嬢様が選ぶのは果たして誰だ?
※5/4完結しました。
新作
【あやかしたちのとまり木の日常】
連載開始しました
今度こそ幸せになります! 拍手の中身
斎木リコ
ファンタジー
『今度こそ幸せになります!』の拍手お礼にあげていた文の置き場になります。中身はお遊びなので、本編には関係ない場合があります。拍手が見られなかった・拍手はしなかった人向けです。手直し等はないのでご了承ください。タイトル、ひねりもなんにもなかったなあ……。
他サイトからのお引っ越しです。
悪役令嬢に転生したので、剣を執って戦い抜く
秋鷺 照
ファンタジー
断罪イベント(?)のあった夜、シャルロッテは前世の記憶を取り戻し、自分が乙女ゲームの悪役令嬢だと知った。
ゲームシナリオは絶賛進行中。自分の死まで残り約1か月。
シャルロッテは1つの結論を出す。それすなわち、「私が強くなれば良い」。
目指すのは、誰も死なないハッピーエンド。そのために、剣を執って戦い抜く。
※なろうにも投稿しています
婚約破棄された悪役令嬢の心の声が面白かったので求婚してみた
夕景あき
恋愛
人の心の声が聞こえるカイルは、孤独の闇に閉じこもっていた。唯一の救いは、心の声まで真摯で温かい異母兄、第一王子の存在だけだった。
そんなカイルが、外交(婚約者探し)という名目で三国交流会へ向かうと、目の前で隣国の第二王子による公開婚約破棄が発生する。
婚約破棄された令嬢グレースは、表情一つ変えない高潔な令嬢。しかし、カイルがその心の声を聞き取ると、思いも寄らない内容が聞こえてきたのだった。
悪役令嬢だから知っているヒロインが幸せになれる条件【8/26完結】
音無砂月
ファンタジー
※ストーリーを全て書き上げた上で予約公開にしています。その為、タイトルには【完結】と入れさせていただいています。
1日1話更新します。
事故で死んで気が付いたら乙女ゲームの悪役令嬢リスティルに転生していた。
バッドエンドは何としてでも回避したいリスティルだけど、攻略対象者であるレオンはなぜかシスコンになっているし、ヒロインのメロディは自分の強運さを過信して傲慢になっているし。
なんだか、みんなゲームとキャラが違い過ぎ。こんなので本当にバッドエンドを回避できるのかしら。
ぽっちゃり令嬢の異世界カフェ巡り~太っているからと婚約破棄されましたが番のモフモフ獣人がいるので貴方のことはどうでもいいです~
翡翠蓮
ファンタジー
幼い頃から王太子殿下の婚約者であることが決められ、厳しい教育を施されていたアイリス。王太子のアルヴィーンに初めて会ったとき、この世界が自分の読んでいた恋愛小説の中で、自分は主人公をいじめる悪役令嬢だということに気づく。自分が追放されないようにアルヴィーンと愛を育もうとするが、殿下のことを好きになれず、さらに自宅の料理長が作る料理が大量で、残さず食べろと両親に言われているうちにぶくぶくと太ってしまう。その上、両親はアルヴィーン以外の情報をアイリスに入れてほしくないがために、アイリスが学園以外の外を歩くことを禁止していた。そして十八歳の冬、小説と同じ時期に婚約破棄される。婚約破棄の理由は、アルヴィーンの『運命の番』である兎獣人、ミリアと出会ったから、そして……豚のように太っているから。「豚のような女と婚約するつもりはない」そう言われ学園を追い出され家も追い出されたが、アイリスは内心大喜びだった。これで……一人で外に出ることができて、異世界のカフェを巡ることができる!?しかも、泣きながらやっていた王太子妃教育もない!?カフェ巡りを繰り返しているうちに、『運命の番』である狼獣人の騎士団副団長に出会って……
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる