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Ⅲ 竜殺しの英雄
パエラ湖
しおりを挟む「急いで下さい」
疾走するセツハが振り返らずに言った。
障害物の多い森を避けて草原に出たまでは良かったが、彼らを待ち受けていたのは獰猛な肉食獣、一角豹の群れだった。
それでも最短距離でパエラ湖を目指すには、この大草原を突っ切るしかない。
群れのなかでも一際大きい個体の突撃を跳馬の要領でかわすと、黒髪のメイドは涼しい顔で先を急いだ。
「死ぬ、死ぬ、これは死ぬッス!」
数十頭の一角豹に囲まれ、そのすべてをなんとか倒したディガロも彼女の後に続く。
「はぁ、はぁ。
待つッス、セッちゃん。
湖の手前で少し休んだ方が……」
「不要です」
セツハは更にスピードを上げると、俊足で知られる猫族の少年を振り切った。
加速スキルも使わず、驚くべき身体能力である。
「お、俺は少し休むッス。
急いては事を仕損じる、と昔から言うッス」
前屈みになって膝に両手をつくディガロの背後から、もうもうとした土煙が舞い上がる。
仲間を倒され、怒り狂った新手の一角豹が追い掛けてきたのだ。
「……善は急げ、とも言うッスね」
背中を鋭利な角で突っつかれながら、ディガロは死に物狂いで逃げた。
風のようなその脚力に、一角豹達はそれ以上の追撃を諦めざるを得なかった。
「……はぁ、はぁ、はぁ。
逃げ延びた上、追い付いたッス」
セツハと並走するディガロの瞳が、緑色の風景に異色を捉える。
「あれがパエラ湖です。
皆様に伝心します」
人形のような無表情で目を閉じると、セツハは思念を送った。
喜怒哀楽に乏しいとは思っていたが、どうやら恐怖の感情まで欠落しているらしい。
マラカーンで不死竜と初めて対峙した時も、セツハは眉ひとつ動かす事はなかった。
古代竜を前にして恐れも怯みもせず、ただ黙々とファランの指示通りに駒としての役割を果たしたのだ。
「……待機せよ、との仰せです」
「えっ?!」
急に言われ、その横顔を眺めていたディガロは狼狽えた。
「あの辺りの茂みに潜んで待ちましょう」
二人は低い姿勢で茂みの中に素早く隠れると、目の前の草葉を分けて不死竜の姿を探した。
鏡のように澄んだ水面を風が揺らし、穏やかに波立たせている。
モンスターさえいなければ、日向ぼっこするには最高の場所に思えた。
さらさらと葉と葉が擦れ合う音が響き、ディガロの鼻に甘い香りを運んだ。
「これはなんの匂いッスか?」
戦いの前の緊張を少しでも解そうと、すぐ隣にいるセツハに訊ねたところ、
「真珠草の、花の香りです」
小声でそう教えてくれた。
「いい匂いッスね」
その言葉にセツハの眉が僅かに上がったが、少年が小さな変化に気付く事はなかった。
「……おっと、ターゲット発見」
ディガロの視線の先には、水際に骨の両脚を浸して徘徊する巨竜の姿があった。
「水遊びとは呑気なもんッス」
(こちら洞窟班、骨っこの奇襲を受けて交戦中にゃ!)
頭のなかにネムネムの緊迫した声が響いた。
(姉ちゃん、大丈夫ッスか?!)
(平気にゃ~っ!)
(では不死竜退治を始めましょう。
皆さん、どうか御無事で)
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