『悪役令嬢、愛が重くてごめんなさい?』

黒川ねこ

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第1章:優等生令嬢は、完璧で、恐ろしい

第5話「孤独な監視者と、白百合の裁縫」

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エグレア侯爵邸の夜は、静謐と緊張に包まれている。

白い石造りの廊下を、足音ひとつ立てずにマルシェが歩く。
手には、リリアーナのための裁縫道具と“情報報告書”の入った封筒。

彼女は、主人の心の奥に生じた“わずかな揺らぎ”に、すでに気づいていた。

――王子様と“普通の恋”をしたいのか。
それとも、狂気のままに“運命を縫い上げたい”のか。

主がどちらを選んでも、マルシェの手が止まることはない。
彼女の役目は、ただ忠実に、静かに、主の影で働くことだけ。

「お入りなさい、マルシェ」

扉の向こうから、澄んだ声が響く。
命令など不要だった。マルシェには、リリアーナの呼吸の変化すらわかる。

「ご報告を。王子様は今宵も寮でおひとり。セシリア嬢は、夜間授業後に図書館に寄られました。滞在時間は十二分」

「……十二分。ええ、長すぎますわね。静かな場所で何をお考えかしら?」

リリアーナは窓辺で椅子に座りながら、針と糸を手に取っていた。

手元にあるのは、“王子の制服”と寸分違わぬデザインで仕立てられたシャツ。

それは正式なものではない。彼女自身が採寸し、素材を揃え、縫い上げた“模造品”。
胸元には、小さな“R”の刺繍。
“R”――リリアーナの印。

「……王子様の未来衣装、ようやく完成ですわ。これで“最初の晩”の準備は整いましたの」

「次に必要なものは、式場でしょうか?」

「ええ。“王妃の椅子”を手配しておいて。誰にも座らせてはいけませんわよ」

マルシェが静かに頷く。

リリアーナは糸を巻き取りながら、ふと目を細めた。

「……今日の午後は、穏やかでしたわね。王子様と、普通のお茶をして……普通のお話をして……」

彼女の言葉は、まるで夢を語るように優しい。

だが、次の瞬間――針が、指先を刺した。

「……っ」

赤い一滴が、シャツの白ににじむ。

その染みを見つめながら、リリアーナはぽつりと呟いた。

「やっぱり、“普通”なんて……似合いませんわ。だって、愛とはもっと……深くて、熱くて、痛いものですもの」

彼女は指先を舐め、その味を静かに味わった。

その瞬間、胸の奥で何かが決まったのだろう。
迷いは、すでに消えていた。

「マルシェ。セシリア嬢の制服、あれ……そろそろ“限界”かしら?」

「糸のほつれは拡大しています。次に動いた際、破れる可能性大です」

「なら、手を入れましょう。今度は、赤い糸で……目立たぬように」

マルシェが無言で一礼し、部屋を後にする。

リリアーナは仕立てあげた“王子の未来”を抱きしめるようにして、目を閉じた。

部屋に飾られた白百合が、今夜も香っていた。
それは静かな狂気の香――けれど、彼女にとっては“幸福”の証。

愛している。
だから、壊したい。

それは、リリアーナの中でずっと昔から定められていた方程式。

そして今夜もまたひとつ、“未来”が縫いあげられていく。
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