『悪役令嬢、愛が重くてごめんなさい?』

黒川ねこ

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第3章:歪んだ契約と、選ばれなかった少女たち

第35話「雨が止んでも、傷跡は乾かない」

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は夜明けと共に、静かに上がった。
まるで、昨日の出来事に幕を引くように。

けれど地面には、まだ水たまりが残っていた。
雲は去っても、空気には冷たさが残っていた。

そして、心のなかの傷もまた――乾ききることはなかった。

***

セシリア=ロートベルクは、鏡の前で制服の袖をそっと見つめていた。

リボンは、きちんと結ばれている。
濡れていた布は乾き、今は穏やかな色に戻っていた。

でも、そこにあった“針の記憶”は、消えていなかった。

「……わたし、また縫えるかな」

そう呟いた自分の声が、思っていたよりも震えていて。
セシリアは、小さく唇を噛む。

昨夜のことを思い出すたび、胸の奥がじんわり熱を帯びて、
同時に、その熱が怖くなった。

「結べたから、安心したいのに。
……また、ほどけるんじゃないかって思う自分が、いるの」

恋は、縫い目だけではできていない。
心と心の繋がりは、見えない糸のようで――とても、脆い。

***

一方、リリアーナ=エグレアは、いつも通りに学院に現れた。

晴れ間がのぞく校庭。
新しく整えられた髪。
微笑を浮かべた唇。

だがその“整いすぎた姿”に、気づく者はわずかだった。

彼女の歩く背中に、ひとつの変化があったことを――

それは、“針を持っていない”。

***

「針を持たぬリリアーナ様だなんて……珍しい」

そう口にしたのは、カイル=バルステッドだった。

旧塔の上階、資料室の窓からその姿を見下ろしながら、彼は言った。

「彼女は今、“次の構図”を探してるんだ。
針も布も捨てたわけじゃない。
ただ、いま刺す場所が見つからないだけ」

その隣で黙っていたセシリアが、そっと問いかける。

「それって……」

「“弱ってる”ってことだよ」

カイルの答えは、あっさりとしていた。

「けどな、あの人は“弱ってる”自分を人に見せられない。
だから、“完璧な妹”を演じ続けるんだよ。
仮面の代わりに、“献身”って名の檻に自分を閉じ込めてる」

セシリアは、黙ってリリアーナの後ろ姿を見つめる。

あの雨の日。
彼女が傘を閉じて歩き去った背中が、ふと重なった。

まるで、自ら“濡れる道”を選ぶように。
まるで、自分で自分を罰しているかのように。

「……救えるのかな。あの人を」

「それは、君の役目じゃない」

「でも、わたしが“愛してる人”の物語には、彼女がいる。
だから……“目を背けること”だけは、したくない」

セシリアの言葉はまっすぐだった。
やさしくて、痛いくらいに、真っ直ぐだった。

***

その日の放課後。

リリアーナは、誰もいない温室で、そっと裁縫箱の蓋を開けていた。

けれど、針には触れなかった。

代わりに、指先で一本の銀の糸を摘まんで、空にかざす。

「乾いたはずなのに……」

指先には、もう濡れた感覚はない。

けれど、心だけがずっと湿っていた。

「……愛を縫うには、もう少し時間が必要ですわね」

雨が止んでも、傷跡はまだ、乾かない。
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