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第3章:歪んだ契約と、選ばれなかった少女たち
第38話「愛された記憶だけが、彼女を縫いとめる」
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それは、風に散った花びらのような記憶だった。
手を伸ばせば触れられたはずなのに、
今ではもう――心の内側でしか確かめられないもの。
***
夜のエグレア邸。
リリアーナ=エグレアは、自室のベッドの上で膝を抱えていた。
傍らには、開かれたノート。
その一ページにだけ、手書きの文字がひとつ残されている。
『アレン=ヴァルフォード。
わたくしが、初めて「見つめられた」と思えた人。』
それは、まだ“縫い手”になる前の彼女が書いた、
**もっとも原初の“記録”**だった。
愛されようとしたのではない。
認められたかったのでもない。
ただ――“目が合った”ということが、
彼女にとっては、“心に刺さる針”だった。
「……あの瞬間だけは、本当に。
わたくし、“ただの少女”でいられたのに」
ぽつりと漏れたその声は、どこにも届かない。
それでも、彼女はページを撫でながら、ひと針のように記憶をなぞる。
「あの人が、わたくしを選ばなかったこと。
今でも痛みますわ。
けれど、選ばれなかったからといって――
“愛されなかった”とは限りませんものね?」
そう。
確かに選ばれなかった。
でも、それまでの会話。
踊った瞬間。
リボンを結んだ日々。
袖口を揃えた時間。
触れそうで、触れなかった指先。
それらすべてが、彼女を今も縫いとめていた。
「……わたくし、まだ縫い続けていますわ。
あなたに渡すためではなく、自分の心を壊さないために」
それは、“縛る針”ではなかった。
“孤独をほどけないようにするための、縫いとめの針”だった。
***
翌朝。
リリアーナは、久しぶりに鏡の前で口紅を引いた。
ピンクでも紅でもない。
王宮の指定にもない、淡く、落ち着いた“ローズベージュ”。
「今日のわたくしは、“愛された記憶”の続きとして、ここに立ちますのよ」
誰かに向けた笑顔ではない。
誰かに好かれるための装いでもない。
それはただ、自分自身に結んだ――小さな誓い。
***
学院の廊下で出会ったセシリアは、驚いた顔で彼女を見た。
「……リリアーナ様?」
「ごきげんよう。わたくし、今日は“あなたの恋の味方”として、在りますの」
「え?」
「だって、あなたの幸せな笑顔を見るたびに、
わたくしの中の“愛された記憶”が、ちゃんと報われていくのですもの」
セシリアは言葉を失い、やがて――ほとんど涙声で笑った。
「……あなたって、本当にずるい人ですね」
リリアーナもまた、少しだけ笑った。
「ええ。自分でも、そう思いますわ。
でも、“ずるく生きた分だけ、愛を残せた”と信じておりますの」
そう語るリリアーナの背に、風が吹く。
かつて蝶を育てたあの風ではなく、
今はただ――少女の“記憶”をなぞるような、やわらかな春風だった。
手を伸ばせば触れられたはずなのに、
今ではもう――心の内側でしか確かめられないもの。
***
夜のエグレア邸。
リリアーナ=エグレアは、自室のベッドの上で膝を抱えていた。
傍らには、開かれたノート。
その一ページにだけ、手書きの文字がひとつ残されている。
『アレン=ヴァルフォード。
わたくしが、初めて「見つめられた」と思えた人。』
それは、まだ“縫い手”になる前の彼女が書いた、
**もっとも原初の“記録”**だった。
愛されようとしたのではない。
認められたかったのでもない。
ただ――“目が合った”ということが、
彼女にとっては、“心に刺さる針”だった。
「……あの瞬間だけは、本当に。
わたくし、“ただの少女”でいられたのに」
ぽつりと漏れたその声は、どこにも届かない。
それでも、彼女はページを撫でながら、ひと針のように記憶をなぞる。
「あの人が、わたくしを選ばなかったこと。
今でも痛みますわ。
けれど、選ばれなかったからといって――
“愛されなかった”とは限りませんものね?」
そう。
確かに選ばれなかった。
でも、それまでの会話。
踊った瞬間。
リボンを結んだ日々。
袖口を揃えた時間。
触れそうで、触れなかった指先。
それらすべてが、彼女を今も縫いとめていた。
「……わたくし、まだ縫い続けていますわ。
あなたに渡すためではなく、自分の心を壊さないために」
それは、“縛る針”ではなかった。
“孤独をほどけないようにするための、縫いとめの針”だった。
***
翌朝。
リリアーナは、久しぶりに鏡の前で口紅を引いた。
ピンクでも紅でもない。
王宮の指定にもない、淡く、落ち着いた“ローズベージュ”。
「今日のわたくしは、“愛された記憶”の続きとして、ここに立ちますのよ」
誰かに向けた笑顔ではない。
誰かに好かれるための装いでもない。
それはただ、自分自身に結んだ――小さな誓い。
***
学院の廊下で出会ったセシリアは、驚いた顔で彼女を見た。
「……リリアーナ様?」
「ごきげんよう。わたくし、今日は“あなたの恋の味方”として、在りますの」
「え?」
「だって、あなたの幸せな笑顔を見るたびに、
わたくしの中の“愛された記憶”が、ちゃんと報われていくのですもの」
セシリアは言葉を失い、やがて――ほとんど涙声で笑った。
「……あなたって、本当にずるい人ですね」
リリアーナもまた、少しだけ笑った。
「ええ。自分でも、そう思いますわ。
でも、“ずるく生きた分だけ、愛を残せた”と信じておりますの」
そう語るリリアーナの背に、風が吹く。
かつて蝶を育てたあの風ではなく、
今はただ――少女の“記憶”をなぞるような、やわらかな春風だった。
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