異人こそは寒夜に踊る

進常椀富

文字の大きさ
上 下
32 / 33
番外編3

6

しおりを挟む
 僕は混乱した。
 夢を見ていなかったという僕の見ていたあの夢のことを、どう言い出したものやら。
 途惑っていると、鍬金博士が言った。
「何か心当たりがあるんですね、高田さん? 私が食い下がるのにも理由があるのです」
 博士はタバコの火を消して続けた。
「さきほどお話しした彼ですが、機械の体になった後は意志の疎通が回復したのです。多くは語りませんでした。主に次元接続体とケイオスウェーブという、新しい概念に関する講義が中心でしたが、旧来の友人だった私とは、ごく私的な別れの挨拶も交わしています。彼はこう言いました。ケイオスウェーブの謎を解くために、他の平行世界と異次元を巡る旅に出ると……。彼の肉体はしばらく後に彼によって隠されてしまいました。しかし、高田さん。あなたの身体の状況は、異世界に旅立った彼の肉体の状況によく似ていた」
 博士は身を乗り出し、熱をこめて言った。
「高田さん、あなたはもしかしたら、他の物体に意識を移していたんじゃないんですか? もしかしたら、他の世界を旅してきたのではないですか! 教えてください! 私にその事を!」
「……」
 鍬金博士の導きによって、僕の中で確固としたものが形作られていた。
 僕は自分の能力について、今はっきりと意識することができた。
 伊緒もリサも真陽奈も夢じゃない。実在する人物だ。この世界とは別の宇宙に。
 僕の力はタイムスリップならぬ、次元スリップ。
 高田明人はやはり僕自身だ。多くの分岐を違えた末の。
 無限に連なる平行世界を、あまりに遠くへ旅してしまったため、名前も容姿も年齢さえも変わってしまったけれど、明人は昌男なのだ。
 次元接続体・高田昌男は自分の願望を満たすため、時間の外で長いことあのような世界を探していただろう。
 そして分岐をたどり続けて、明人たる僕と三人のいる世界を見つけ、落ち着こうとしたはずだ。
 何かの弾みでこちらに帰ってきてしまったが、今すぐにでも向こうに戻りたい。
 何より重大な懸念がある。
 僕は放って置かれる分には不死身かもしれないが、注射針が刺さる。物理的な力に対しては不死身とも思えない。
 現在、ここで何か起こって僕が死んでしまえば、それで全て終わりだ。
 高田明人も、もしかしたら昏睡状態になっているかもしれない。向こうの世界の三人を悲しませるわけにはいかない。
 どちらかを選ばなければならないとしても、僕は断然向こうを選ぶ。
 向こうへ行ってしまえば、たぶんこちらの身体が死んだとしても、何も問題ないはずだ。そんな気がする。
 鍬金博士の吐いた紫煙の漂う部屋の中、僕は静かに告げた。
「いろいろありがとうございます、鍬金博士。彼とは少し違いますが、僕も彼と似た選択肢を選ぶことにします。こっち側に残していって惜しいものは何も無い。僕はそんな男なんですから」
 このまま次元スリップを開始する。
 身体がこわばり、視界が闇に閉ざされた。
 両親にはちょっとごめんなさい。でも、厳密に言えば死ぬわけでもないし。
 こっちに残ったところで、どうせ孫の顔も見せられやしない。
 その分、向こうの両親にはなんとかしてあげよう。
 遠のく意識の中で、鍬金博士の声が聞こえた。
「高田さん! 待ってください! まだ……」
 鍬金博士にも、ごめんなさいだな……。
しおりを挟む

処理中です...