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番外編3
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ここは千葉県鳴田市にある、国立次元接続体研究所。半年前、僕は昏睡状態でここに運び込まれたらしい。
そう教えてくれた髭の男は、鍬金徹(くわがね・とおる)医学博士。僕のことに関する主任だそうだ。
彼は自らの手で注射器を持ち、僕の腕から血を抜きながら、そう言った。
採血が終わると僕はローブを着せてもらい、鍬金博士の執務室に通された。
ベッドのあった部屋の隣の隣で、ぎっしり詰まった本棚に圧倒される。
革張りの椅子に腰かけると、鍬金博士からジュースみたいな紙パックを手渡された。
「流動食です。最初はそういう物のほうがいいでしょう。他に水もあります」
確かに腹が減ったような気がするので、僕は遠慮なく流動食をちゅうちゅう吸った。味はほぼカロリーメイトだった。
そんな僕の様子を、鍬金博士が固唾を飲んで見守っているのに気付いた。
目が合うと博士は慌てて視線を逸らし、頭をかきながら言う。
「本当にあなたには助けられてますよ、高田さん。人の力で採血できる次元接続体は多くないのです。頑丈すぎる人が多すぎる。強力な力で針を突き刺す、特製の機械もあるんですが、まったく限定的な使い道しかなくて。採血不能という人もいるのです。あなたからは血液だけじゃなく、尿や爪、髪の毛などもいただきましたよ。その結果……」
鍬金博士は一瞬言葉に詰まった後、静かに続けた。
「……その結果、我々は次元接続体の主体がどこにあるのかさえ、分からなくなってしまった」
「主体って、なんですか? そもそも、僕は本当に次元接続体なんでしょうか?」
「まあ最初から話し始めましょう」
鍬金博士は自分の椅子に腰を下ろすと、いきなり机の上に両手をついて大きな声で言った。
「タバコが吸いたいな!」
「……どうぞ」
僕は言った。この人、本当に医者か?
「すみませんね」
鍬金博士は机の引き出しから缶タイプの灰皿を取り出すと、タバコに火をつけ、語り始めた。
「最初……あなたは自宅アパートで、布団に入って寝ているのを発見されました。一週間無断欠勤したあなたを心配して、会社の上司の方が警察と一緒に部屋の鍵を開けたのです。どうやってもあなたを起こせなかったため、救急車が呼ばれました。あなたの体格から糖尿病性昏睡が疑われ、病院に搬送されましたが、血液検査の結果はいたって健康。薬物反応もなく、それどころか胃と腸のなかはからっぽ。便さえありませんでした。しかし脳波を測定してみると脳幹以外が働いてない状態だったのです」
僕は寒気を抑えられずに訊いた。
「それはどういうことですか?」
「医学的に極めて重篤、ということです。ですが他の検査ではまた、あなたの肉体は医学的に極めて健康だった。そして、胃と腸が空なのに、脱水症状の兆候すらなかった。医師たちは余計な処置を施す愚を犯すよりは、ただ経過を見守ることにしました。この頃の医者はそうするように教えられているのです」
鍬金博士は一息ついてタバコを吸う。
「四十八時間後、衰弱するでもなく、目を覚ますでもなく、昏睡状態で眠り続けるあなたは、普通ではないイコール次元接続体として、ここに搬送されることが決まりました。現場では一悶着あったようですがね。次元接続体は各都道府県に一人、二人確認されていますし、東京や大阪などの大都市では人口に比例して若干多くはなってます。しかしやはり稀な存在なのです。ある一地域を除いては。それがどこかは言えない事になってます」
言えないといっても、こんな施設が東京ではなく千葉県鳴田市にあることからして事実は明らかだ。この鳴田か、その近隣しかない。
僕の考えを見透かしたように鍬金博士が言う。
「国立とはいっても、この場所は公には秘密になってます」
なるほど、秘密にしたくても、当事者の僕には言わないわけにいかない、か。
タバコをもみ消してから、博士は続けた。
「ここに運ばれてきたあなたの経過を聞いて、私は確かに次元接続体だろうと思いました。実のところ、私の古い友人とよく似た状態でしたから。ところで高田さんは、次元接続体についてどれくらいご存知ですか?」
僕はまごつきながらも答えた。
「え、えー、ある日突然、超人的な力を身につけることになった人。その力の源は次元接続を通して多元世界から流入してくるとされる……?」
「そんなところです。では、ケイオスウェーブ現象については?」
「ん、んん?」
聞いたことはあるけど、ちょっと難しいんだよな。
しかし、鍬金博士が続けてくれた。
「不可視、不可知、しかし確実に存在して、それに触れた人物を次元接続体にし、科学の領域を超えた特殊能力を授ける、混沌の波。我々にはケイオスウェーブを計測したり、感知したりする技術はありません。次元接続体が存在する事実をもって、ケイオスウェーブの存在を証明しているに過ぎません。そしてこの二つを名づけ、定義づけたのが、さきほど述べた私の古い友人なのです。彼が人間をやめる直前に」
「人間をやめるって……どういうことですか?」
「もう十年ほど前のことです。彼は最初期の次元接続体の一人だったのでしょう。当時は筑波大学の学院生でした。ある日を境に彼の知能が急激に増していったのです。どんな分野の知識でも吸収し、理解していきました。それも驚くべき速さで。しかし知能の増大はやがてコミュニケーションの断絶をもたらしました。彼は確かに日本語で喋っていたのですが、その意味がまったく分からないのです。意思の疎通を数式に頼るしかなくなったころ、彼は自分の属する研究室に閉じこもりました。謎の封印が施されていて、誰も中へ踏み込めなかったのです。一週間後、封印が解除されたとき、研究室の中には三つの物が残されていました。金属製で高さ二メートルほどの円筒形の機械、次元接続体とケイオスウェーブについて書かれた論文のプリントアウト、そして昏睡状態に陥った、彼の抜け殻です。彼は今でいう発明家タイプの次元接続体でした。彼は自分の能力を補強するために、自ら作り上げた円筒形の機械に自分の意識を移したのです。人間であることを諦めて。本人がそう言っていましたから」
そこまで言うと、鍬金博士は新しいタバコに火を点け、さらに続けた。
「昏睡状態で残された彼の肉体の状態が、この半年間のあなたの状態とよく似ていました。ここからは高田さん、あなたのことをお話ししましょう」
「お、お願いします……」
博士の言う彼のことも気にかかるが、自分のことのほうが大事だ。僕は心の準備をして博士の言葉を待った。
「……あなたはこの半年間、何の栄養も、水分さえ摂取していないのに生き続けてきました。呼吸と皮膚から水分が蒸発しているのは確認していますし、肌の乾燥を防ぐための汗もかきます。しかしそこに老廃物はなかった。あなたの身体は放置されていても汚れない。排泄なし、床ずれなし、うっ血なし。太りも痩せもせず。何度か採血させていただきました。体重はその分減るんですが、十分で元に戻ります。髪、爪なども切ったら切った分だけ伸びるのです。あなたはある意味、不死身です、高田さん。しかし、あなたから切り離された細胞、血液は通常の過程を経て活性を失い、死にました。あなたは、高田昌男としては不死身の次元接続体なのに、あなたを構成する細胞はそうではなかった! そして我々は、次元接続体を次元接続体たらしめている、主体が分からなくなっていたのです」
博士はそこで一服すると、今度は僕に挑むように向き直って言う。
「分からないことは他にもありますが、これは率直にお聞きしましょう。これまでの印象で答えてくださって構いません。高田さん、あなたの次元接続体としての能力はどういったものなのですか?」
僕は言葉に詰まった。言いにくいことを訊いて来るな、この人は!
僕は不死身の次元接続体。その能力は不死身の身体で眠り続けながら、女の子たちに囲まれた楽しい夢を見ること……。
これまでの話を総合すると、そうとしか言えない。だから言えない。
「……」
僕は黙り込むしかなかったが、博士が促すように言った。
「私には、あなたがただ意識を失っていただけとは思えない。しかし測定され続けた脳波によると、あなたは夢さえ見ていなかったことになるのです!」
「えっ……」
僕は夢を……見ていなかった……?
それでは、伊緒とリサと真陽奈のいる、あの高田明人の生活はなんだったというのか。
そう教えてくれた髭の男は、鍬金徹(くわがね・とおる)医学博士。僕のことに関する主任だそうだ。
彼は自らの手で注射器を持ち、僕の腕から血を抜きながら、そう言った。
採血が終わると僕はローブを着せてもらい、鍬金博士の執務室に通された。
ベッドのあった部屋の隣の隣で、ぎっしり詰まった本棚に圧倒される。
革張りの椅子に腰かけると、鍬金博士からジュースみたいな紙パックを手渡された。
「流動食です。最初はそういう物のほうがいいでしょう。他に水もあります」
確かに腹が減ったような気がするので、僕は遠慮なく流動食をちゅうちゅう吸った。味はほぼカロリーメイトだった。
そんな僕の様子を、鍬金博士が固唾を飲んで見守っているのに気付いた。
目が合うと博士は慌てて視線を逸らし、頭をかきながら言う。
「本当にあなたには助けられてますよ、高田さん。人の力で採血できる次元接続体は多くないのです。頑丈すぎる人が多すぎる。強力な力で針を突き刺す、特製の機械もあるんですが、まったく限定的な使い道しかなくて。採血不能という人もいるのです。あなたからは血液だけじゃなく、尿や爪、髪の毛などもいただきましたよ。その結果……」
鍬金博士は一瞬言葉に詰まった後、静かに続けた。
「……その結果、我々は次元接続体の主体がどこにあるのかさえ、分からなくなってしまった」
「主体って、なんですか? そもそも、僕は本当に次元接続体なんでしょうか?」
「まあ最初から話し始めましょう」
鍬金博士は自分の椅子に腰を下ろすと、いきなり机の上に両手をついて大きな声で言った。
「タバコが吸いたいな!」
「……どうぞ」
僕は言った。この人、本当に医者か?
「すみませんね」
鍬金博士は机の引き出しから缶タイプの灰皿を取り出すと、タバコに火をつけ、語り始めた。
「最初……あなたは自宅アパートで、布団に入って寝ているのを発見されました。一週間無断欠勤したあなたを心配して、会社の上司の方が警察と一緒に部屋の鍵を開けたのです。どうやってもあなたを起こせなかったため、救急車が呼ばれました。あなたの体格から糖尿病性昏睡が疑われ、病院に搬送されましたが、血液検査の結果はいたって健康。薬物反応もなく、それどころか胃と腸のなかはからっぽ。便さえありませんでした。しかし脳波を測定してみると脳幹以外が働いてない状態だったのです」
僕は寒気を抑えられずに訊いた。
「それはどういうことですか?」
「医学的に極めて重篤、ということです。ですが他の検査ではまた、あなたの肉体は医学的に極めて健康だった。そして、胃と腸が空なのに、脱水症状の兆候すらなかった。医師たちは余計な処置を施す愚を犯すよりは、ただ経過を見守ることにしました。この頃の医者はそうするように教えられているのです」
鍬金博士は一息ついてタバコを吸う。
「四十八時間後、衰弱するでもなく、目を覚ますでもなく、昏睡状態で眠り続けるあなたは、普通ではないイコール次元接続体として、ここに搬送されることが決まりました。現場では一悶着あったようですがね。次元接続体は各都道府県に一人、二人確認されていますし、東京や大阪などの大都市では人口に比例して若干多くはなってます。しかしやはり稀な存在なのです。ある一地域を除いては。それがどこかは言えない事になってます」
言えないといっても、こんな施設が東京ではなく千葉県鳴田市にあることからして事実は明らかだ。この鳴田か、その近隣しかない。
僕の考えを見透かしたように鍬金博士が言う。
「国立とはいっても、この場所は公には秘密になってます」
なるほど、秘密にしたくても、当事者の僕には言わないわけにいかない、か。
タバコをもみ消してから、博士は続けた。
「ここに運ばれてきたあなたの経過を聞いて、私は確かに次元接続体だろうと思いました。実のところ、私の古い友人とよく似た状態でしたから。ところで高田さんは、次元接続体についてどれくらいご存知ですか?」
僕はまごつきながらも答えた。
「え、えー、ある日突然、超人的な力を身につけることになった人。その力の源は次元接続を通して多元世界から流入してくるとされる……?」
「そんなところです。では、ケイオスウェーブ現象については?」
「ん、んん?」
聞いたことはあるけど、ちょっと難しいんだよな。
しかし、鍬金博士が続けてくれた。
「不可視、不可知、しかし確実に存在して、それに触れた人物を次元接続体にし、科学の領域を超えた特殊能力を授ける、混沌の波。我々にはケイオスウェーブを計測したり、感知したりする技術はありません。次元接続体が存在する事実をもって、ケイオスウェーブの存在を証明しているに過ぎません。そしてこの二つを名づけ、定義づけたのが、さきほど述べた私の古い友人なのです。彼が人間をやめる直前に」
「人間をやめるって……どういうことですか?」
「もう十年ほど前のことです。彼は最初期の次元接続体の一人だったのでしょう。当時は筑波大学の学院生でした。ある日を境に彼の知能が急激に増していったのです。どんな分野の知識でも吸収し、理解していきました。それも驚くべき速さで。しかし知能の増大はやがてコミュニケーションの断絶をもたらしました。彼は確かに日本語で喋っていたのですが、その意味がまったく分からないのです。意思の疎通を数式に頼るしかなくなったころ、彼は自分の属する研究室に閉じこもりました。謎の封印が施されていて、誰も中へ踏み込めなかったのです。一週間後、封印が解除されたとき、研究室の中には三つの物が残されていました。金属製で高さ二メートルほどの円筒形の機械、次元接続体とケイオスウェーブについて書かれた論文のプリントアウト、そして昏睡状態に陥った、彼の抜け殻です。彼は今でいう発明家タイプの次元接続体でした。彼は自分の能力を補強するために、自ら作り上げた円筒形の機械に自分の意識を移したのです。人間であることを諦めて。本人がそう言っていましたから」
そこまで言うと、鍬金博士は新しいタバコに火を点け、さらに続けた。
「昏睡状態で残された彼の肉体の状態が、この半年間のあなたの状態とよく似ていました。ここからは高田さん、あなたのことをお話ししましょう」
「お、お願いします……」
博士の言う彼のことも気にかかるが、自分のことのほうが大事だ。僕は心の準備をして博士の言葉を待った。
「……あなたはこの半年間、何の栄養も、水分さえ摂取していないのに生き続けてきました。呼吸と皮膚から水分が蒸発しているのは確認していますし、肌の乾燥を防ぐための汗もかきます。しかしそこに老廃物はなかった。あなたの身体は放置されていても汚れない。排泄なし、床ずれなし、うっ血なし。太りも痩せもせず。何度か採血させていただきました。体重はその分減るんですが、十分で元に戻ります。髪、爪なども切ったら切った分だけ伸びるのです。あなたはある意味、不死身です、高田さん。しかし、あなたから切り離された細胞、血液は通常の過程を経て活性を失い、死にました。あなたは、高田昌男としては不死身の次元接続体なのに、あなたを構成する細胞はそうではなかった! そして我々は、次元接続体を次元接続体たらしめている、主体が分からなくなっていたのです」
博士はそこで一服すると、今度は僕に挑むように向き直って言う。
「分からないことは他にもありますが、これは率直にお聞きしましょう。これまでの印象で答えてくださって構いません。高田さん、あなたの次元接続体としての能力はどういったものなのですか?」
僕は言葉に詰まった。言いにくいことを訊いて来るな、この人は!
僕は不死身の次元接続体。その能力は不死身の身体で眠り続けながら、女の子たちに囲まれた楽しい夢を見ること……。
これまでの話を総合すると、そうとしか言えない。だから言えない。
「……」
僕は黙り込むしかなかったが、博士が促すように言った。
「私には、あなたがただ意識を失っていただけとは思えない。しかし測定され続けた脳波によると、あなたは夢さえ見ていなかったことになるのです!」
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