The Outsider ~規矩行い尽くすべからず~

藤原丹後

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第1章 ダンジョン

第35話 人生とは自分を見つけることではない 人生とは自分を創ることである

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<自宅ダンジョン第一層>

 12時50分。約束の時間に透明オーブを使う。
 マヤの笑顔が今日はやや硬い。口元はかろうじて笑みを保っているが、目元の強張りが隠しきれていない。

「昨日挨拶した家令と話すだけだし、透明オーブは登録さえ済ませば、2層の奥に行かなくても1層のこの場で繋がるのだからわざわざ来なくても良かったのに、今日はちょっと不機嫌だね」

「無表情で話しかけてくる人に言われたくありません」

 ……本当に機嫌が悪そうだ。ここは小粋な冗句で場を和ませるべきだろうか。
「気持ち悪いから顔を歪ませた表情で私を見ないでって、ゴミを見るような視線と底冷えのするような冷たい声で言ってみてくれる? 」

「……ゴミとは、割れた陶器やガラス片のことですか? 何故そうする必要があるのでしょうか? 」

「ごめん。外した。男同士なら通じる冗句なんだけどね。いや、正確に言うと男性が読むコメディ系でのタマにあるネタかな。女性に直接言うのは駄目だよね。忘れて」

「何時もそのようなことを考えておられたのですか? 」

「いやまぁなんと言うか。適切な距離感を測りかねているからね。変に親し気に振舞うのは、どうかな、と」

「無表情は嫌です」

「わかった。努力するよ」

「努力が必要なのですか? 」

「う~ん俺の自衛心かな。マヤのような可愛らしいから唐突に『仕事でのお付き合いなので勘違いした感情表現は控えてくれ』と拒絶されるのは怖いからね。どこまで踏み込んでいいのか、まだちょっとわからない」
 言葉の途中で、マヤが僅かに目を伏せたのが見えた。

「私は可愛らしいですか? 」
 唐突な問いだった。顔を上げた彼女の瞳は、まるで迷子の子どものように揺らいでいる。

「言われなれている陳腐な褒め方だということはわかっているつもりだよ」

「時間です」
 目の前にいたマヤが目聡メザトく俺の腕時計を覗き込んでいた。

 ……ようやく不機嫌オーラを解いてくれて助かった。昔から言われているけれど、女心はジェットコースターのようにアップダウンすると言われているのがよくわかる。

 蛇かトカゲの血が何十分の一か混じっていそうな家令が、マヤの方を向いて不承面フショウヅラを一瞬晒してから俺を見た。

「偉大なる御主人様は、お前に協力する者を用意してもよいとオッシャった。今からこちらに来るか? 」

 傲慢な口調と、相手を見下すような視線に苛つくが、俺は無表情を保つ。
「そちらに行った後、私と私の護衛は今居るこのダンジョンに何時でも戻れるのですか? 」

「お前がこっちに来てしまえば登録が解除されるではないか。戻れるわけがなかろう。そんなことも知らんのか。それはそもそも非常時に脱出するための魔道具だぞ。痕跡が残るようでは役に立つまい」

「仮に透明オーブをこちらの護衛に持たせて、私はアームレットを使ってそちらを訪問した場合は戻れますか? 」

「あぁそれならば可能だな。もちろん、お前の後ろにおるソレをお前が信用することが前提だが」

 ウシロでマヤの気配が変わったのがわかった。俺は昔からこの種の勘は鋭い方だ。具体的に言えば10歳の時、深夜に寝ている俺を蹴り飛ばして『酒を買ってこい』と父に命令された時から。子供の頃は低血圧で寝起きが悪かったが、熟睡していても悪意のある何かが近づいてくれば完全に目を覚まし、部屋のドアが開く前に覚醒した状態で対応できるようになった。

「お誘いはありがたいのですが、今いるダンジョンを行ける所まで行くことが現在の最優先事項です。後の機会にもう一度お声掛けいただければ幸いです」

「ふん。お前はこれまでの日本人より教育があるようだな。で、あれば、偉大なる御主人様の不興をかうことなく上手に立ち回れよう。お前には期待しようではないか。ダンジョン攻略中と言ったな。明日からお前に一人つけてやる。アームレットを寄越せ」

「申し訳ありません。そういった申し入れを予想しておりませんでしたので、本日こちらには持ってきておりません。不手際を陳謝いたします」

「確かに! 不手際だ。そのような心持ココロモちでは偉大なる御主人様にお仕えすることアタわぬと心得ココロエよ。明朝8時に接続せよ。しかと伝えたぞ」

 そう言い終えると、こちらの返事も聞かずに映像は暗転した。布か何かで覆ったようだ。

「本当に持ってきていないのですか? 」
 接続を解除すると後ろからマヤが聞いてきた。

「いや。持ってきているよ。わざわざバックパックから抜いておく理由もないしね」

「では何故嘘を? 」

「あいつの口の利き方が気にいらないから。言う通りに従うのが嫌だった。それに、何か小細工を企んでいる雰囲気もしたし」

「雰囲気……ですか? 」

「何か別のことを考えながら話してたね。それにしても8時か……」

「8時というのは普通だと思うのですが、どのような不都合があるのでしょう? 」

「この数年で身についた生活習慣だと、起きてから食事をして家をでる準備がトトノうまでに3時間掛かるから、一般の単身者社会人のように色々端折って1時間で終わらせる生活に逆戻りになるなぁ。と」

「貴族家当主でも朝食は前日の冷たいパンとワインだけですのに、大貴族か裕福な商人のような暮らしをされているのですね」

「ん? あぁそういえばそうだったか。君達の主食はパンだけれど、今の日本人は主食のご飯を翌日の指定した時間には、独りでに炊き上がっているようにできるから、火起こしやパンを焼くのに何時間も掛けるようなことをやっているわけじゃない。新聞という毎朝配られる紙の束を読んだり、TVでニュースをみたり、体を洗った後に洗濯をしたりするとどうしても3時間ぐらいは掛かる」

「それは必要なことなのですか? 」

「必要でなければやらないけれど、端折ろうと思えば端折れるから、必要かどうかはそのときの状況次第かな」

「はぁ……」
 マヤは納得しきれない様子で、曖昧な返事をした。

「さてと、今日はどうしようか ? このまま第3層に降りていく? 」

 そう尋ねると、マヤは何やら思案顔を浮かべた。
「あ、家令さんが三圃制の概説書を読みたいそうです」

「そういえばそんな話もしたね」

「お持ちですか? 」

「蔵書にはないよ。買いに行かないと」

「これから買いに行かれるのでしょうか? 」

「マヤの優先順位による。本の方を優先したいのなら今から調べてくる。図書館で調べてから書店に行って、在庫があれば今日買えるが、多分注文することになるだろうから、この家に送られてくるのは早くて明日。遅ければ十日後ぐらいかな。小さな出版社が出している本なら二ヶ月以上掛かるかもしれない」

「図書館には誰でも入れるのですか? 」

「公共の図書館は問題ない。大学の図書館は入るのに条件があるね。近くに住んでいる人であれば基本的には入れる。どこかの大学か学校に準ずる機関に通っていないと文献資料室は使えないが図書館なら大丈夫だよ」

「私もついて行っていいですか? 」

 その言葉に俺は思わずマヤを二度見する。彼女の瞳は、先程までとは打って変わって、まるで期待に満ちた子どものように輝いている。
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