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三章 風の前の塵
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しおりを挟むしかし、太蝋が口付けた場所は八重の額だった。
(あ……〝また〟……)
予想に反することが起きた。それを残念がっている自分が恥ずかしい。八重が羞恥心に塗れていると、太蝋は耳元で囁いた。
「お前は、健気だな」
その言葉が何を意味するか。褒め言葉なのか、嫌味なのか。それを判断することも難しくて、八重は何も言葉を返せなかった。ただ、額に残る熱が身を焦がすのを感じた。
太蝋は八重から離れていき、「先に部屋に戻ってる」と告げて機織り部屋を出て行った。行動の意味を説明することなく。
機織り部屋を出た太蝋は誰も通っていない廊下を、のろのろと歩きながら溜息を吐いた。
何度も。
何度も。
「はぁ……」
溜息を漏らす度に自分の情けなさが浮き彫りになるようで嫌だった。だが、止めようにもどうにも止まらない。何度目かの溜息で廊下の角を曲がった時、少女の声が響いた。
「うわぁっ!? おばけ!?」
「おばけとは、また随分な挨拶じゃないか……」
それはヨネだった。住み込みで働いている女中の一人であるヨネは、一日中火焚の屋敷にいる。ヨネの弟達は長屋で大人達と一緒に暮らし続けているようだ。
ヨネは太蝋自身の炎で太蝋の姿が見えてホッと息を吐き、ついでに嫌味も口にした。
「なんだ、旦那様か。辛気臭い雰囲気だったから、おばけかと思ったじゃない」
「私が本当に霊の類だったら、それこそお前の夢枕に立ってやるんだけどね」
「その時は頭の炎、吹き消してやるんだから」
「罰当たりだな……」
「化けて出てる方が罰当たりじゃないの? 潔く、あの世に逝ってよね」
相手が目上の男であろうと、雇い主であろうとお構いなしにヨネは太蝋との舌戦を繰り広げる。その歯に物を着せぬ言い方は、沈んだ太蝋の心を少しばかり浮上させた。
「まったく……。お前と話してると千重を思い出すよ」
「……千重?」
ヨネの眉根がきゅっと寄る。誰かと比べられていることに不快感を覚えているような反応だ。
太蝋は千重という人物は、決して悪い人間ではないことを説明しようと口を開く。
「お前は知らないか。千重って言うのは――」
「知ってる。奥様のお姉さんでしょ?」
「あぁ、八重から聞いたのか」
「丁度、今日の昼間にね」
てっきり知らないものと思いきや、ヨネは既に八重の口から千重の存在を聞いていた。なら、全く知らない人物と比べられた訳でもないのに、何故こんなにも不機嫌そうな顔をしているのか。ヨネは千重が気に食わないのだろうか?
すると、ヨネは腕を組んで太蝋を吟味するような視線を送りながら訊ねてきた。
「あたしと、奥様のお姉さん――前の婚約者が似てるって本気で思ってるの?」
「そこまで聞いてたのか」
「質問に答えてよ」
「そういう勝ち気なところを含めて、私と言い合いしようって言う根性が似てるよ。それがどうしたって言うんだ?」
「ふうん……」
ヨネの意味深な反応が嫌な予感を呼ぶ。千重とヨネが似ていると思ったことの何がいけないのか、太蝋にはさっぱり分からなかった。
すると。
「さいってー」
「……は?」
たった一言の罵倒を口にすると、ヨネは逃げるようにして使用人達が使っている寝部屋の方へ小走りして行ってしまった。
その後ろ姿を茫然と見送った後、太蝋は納得がいかない様子で呟いた。
「一体、何だって言うんだ……?」
ただでさえ悩みが積み重なっていると言うのに、そこへ更にヨネの発言の理由が分からなくて頭を悩ませることになるとは。そんな風に考えながら、太蝋は自室への廊下をとぼとぼと歩いていく。
太蝋は疲れていたのだろう。
ヨネと対峙していた廊下の角に、八重が居たことに気が付けなかったのだから。
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