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三章 風の前の塵
-51- 八重の得意
しおりを挟む絹が完成してから一週間が経過した夜。
一通りの寝支度が整え終わった頃、八重は「旦那様」と太蝋を呼んで、とあるものを差し出した。
「手袋です。昼に出来上がったばかりのもので……その……」
太蝋の手の寸法は事前に測っていた。それに沿って手袋を縫製したが、果たして太蝋の手に合うかは着けてもらわないと分からない。そんな意図が篭った言葉を聞き、太蝋は八重の手から手袋を受け取った。
「ありがとう。……うん、奇麗な出来栄えだな」
太蝋の嬉しそうな声が八重の胸を甘く締め付けた。頭の炎の揺らぎがゆったりとしていて、心なしか嬉しそうにしているように見える。
絽織りの絹で仕立てられた純白の手袋。それは太蝋の手にぴったりと沿い、保護している。全ての指の長さに合わせて仕立てられているお蔭で、指先に余りが一つもない。なのに、指の可動に問題が生じる様子はなく、手触りと同様にするすると指を動かすことが出来る。袖口も狭くもなく広くもない作りで、着脱のし易さも兼ね備えている。呉服屋で仕立てて貰っている手袋と何ら遜色がない。
「凄いな。とても使い易そうな手袋じゃないか」
「ほ、本当ですか?」
「長いこと、手袋を使ってきた人間が言うんだから間違いない。それに――」
八重製の手袋を如何に気に入ったか語ろうとした太蝋。
しかし。
「良かった……」
そう言って八重が嬉しそうに微笑んでいるのを見て、太蝋の頭の中から感想が全て吹っ飛んでいった。
太蝋の身に何が起きているか分からないまま、八重は余っている絹の状況を話し始めている。当主に贈るための帯揚げ分の布は刺繍を始めているところで、刺繍の息抜きに帯紐も編んでいるらしい。
ただ、太蝋の手袋だけは早く作って渡したかったらしく、それらよりも先に仕上げたとのこと。帯揚げと同様に、手袋に刺繍をしようかと本気で悩んだが、普段使いにするなら何もない方が良いだろうと結論を出して、敢えて何も刺繍しなかったと語る。
「――絹はまだ余ってるので、あと何組かは作れると思うのです。次を作り始めるのは恐らく、帯揚げと帯紐を作り終えてからになってしまうのですが……」
やはり、好きなことになると口がよく回るようになるらしい八重は、太蝋の目にとても愛おしい存在に映った。ただ、その目に自分が映っていないことが少し悔しい。
太蝋は手袋を着けたまま、よく回る八重の口を閉じさせるように顎に手を掛けた。そして、無言のまま八重をじっと見つめる。何をしたいと思っているか、目ではなく空気で伝えようと念を込めた。人から見た、自分の目の位置が分からないことは重々承知していたから。
だが、八重は何故だか太蝋とよく目が合った。今も、八重の目の中には太蝋の炎が煌々と輝いているのが見える。
その事実に心臓が早鐘を打つのを感じながら、太蝋は徐々に顔を寄せていく。太蝋がしたいと思っていることが伝わったらしく、八重は顔を赤らめ目を泳がせる。このまま太蝋のしたいことを受け入れるべきか迷う。
八重はいつものように首を竦めて、口を真一文字に噤んだ。しかし、目はまだ開いている。
太蝋はそれまでの八重の反応とは少し違うことに気付かないまま、八重の顎を上に向かせた。今度こそは誤魔化さない、と言いたげに太蝋は八重の顔をじっと見つめる。その視線は自然と八重の唇へ移動していき、同時に顔の距離も近付いていく。
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